「脱原発=電力自由化」は次期総選挙のシングル・イッシュ―(単独争点)になりうるか、「橋下新党と政界再編の行方(4)」、(大阪ダブル選挙の分析、その19)

 前回の日記で、私は「橋下新党」のかかえるジレンマの1つとして、国政選挙に不可欠な政策の独自性において、橋下新党が既成保守政党と政策の差別化ができない矛盾を挙げた。消費税増税、TPP参加、沖縄米軍基地存続、憲法改悪など国政の基本政策のどれひとつをとってみても、橋下新党と民主・自民両党との違いを見出すことができないからだ。

 これに対して2つのコメントが寄せられた。1つは、「脱原発電力自由化」が橋下新党の有力な「ワンフレーズ選挙」の武器になり得るというもの。もう1つは、橋下新党の掲げる「脱原発」は所詮選挙民を釣るための“疑似餌”に過ぎないというものだ。2つのコメントはまったく正反対の意見でありながら、現在の局面を分析する上で欠かせない複眼的視点であり、教えられることが多かった。貴重なコメントを寄せていただいた両氏には改めて感謝したい。

 周知のごとく、「ワンフレーズ選挙」は小泉郵政選挙に始まるといってよい。国政の基本に関する重要政策を体系的に掲げて争うのではなく、そのなかの一部の政策を殊更にセンセーショナルに取り上げ、それに対する賛否があたかも国政を左右するかのような空気(幻想)をつくりだす「フレームアップ選挙」(謀略選挙)のことだ。

 この選挙手法はデマゴギーを得意とするファシスト集団や政党が常用するもので、国政の基本政策をごく一部の政策に矮小化して国民を思考停止状態に追い込み、扇動的な言辞で世論を誘導して民意を掠め取ろうとする。橋下氏が大阪ダブル選挙で仕掛けた「大阪都構想」などはその最たるもので、有権者の多くはその内容を理解することなく「ガラガラポン!」と橋下氏に投票したのである。

 だが「ワンフレーズ選挙」が成功するためには、もうひとつの欠かせない環境条件がある。言うまでもなくそれは、マスメディアが“翼賛選挙”として大々的に謀略選挙に加担することだ。小泉郵政選挙の時には、郵政民営化に反対する者はマスメディアから全て「抵抗勢力」とレッテルを貼られ、抵抗勢力を倒す「刺客」(小泉チルドレン)が天まで持ち上げられた。大阪ダブル選挙では、大阪都構想を批判する者はテレビ等から「守旧勢力」と名指しされ、橋下氏はこの既得権体制を打破する「改革者」として一躍クローズアップされた。

 コメント氏が指摘するごとく、「脱原発」に関する国民の世論は根強く、また原子力保安院原子力安全委員会など「原子力ムラ」に対する反感も大きい。この脱原発世論は、野田政権が定期点検停止中の原発再稼働に前のめりになればなるほど大きくなり、小さくなることはないだろう。だから再稼働第1号候補の関電大飯原発の場合も、オポチュニストである橋下氏がこの機を逃さず、「民主党政権が再稼働で来るなら、大阪市は反対というオプションを示す」(各紙3月24日)と言ったのは状況的に理解できないことはない。また「最後は総選挙で決着すればいいんじゃないか」(朝日3月24日)という発言は、総選挙の政策を意識したものとして注目に値する。

さはさりながら、問題はそれが次期総選挙の「シングル・イッシュ―」として浮かび上がるには、マスメディアの一致した協力がなければ不可能だということだ。橋下新党が如何に仕掛けようにも、新聞やテレビが”翼賛選挙“として加担してくれなければ「ワンフレーズ選挙」は成立しない。この点、原発再稼働の急先鋒である読売・サンケイ・日経など各紙や系列テレビが、「脱原発」を掲げた橋下新党に肩入れするとは到底思えない。

また橋下氏自身にとっても、「脱原発」を旗印にして総選挙を戦うことはこれまでの言動と真っ向から矛盾する。というのは、大阪の市民グループが関電原発の再稼働に際して、その是非を問う住民投票条例制定を直接請求したのに対して、橋下市長は反対意見を添えて条例案を市議会に付託している(2月20日)。そしてこの条例案は、来る3月27日の市議会本会議で否決される予定だという(朝日3月23日)。

一方では、関電の全原発再稼働に対する住民投票条例案を否決して大阪市民の民意を否定しておきながら、他方では、関電大飯原発の再稼働に関しては総選挙の争点にして決着をつけようなどといった詭弁は何が何でも通らない。もし橋下新党がそのような姿勢で「ワンフレーズ選挙」に打って出ようとするのであれば、その瞬間からデマゴーグとしての橋下氏の正体は完膚なきまでに暴露されるであろうし、世論も決してそのような「フレームアップ選挙」を許さないだろう。(つづく)