東日本大震災復興構想会議において政府・財界が村井知事に課した“作戦命令”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その23)

国の復興構想会議において野村総研の名前こそ表に出ることはなかったが、日本経団連経済同友会日本商工会議所などの経済団体代表が第3回会議(4月30日)に招致され、それぞれの公式見解を発表している。なかでも経済同友会の『東日本大震災からの復興についての考え方』は、東日本大震災に乗じて「究極の構造改革道州制」を実現しようとする財界の意図が率直に表明されていて非常に分かりやすい。

経済同友会の見解は、「復興の基本理念」「「東北復興院」(仮称)の創設による司令塔の明確化」「復興財源の確保」「復興計画の具体化」の4項目から構成され、それぞれの項目の中で道州制導入を契機として“究極の構造改革”を進めようとする具体的な主張が網羅されている。とりわけ下記の「復興の基本理念」の内容は、野村総研の一連の提言や宮城県の復興基本方針案と共通する点が多く、まるで「瓜二つ」といってよい。

(1)東北を「新しい日本創生」の先進モデルに
「復興」は震災前の状況に「復旧」させることではない。被害を受けた東日本とりわけ「東北」の復興を、高齢化やグローバル化といったわが国がかねて直面する課題を解決する先進モデルとして、国際競争力ある国内外に誇れる広域経済圏の創生をめざす。

(2)道州制の先行モデルをめざし、東北地域全体を総合的に考える視点を
 復興に際しては、既存の制度や常識にとらわれることなく、従来の各県単位での地域振興策とは全く異なる発想が求められる。すなわち道州制の先行モデルをめざし、東北という地域が主体となって地域としての全体最適を図るものとする。

(3)財政健全化の道筋の上に立った復興計画を
 震災以前からわが国が厳しい財政状況に直面していることに鑑み、復興計画は財政健全化の道筋の中に描かなければならない。したがって、税制・社会保障の一体改革や成長戦略などの諸改革も復興計画と整合性のとれた形で遅滞なく実行する。

 なぜ、財界はかくも道州制の導入に固執し、大災害に乗じて日本の地方自治制度・統治構造を根本から変えようとするのか。それは、新しい国土形成計画の原理である「選択と集中」を実行するには、「国土の均衡ある発展」を担う各県単位の地域振興策が邪魔になるからであり、思い切った国土のリストラを実現できないからである。岩手県のように被災した小漁港を復旧するなどというのは論外であり、宮城県のように拠点漁港を中核にして1/3〜1/5に再編し、「選択と集中」の原理で復興しなければならないというのである。

要するに、「東北という地域=東北州」が主体となって、地域としての「全体最適=集積拠点の形成=条件不利地域の切り捨て」を断行するのが、東北を「新しい日本創生の先進モデル」にするための最適解なのであり、国際競争力ある国内外に誇れる「広域経済圏の創生」をめざす道だというのである。したがって「復興計画の具体化」の項目をみると、そこには宮城県復興基本方針案とソックリの内容がズラリと並んでいる。

(1)街づくり、都市計画
● 土地の利用規制、建築制限、景観規制を早期に導入し、無秩序な乱開発を防止する。その上で、居住地域は高台などの防災に優れた地域に集約し、各種の規制改革を行い、高齢者に優しく、低炭素化に配慮したコンパクトな「スマートシティ」を築く。
● 特区制度や PPP/PFI などを積極的に活用し、国内外からヒト・モノ・カネ・アイデアを集め、先進的なモデル地域を築く。

(2)産業活性化
規制緩和、特区制度、投資減税、各種企業誘致策などあらゆる手段を講じ、民の力を最大限に活かす。
● 部品・素材などの開発・製造拠点が集積する東北の強みは、リスク分散も考えながら、東北地域の中で可能な限り再建を図り、更なる国際競争力の強化を図る。
● 同時に、新エネルギー、防災技術など、地域経済の将来を担う新産業の開発・生産拠点の集積を進める。
第一次産業については、農地の大規模化、他地域の耕作放棄地を活用した集団移転、法人経営の推進、漁港の拠点化など大胆な構造改革を進めることによって、東北の強みを活かしながら、「強い産業」としての再生をめざす。

このように経済同友会の『東日本大震災からの復興についての考え方』は、東日本大震災に乗じて「究極の構造改革道州制」を実現しようとする“日本型ショックドクトリン計画”そのものであり、その基本路線は、震災以前から財界や野村総研などによって準備されていたものであった。そして政府・財界という総司令部の参謀として活躍したのが野村総研であり、“作戦命令”を実行する前線部隊長として起用されたのが他ならぬ村井知事であった。(つづく)