東北各県知事にそっぽ向かれた「東北再生共同体=東北再生機構創設」提言、河北新報はいかに復興を提言したか(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その30)

「東北が真の自立的復興を遂げるには、東北の域内で政治・経済が完結できる地域主権の実現が不可欠であり、そのためには6県を包括した広域行政組織「東北再生共同体」の創設が必要だ」と訴える河北新報の提言は、言葉こそ美しいが、第5部シリーズの取材記事で見る限り東北各県においては全く相手にされていない。無視されていると言ってもよいぐらいだ。大上段に振りかぶった提言の真意(道州制)が見透かされているためか、それとも提言にメリットが感じられないからか、とにかく「笛吹けど踊らず」といった状態がその後も続いている。

このような状況を「周回遅れ/道州制を警戒、二の足踏む」との見出しで伝える最近の河北新報記事は、その実態は次のように報じている(2012年6月7日、8日、要旨)。

(1)東日本大震災後、東北6県知事が一堂に会したのは、北海道東北地方知事会の定例会が新潟市であった2011年11月の1回だけ。東北の知事だけで話し合う予定は当面ない。

(2)47都道府県を数ブロックに再編し、国と地方の役割を見直す道州制の実現を訴える首長有志が2012年4月に「道州制推進知事・指定都市市長連合」を発足させた。9道府県知事、15政令市長が参加し、東北からは村井嘉浩宮城県知事が発起人に名を連ねたが、東北の他県知事は参加していない。

(3)上記の初会合で、村井知事は「震災を経験し復興を進める中であらためて道州制の必要性を痛感した」と述べ、災害に強い行政システムの構築に道州制導入が不可欠だと強調した。また村井知事は「道州制抜きにまず手をつなごう」と広域連携を呼び掛けるが、その先に道州制が透けて見えるのか、他県は二の足を踏む状態が続く。宮城県道州制をリードして東北の地域間格差がますます拡大することを懸念しているからだ。

(4)宮城県庁で2012年5月末に開かれた北海道東北地方知事会の(広域連合に関する)検討会議においても、出席した各道県の課長級職員は消極的態度に終始し議論が進まなかった。理由は、岩手県福島県は「震災対応で手いっぱい」、秋田県は「東北が足並みをそろえ、広域連合を組織する機運はない」というものだ。

(5)また、2012年1月に河北新報が実施した「(広域連合に関する)6県知事アンケート」においても、吉村山形県知事は「初めから組織を前提にせず、連携の在り方を幅広く検討すべき」、三村青森県知事は「組織設立は時期尚早」、佐藤福島県知事は「本県は震災や原子力災害からの再生が優先」など、各知事は拙速な道州制論議を懸念し、広域組織の設立には冷ややかだった。

このように「東北再生共体創設」提言は、いまや他県知事からは完全にそっぽ向かれている。だから、取材の重点はやむなく他地域の広域連合への動きや広域行政(道州制)推進論者のインタビューに向かうことになるが、そのなかでも特に大きな紙面を割いて紹介されているのが、「東北再生共同体」のモデルとして祭り上げられている関西広域連合の事例だ。

しかし「関西の同床異夢/大義実現へ、機動力を結集」(2012年6月5日)と題する関西広域連合の関連記事には、事実誤認どころか情報操作(ミスリード)ともいうべき重大な問題を含んでいる。具体的には<関電にも対抗>という部分の記事で、道州制に関しては意見の異なる知事たちが関西の発展という大義を実現するため、知事たちは「同床異夢」を承知の上で広域行政へ大きなステップを踏み出した結果、「関電というガリバーに立ち向かえた」ことを強調する成功物語に関する次の部分だ。

関西広域連合が、組織の潜在力を見せつけたエピソードがある。昨年6月、関西広域連合は当時の橋下徹大阪府知事(現大阪市長)が急先鋒(せんぽう)となり、関西電力が発表した15%の節電要請を「のめない」と突っぱねたのだ。「数値の具体的根拠や、関電の努力が示されていない」というのが理由だった。これにより情報公開に後ろ向きだった関電は同年冬の節電要請から、関西広域連合事前協議するようになった。「組織があったからこそ、関電というガリバーに立ち向かえた」との思いは各知事に共通だ。かつては年に3、4回しか顔をそろえることがなかった知事たちが、広域連合設立後は月1回の割合で議論を重ねている。」

だがこの記事が掲載される4日前の5月30日、すでに関西広域連合の首長たちは関電大飯原発の再稼働問題についてのこれまでの反対姿勢を豹変させ、「中立性が確保され、科学的、客観的な判断を行いうる体制を早急に確立すること」、「事故に備え、防災指針、防災基本計画や原子力防災体制を緊急に整備すること」などに関する回答を政府や関電から何ら得られないまま、“原発再稼働容認”の声明を発表していたのである。

その見事な変節ぶりを象徴するのが、これまでの関電に対する強硬姿勢で知られる橋下大阪市長(前府知事)の「まあ、うわべばっかり言っていてもしょうがないんでね。事実上の容認ですよ」(5月31日)という無責任発言だろう。要するに、橋下氏は関電大飯原発の安全性に関する住民の不安に「うわべだけ」同調する振りをしながら、その実は関電や政府のために原発再稼働に道を開く方策を探っていたのである。

このことは言葉の上ではどうあれ、井戸兵庫県知事や山田京都府知事にも基本的に通じることだ。関西広域連合は結局のところ「関電というガリバーに屈した」のであり、大飯原発をはじめとする全国原発の再稼働に道を開く「水先案内人」の役割を果たしたのである。にもかかわらず、河北新報はこの重大な事態を黙殺し、取るに足らない「節電情報公開」を成果のごとく描いた。そして関西広域連合の本質がこれほど露わになったにもかかわらず、「震災からの復興を至上命令とする東北が(広域連合に)ためらう理由はないはずだ」と説いたのである。(つづく)