なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(三)、防災集団移転促進事業計画の強行は“復興ファッシズム“に転化する、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(12)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その46)

建築基準法第39条に「災害危険区域」に関する条文がある。その内容は、「1.地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる」、「2.災害危険区域内における住居の用に供する建築物の禁止その他建築物の建築に関する制限で災害防止上必要なものは、前項の条例で定める」というものだ。

「災害危険区域」は、伊勢湾台風(1959年9月)で多数の犠牲者を出した名古屋市の「名古屋市臨海防災区域建築条例」(1961年6月)を参考にして出来たものだ。しかし、名古屋市の建築条例は「災害危険区域=防災区域」を4種類に分け、それぞれの区域ごとに建築物の1階の床高や構造、2階以上に居室設置などを規定しているにすぎない。「危険だから建物を堅固にする」ということはあっても、「危険だから非居住区域に指定する」という発想はもともとなかったのである。

ただし全国の「災害危険区域」のなかには、豪雨時の山崩れや土石流の発生など局地的な災害可能性が見込まれる区域もあり、そのための防災措置として「防災のための集団移転促進事業に係る国の財政上の特別措置等に関する法律」(1972年10月)が制定された。そして「災害危険区域のうち、住民の居住に適当でないと認められる区域内にある住居の集団的移転を促進するため、地方公共団体が行なう集団移転促進事業に係る経費に対する国の財政上の特別措置等について定めるものとする」とされた。

留意すべきは、集団移転促進事業の規模が「10戸以上」(東日本大震災の場合は5戸以上)とあるように、集団移転促進事業はもともと小規模なものであり、山間地や河川敷あるいは沿岸部の“小集落“を対象としたものであったことだ。したがって、移転場所も従前の居住地からそれほど離れていない近傍の適地が想定され、これまでの仕事や生活を継続できる場所が移転地として選定されてきた。

このことは、今までの事業実績によっても証明できる。国交省の「防災集団移転促進事業実施状況」によれば、1972〜2006年度の15年間に全国で35事業が実施され、移転戸数合計は1834戸、1事業あたりの平均移転戸数52戸だった。35事業のうち移転戸数が100戸を超えるのは4事業しかなく(九州大雨災害176戸、329戸、三宅島噴火災害301戸、有珠山噴火災害152戸)、これら4事業を除くと平均移転戸数は28戸という小規模なものだ。

移転事業が局地的な“スポット事業”(点事業)であることを反映して、防災集団移転促進事業特別措置法の第4条(市町村の配慮事項)には、「市町村は、集団移転促進事業計画の策定に当たつては、移転促進区域内の住民の意向を尊重するとともに、移転促進区域内にあるすべての住居が移転されることとなるように配慮しなければならない」とする条文がある。これは「みんな揃って危ない場所から安全な場所に移転する」という“小集落移転事業”の趣旨を反映したもので、東日本大震災においても近傍に適当な移転場所がある場合には選択的に大いに活用されてよい。

だが問題なのは、石巻市の場合はこの“選択事業”が復興計画の“基幹事業”になっていることだ。石巻市の防災集団移転促進事業(以下、防集事業という)の計画は63地区6900世帯に上り、1市だけで宮城県全体の110地区1万3000世帯の過半数を占めている。この規模がどれだけ「桁外れ」で「法外」なものであるかは、岩手県8市町村70地区4200世帯、福島県6市町30地区1700世帯と比べても一目瞭然だろう。実に岩手県の1.5倍、福島県の4倍の防集事業を石巻市1市がやろうというのである。 

しかし、これだけ大規模の防集事業を期限内にこなそうとすると、浸水地域はことごとく「災害危険区域」に指定して一律的に建築規制(禁止)をかけ、「高台移転」を遮二無二強行しなければならなくなる。住民の意向を十分に尊重し、周囲の地形条件なども慎重に勘案して選択的に実施しなければならない事業を、画一的・強権的にこなさなければ石巻市の復興計画が成り立たない構造になっているのである。

この事態は、計画や工事を請け負うゼネコンや土木系コンサルにとっては朗報であるかもしれないが(最近、石巻市の復興事業計画を受注した某コンサル会社の株価が大幅に上がった)、被災者や住民にとっては“復興ファッシズム“ともいうべき新たな事態の到来を意味する。これらの実態についてはいずれ現地調査に基づいて明らかにするつもりだが、これまでの雄勝の復興まちづくりをめぐる市当局・雄勝支所の対応をフォローするだけでも、「これが被災自治体のすることか」と思えるほど強権的・官僚的体質が浮かび上がってくる。

だが菅前首相の「思いつき発言」にはじまり、ゼネコンや土木系コンサルが一丸となって推進してきた「高台移転プロジェクト」は、その政策コンセプトの誤りからいまや事業自体が一向に進展しないという重大な局面に遭遇している。政府が2011年度予算で計上した東日本大震災の復興費約15兆円のうち約4割が執行されず、なかでも集団移転などに使えるお金として国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」1兆6千億はそのほとんどが執行できないという状況に陥り、1兆3千億円を繰り越す破目になったのだ。

復興予算の大半を所管する国交省は予算の未執行状況に危機感を抱き、とりわけ防災集団移転促進事業の「促進」に乗り出した。2012年5月には国交省から『東日本大震災の被災地で行われる防災集団移転促進事業パンフレット』が発行され、同都市局安全課からは『集団移転促進事業計画作成マニュアル』が出された。前者のパンフレットには、同事業の特徴として「強制力のない任意事業なので、事業の実施には、関係する被災者の事業に対する理解と合意が不可欠です」と特記され、担当課が躍起となって事業の消化を督励している。

だがこのパンフやマニュアルは、「強制力のない任意事業」をあたかも「強制力のある法定事業」のごとく運用してきた石巻市には“両刃の刃“としてこれから作用することになるだろう。石巻市の“復興ファッシズム“の実態は、宮城県議会はもとより国会においても取り上げられ、被災者をさらなる“復興地獄”に突き落とす危険を未然に防がなくてはならない。そして住民主体の復興まちづくりを切り開かなくてはならない。(つづく)