「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」は、宮城県主導の“高台移転・職住分離・多重防御3原則”を実施するための上意下達組織だった、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その55)

震災から僅か2カ月余り、徹頭徹尾、行政の手で設立された「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」(「復興まち協」という)の役割には、驚くなかれ以下のような項目が平然と並んでいた。
雄勝地区の復興ビジョンや地域課題について意見交換を行い、集約し、市に提案する。
②地域住民の連帯と積極的な行動(実践活動)を展開し、雄勝地区の復興に努める。
雄勝地域の復興に向け、各種事業を展開する。

この文章を一読した人は、これが震災直後の雄勝支所から出された復興まちづくり指針の第1号であるという事実に驚愕するのではないか。2百数十名の犠牲者を含めて住民の8割近くが壊滅的な被害を受け、九死に一生を得た被災者が耐えがたい避難生活を強いられているまさにそのとき、まるで災害などなかったかのような調子で「雄勝地区の復興ビジョンを市に提案する」「雄勝地域の復興に向けて各種事業を展開する」といった場違いの方針を提案することなど、まったく“正気の沙汰”とは思われないからだ。

しかし残念ながら、これまで宮城県および石巻市復興計画の分析に当たって度々指摘してきたように、雄勝地区の「復興まち協」は被災者のための復興組織などではさらさらなく、県主導の「高台移転・職住分離・多重防御3原則」を被災地域に受け入れさせるための上意下達の指導組織そのものだった。そのため、被災者の窮状やニーズとは何ら関係なく、ただ上からの至上命令で「復興まち協」が設立されたのである。

この場合の“上意下達ルート”とは、①知事特命チームによる被災沿岸部7市7町の「復興まちづくり計画(原案)」の作成と市町村への具体化指示(2011年4月1日〜21日)→ ②「石巻市震災復興基本方針」の発表(4月27日)→ ③「石巻の都市基盤整備に向けて」の発表(4月29日)→ ④石巻市「まちづくり(都市基盤整備)アンケート」の実施(5月1日〜15日)→ ⑤雄勝地区「復興まち協」の設立(5月20日)という順序で上から下へ降りてきた一直線の指示命令系統を意味する。

その結果「復興まち協」は、会則の作成やメンバーの選考のすべてが雄勝支所の産業廃棄物対策室(の一存)で決められ、事実上の行政直轄組織としてスタートすることになった。「復興まち協」委員36名の内訳は、部落会(地区会)代表10名、漁協4名、商工会2名、硯組合2名、公募委員18名というものである。だがこのメンバー構成をみると、表向きにせよ「復興まち協」が果たして雄勝地区を代表する住民組織としての“正統性”を有するのかどうか、以下のような理由によって重大な疑義が生じる。

(1)震災前人口の3/4が町外に離散して部落会(地区会)や漁協・商工会など全ての地域組織が機能不全に陥り、互いの連絡も取れない(支所が互いの住所すら教えない)非常事態の下で、それらの代表を「復興まち協」のメンバーに選んだとしても団体構成員の要求や意見を反映できないのではないか。

(2)「復興まち協」の会則第4条には、「本会の会員(委員)は、雄勝地区会及び仮設住宅自治会並びに本会の目的に賛同する各種団体等で構成する」とあるが、委員全体の1/2を占める個人資格の(それも雄勝地区住民であるかないかを問わない)“公募委員”18名はいったい誰を代表するメンバーとして参加するのか。

(3)会則には規定のない“アドバイザー”2名が委員名簿に掲載されているが、この人たちはどのような根拠と資格で議論に参加するのか。

(4)団体代表と個人資格の公募委員が同数を占める「復興まち協」は、いったいどのような方法で意思決定するのか。また高台移転計画など雄勝地区の将来を左右するかも知れない重大な「復興ビジョン」に関する提案を、公募委員が半数を占める「復興まち協」に委ねてよいのか、などなど。

だが、こんな地方自治・地域民主主義の原則にかかわる議論は、高台移転計画をとにかく早く決めればよいとする事務局(産業廃棄物対策室)にとってはどうでもよいことだったのであろう。「復興まち協」の発足から僅か2ヶ月足らずで高台移転促進を方針とする「要望書」が議論らしい議論もないままに事務局とアドバイザーの手によってまとめられ、予定通り市長に提出された(7月29日)。

この間、それらの内容が各委員を通して所属団体で議論されることは一度もなかった(議論できる条件がそもそもなかった)。地区会のほとんどは住民の離散ですでに崩壊していたし、地区会委員(区長)の発言も一部委員を除いて皆無だった。また支所の広報等を通して、「復興まち協」での審議状況が被災者や住民に知らされることもなかった。それでも要望書の方針にしたがって各部落で高台移転計画の作業が始まったとき、事務局(産業廃棄物対策室)とアドバイザーは「要望書」を“錦の御旗”にして高台移転を推進したのである。

 だが、「要望書」をまとめるにあたって行われた「全世帯アンケート調査」(2011年7月)においては、高台移転が被災者の主たる希望でなく、「以前の地区に住みたい」とする希望が6割近くにも達していた。なぜ事務局とアドバイザーはこのような被災者の希望に反する高台移転を「要望書」の結論にしたのであろうか。(つづく)