東日本大震災の復興のあり方は、これからの日本の国土と国民生活のグランドデザインを示す“戦略的ガイドライン”と直結している、震災2周年を目前に控えて(その1)、震災1周年の東北地方を訪ねて(109)

 「震災1周年」から「震災2周年」への私の旅は長かった。この間、ブログは110回(25万字)、コラムは14回(10万字)、その他の論文を含めると50万字程度は書いたことになろうか。でも、訪れた地域や取り上げたテーマは数えるほどしかない。それほど東日本大震災の規模は巨大であり、被災者・被災地の模様は複雑なのだ。

 東日本大震災の報道や復興支援、調査研究や復興事業に携わっている人たちは数知れないほど多い。立場も分野も異なる膨大な人々が被災者・被災地の復興支援のために懸命の努力を続けている。だが「群盲象をなでる」という言葉があるように、東日本大震災の復興はまだ緒に就いたばかりでこの先どれほどの時間を必要とするかは誰もわからない。

 後2週間ほどで、東北地方は“震災2周年”を迎える。マスメディアは目下「2周年特集」の編集に大童だと聞くが、おそらくその論調は「1周年特集」のときと大きく変わるのではないか。理由の一端は、大震災の全容が少しずつ明らかになるにつれて、被災地の復興が“途方もない時間”を要するものであることが判明してきたからだ。これまでは多くの人々の関心は被害の規模や態様の解明に集中してきたが、それが一朝一夕で解決できるような問題ではなく、“長期あるいは超長期”の取り組みが必要であることが次第に判明してきたからである。

 これは阪神淡路大震災の時にも経験したことだが、これほどの巨大災害になると特定分野の知識や研究(だけ)では全く対応できず、それらを如何に束ねて復興に当たるかという“総合的知見”にもとづく“戦略的構想力”が要求される。しかし、問題の構造が巨大であり複雑であればあるほど総合的知見の獲得が難しく、問題解決のための戦略的構想力の構築が遅れる。このことは東日本大震災ではなおさらそう言えることだ。

 東日本大震災における最大の課題は、巨大津波被災地域および福島原発周辺地域の復興問題の解明すなわち復興への道筋を明らかにすることだろう。前者は単に三陸沿岸地域の復興にとどまらず、来るべき「南海トラフ地震」対策とも連動しているし、後者は原発再稼働問題と直結し、原発事故発生時の避難計画とも重なり合っている。言い換えれば、巨大津波対策と原発事故に関する東日本大震災の復興のあり方は、これからの日本の国土と国民生活のグランドデザインを指し示す“戦略的ガイドライン”となるのである。

 もちろん、財界や政府などには彼らなりの「戦略的構想力」がないわけではない。このブログでも度々触れてきたように、すでに政府の国土形成計画や財界の東北州構想などにおいては「選択と集中」を基本コンセプトとする新自由主義的国土再編計画構想の大筋が描かれており、東日本大震災に際してはこれを「ショックドクトリン型復興計画」として実現しようとする意図も明白だった。野村総研丸抱えの宮城県復興計画然り、野村総研顧問・増田元岩手県知事をリーダーとする河北新報社の「東北共同体構想」キャンペーン然りである。

 「原子力ムラ」「開発ムラ」の総力を挙げた国土再編計画構想は一時期成功するかに見えた。津波被災地域は、「災害危険区域」(居住禁止区域)の指定と「高台移転計画」によって地域一帯を「選択と集中」の原理にもとづいて効率的に再編し、国土・地域のリストラ計画を一挙に進めるはずであった。原発周辺地域では「帰宅困難区域」を指定して周辺一帯を“無人化”し、そこに「核のゴミ捨て場」である放射性廃棄物の最終処理場を建設して全国の原発基地の存続を図るはずであった。

これらは全てグローバルな資本活動の行動原理にもとづくもので、それが民主党政権の復興計画としてあらわれたに過ぎない。彼らにとって“不要”となった国土・地域は容赦なくスクラップ(廃棄)するというのがその計画原理である以上、「復興計画」は被災者・被災地にとっては住み慣れた故郷を追われる“棄民棄地計画”としてあらわれることになる。

 震災2周年を目前にした現在、これら「ショックドクトリン型復興計画」に対抗し、被災者・被災地の生活再建を実現し得る総合的知見と戦略的構想力が求められる。それは専門化された大学学部学科あるいは個別専門学会の枠内では不可能であり、まさに学際的・国際的な研究交流と被災者・被災地との連携を前提にして初めて実現するものである。この2つの条件を兼ね備えた事例はそれほど多くないが、2013年2月22、23日の両日にわたって日大生物資源科学部(旧農学部)の湘南キャンパスで開かれた学部連携国際シンポは、数少ない成功事例のひとつだと言えるだろう。(つづく)