再録『ねっとわーく京都』2012年7月号、復興の本旨は住み続けながら命を守ること〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その2)、岩手県の場合〜(広原盛明の聞知見考、第18回)

スピーディな計画、スローな復興
東日本大震災1周年余を迎えた現在、被災地域の復興は著しく遅れているといわれる。だが、復興計画の策定に関しては必ずしもそうではない。地元紙『岩手日報』の報道によると、岩手県の被災12沿岸市町村の復興計画は、洋野町(2011年6月)、久慈市(7月)、普代村田野畑村・岩泉町(9月)、宮古市・大船渡市(10月)、野田村(11月)、山田町・大槌町釜石市陸前高田市(12月)の順で、全市町村の復興計画がすでに昨年内に策定されている(京都市立図書館では『岩手日報』『河北新報』『福島民報』の東北3紙が閲覧可能)。
この状況は被災規模が小さかった自治体の復興計画であればまだしも、在住人口の数%から10%にも及ぶ未曾有の犠牲者を出した大槌町陸前高田市・山田町までが僅か10か月足らずの期間で計画策定を終えているのだから、どう考えてみても“驚異的なスピード”(異常な速さ)という他はない。きっと年内に復興計画を策定しなければ予算請求が出来ないとか、予算がつかないとかの強い圧力が上からかかったためだろう。
一般的にいって、災害復興計画の策定は早いに越したことはないと思われている。ただし、それは計画の中身が被災者や住民のニーズ(要求)に根差したものであり、かつ住民の参画や合意を得て策定された場合のことだ。復興計画が国や県の策定マニュアルに沿って市町村が必要事項を記入しただけのものだったとしたら、本来の復興が却って「拙速主義の計画」に縛られることになりかねない。
この点に関しては、阪神淡路大震災における神戸市の「苦い経験」がある。神戸市都市計画局は、驚くべきことに震災発生の翌日から被災者の救出を尻目に復興計画の策定調査に奔走し、住民の被災状態の把握よりも都市計画決定に必要な倒壊・焼失建物の調査を優先した。当時、酷寒の避難所で生活していた市民の間からは激しい批判と反対運動が湧き起こり、都市計画審議会が開催された会場周辺では住民が「人間の鎖」をつくって計画を阻止しようとした。だが、神戸市はそれらの人びとをゴボウ抜きにして計画決定を強行し(震災発生1月17日、都市計画決定3月17日)、建設省からは“電光石火”の計画決定として評価されたものの、神戸市民には深い傷跡を残した。

復興計画の主体は市町村のはずだ
東日本大震災復興対策本部(復興庁の前身)は、『東日本大震災からの復興の基本方針』(2011年7月)のなかで「基本的な考え方」について次のように述べている。
東日本大震災からの復興を担う行政主体は、住民に最も身近で地域の特性を理解している市町村が基本となるものとする。国は、復興の基本方針を示しつつ市町村が能力を最大限発揮できるよう、現場の意向を踏まえ、財政、人材、ノウハウ等の面から必要な制度設計や支援を責任を持って実施するものとする。県は、被災地域の復興に当たって広域的な施策を実施するとともに、市町村の実態を踏まえ、市町村に関する連絡調整や市町村の行政機能の補完等の役割を担うものとする。」
 この基本方針を文字通り読めば、市町村こそが復興を担う行政主体であり、国はそれを支える責任を持ち、県は国と市町村あるいは市町村間の連絡調整などの補完的役割を果たすということになる。復興計画も市町村主体で策定されるのであれば、被害状況や被災者の要求に応じて計画内容も策定期間も異なることは当然であり、岩手県の場合のように被災12市町村の復興計画が一定期間内に一斉に策定されることなどあり得ない。にもかかわらず、市町村の復興計画がかくも粛々と進行するのはなぜか。
 最大の理由は、復興庁が「地方公共団体が自ら策定する復興プランの下、復興に必要な各種施策が展開できる使い勝手のよい自由度の高い交付金を創設する」(同上)との基本方針を表明しているにもかかわらず、現実には財務省や各省庁の意向(妨害)によって「使い勝手のよい交付金」の創設が空文化しているからである。復興庁が財務省の壁と各省庁の強固な縄張りを崩せないために、県や市町村は従前と同じく関係省庁に復興予算の陳情や折衝を繰り返さざるを得ないのである。
そうなると、復興予算の中核となる防潮堤建設、地盤嵩上げ、高台移転などの諸施策が国土交通省の所管である以上、県や市町村は国の基準や申請手続きにしたがって事業計画をつくり、実質的には国土交通省の指示に基づいて復興計画をつくることになる。「住民に最も身近で地域の特性を理解している市町村」が復興計画をつくるのではなくて、実際には国が用意した復興事業メニューのなかから県が利用できる事業を選択し、それを市町村に提示して復興計画をつくらせるという順序で策定作業が進むことになるのである。


防潮堤・嵩上げ・高台移転の “多重防御3点セット” が復興計画なのか
 被災12市町村の復興計画の内容を子細に検討すると、各市町村によって「復興コンセプト」(復興についての基本的考え方)は異なるとはいえ、その中核となる復興事業については、“土木事業偏重主義”ともいうべき画一的性格が共通している。なかでも防潮堤・地盤嵩上げ・高台移転の“多重防御3点セット”は、被災規模の大きい市町村でほぼ共通して採用されている復興事業メニューであり、いわば復興計画の基幹事業との取り扱いだ。
 このことはひとり私だけの印象ではなく、被災地の復興まちづくりのために現地で努力している多くの研究者や専門家が共有している認識でもある。たとえば、今年4月に東京で開かれたあるNPО法人主催の『復興の現場から〜被災後1年の今』と題するシンポジウムでは、基調報告に立った弘前大学教授が次のような懸念と問題点を率直に披露した(要旨)。
 「私は幾つかの自治体の復興計画を手伝っているが、問題が多い。企画部門と事業部門が縦割りで総合化されないまま計画書だけが出来ていく。土木的な基幹事業にのみ関心が向けられ、その選択に議論が集中する。そうこうするうちに高台移転なのか現地復興なのか、自力再建なのか復興公営住宅なのかといった両極のいずれかの選択を住民に迫るような動きが加速される。土木的事業に押されて雇用や教育、福祉の検討が進まないまま復興の総合性が失われていく。国交省と他の省庁の施策に距離があって、水産や農業、中心市街地再生の検討が遅れる。国交省内でさえ都市局と住宅局の距離が埋まらない。言い出せば切りがない。」
 また、フロアーで一連の報告と議論を聞いていた国交省のある官僚も、「今問題と考えているのは、生産活動が危機的状況で企業倒産が続出しかねないことだ。基盤整備問題と産業復興問題が一緒に検討されておらず、国交省経産省農水省との事業の摺り合わせが出来ていない。そういった作業をする専門家への支援もうまく組み立てられていない」など、担当者自身が同様の発言をしている。

国の復興構想会議の『提言』が発端だった
 このような土木事業偏重の「ワンパターン復興計画」は、明らかに国の東日本大震災復興構想会議の提言、『復興への提言〜悲惨のなかの希望〜』(2011年6月)に沿ったものであり、そのなかの「地域の将来像を見据えた復興プラン」を参考にしたものだろう。「類型3、斜面が海岸にせまり、平地の少ない市街地および集落」のケースでは、次のような復興プランが提示されている。
「斜面が海岸にせまり平地の少ない市街地や集落については、地域全体に甚大な被害が発生する可能性がある。そこでは、海岸部後背地の宅地造成を行うことなどにより住居などを高台に移転することを基本とする。平地においては、産業機能のみを立地させ、住居の建築を制限する土地利用規制を導入すべきである。また、産業関係者の避難のための施設を建設せねばならない。さらに高齢化にともない、集落維持が困難なケースについては、集落の再編が課題になり得る。また、地形により防災対策を実施することが容易と考えられる地域を重点的に再整備することも検討すべきである。」
津波対策を単に「フィジカル・プランニング」(物的計画=土木計画)の観点から(のみ)考えるのであれば、この復興プランは一定の合理性を持っているのかもしれない。防波堤・防潮堤など「線」的な海岸保全施設で津波を防げるとしていた従来の考え方を修正して、「多重防御」すなわち防波堤、防潮堤、二線堤、地盤嵩上げ、高台移転などの多様な対策を組み合わせ、さらに土地利用規制・建築規制など「面」的な対策を併用することによって、津波対策を総合的に講じなければならないとする考え方だ。
しかし、「多重防御」の概念が土木施設整備の組み合わせに限定されるだけならまだしも、それが「住居の建築を制限する土地利用規制を導入すべきである」との方針のもとに、被災地域の少なくない範囲が「建築規制区域=非居住区域」に指定されるとなると、ことは只事ではない。なぜなら、土地利用や建築行為に対する規制は津波対策だけで決められるものではなく、沿岸部の限られた土地をどのように利用するかは、住民の暮らしをどう立て直すかということと深くかかわっているからである。

“高台移転”を前提とする復興パターンへの疑問
岩手県の沿岸市町村の復興計画は、こと水産施設に関しては「漁港は水産業の復興に不可欠な施設として現位置で再生する」という“現地復興”の原則が貫かれている。これは、宮城県が「被災漁協を1/3〜1/5に集約し、水産特区を創設して漁業権を民営化して、民間資本の導入を図る」との構造改革的リストラ計画案を打ち出したことと比較すれば、「なりわいの再生」を希求する地元の要求に応じた復興計画として大いに評価できる。漁港を中核にして歴史的に形成されてきた漁村・市街地から肝心かなめの漁港がなくなれば、多くの被災沿岸地域は消滅する他はないからである。
 だが、もうひとつの生活再建の基礎である居住地の復興に関しては、計画の基本方針が必ずしも十分に整理されておらず疑問点も多い。岩手県津波対策の基本は、数十年から百数十年に1度の「頻度の高い津波」(レベル1)には防潮堤で対応し、それを超える数百年から千年に1度の「最大クラスの津波」(レベル2)に対しては、地盤嵩上げ、高台移転、避難対策などハード・ソフトの「多重防御」で対応することになっている。
しかし、今回は「最大クラスの津波」(レベル2)に襲われた直後であるため、市町村の居住地復興計画はすべて多重防御を前提にして組み立てられている。たとえば、ある自治体では高台移転を前提にした複数の「復興パターン」を被災者に提示し、そのなかのいずれかのパターンを住民に選択させるという方法で復興計画の策定が進められている。その復興パターンとは以下のようなものだ。
(1)高台整備パターン:市街地・集落を「浸水地域=嵩上げ区域」と「被災地域=非居住区域」に2分し、非居住区域の住民は高台に移転する。
(2)背後地移転パターン:市街地・集落を「非被災地域=現状踏襲」と「被災地域=非居住区域」に2分し、非居住区域の住民は背後地に移転する。
(3)高台整備+背後地移転パターン:市街地・集落を「非被災地域=現状踏襲」「浸水地域=嵩上げ区域」「被災地域=非居住区域」に3分し、非居住区域の住民は高台と背後地に移転する。
つまりこれらの復興パターンは、すべて浸水地域を除く被災地域を広範囲にわたって非居住区域に指定し、当該区域の住民を高台移転・背後地移転させることが復興計画の前提になっており、そこには被災地域を“現地復興”させるという選択肢が用意されていないのである。

「高台移転=陸の孤島限界集落」への懸念
だが懸念される事態は、それらが住民の私権・財産権(憲法29条)の制限や居住・移転・職業選択の自由に関する基本的人権憲法22条)を侵害するおそれがあるばかりではない。非居住区域の設定にもとづく高台移転は、このままでいけば「陸の孤島化」「限界集落化」の引き金となり、被災地域の息の根を止める“復興災害”の元凶になるかもしれないのである。
被災地域を非居住地化し、高台移転することの「メリット」(津波災害の回避)と「デメリット」(生活困難)を冷静に比較検討すると、そこには各市町村の復興計画でほとんど言及されることのない容易ならざる事態が見えてくる。たとえば、
(1)急峻な後背地にまとまった規模の高台を造成することは困難なので、小規模で孤立しやすい高台居住地があちこちに分散することになる。
(2)高台造成工事には崖崩れ防止対策も含めて膨大な時間とコストがかかり、疲弊した市町村財政を長期にわたって圧迫する。高台間の連絡道路の整備は事実上難しい。
(3)高台と海辺との距離が遠くなれば、水産業従事者の仕事に多大な支障が生じる。海が近くに見えなければ漁師は仕事ができない。
(4)高齢者は急勾配の道によって海辺との行き来を阻まれ、交通弱者になって孤立するおそれが大きい。訪問介護・救急医療・各種福祉サービスなどの供給が困難になる。
(5)小規模・分散型の高台居住地から(移転先の)学校・病院・商店などに至る交通動線が必然的に長くなり、通学・通院・買い物など日常生活上の不便が飛躍的に増大する。
要するに、一方では漁港を中心にして形成されてきたコンパクトな市街地・集落の中心部が非居住地化(空洞化)されて「まちの賑わい」が失われ、他方では高台居住地の「陸の孤島化」「限界集落化」が進むとなれば、被災地域は“海と山”の両方から地域衰退・地域崩壊が一気に進むおそれがあるのである。

命を守ること、住むことを峻別しなければならない
 居住地の復興計画に関してかくなる問題が生じる背景には、行政当局にとっても、また少なくない被災者にとっても、「命を守る」ことと「住む」ことが同一視(混同)され、それに必要な対策が質的に異なることが峻別されていないからだ、と私は考えている。
確かに「住む」ことが同時に「命を守る」ことにつながれば、これほど望ましい居住地の姿はない。しかし、国の中央防災会議が最近公表した『防災対策推進検討会議中間報告〜東日本大震災の教訓を活かし、ゆるぎない日本の再構築を〜』(2012年3月)の指摘にもあるように、「我が国は、都市の多くが沖積平野に位置し、国土の約10%の浸水想定区域に人口の約50%、資産の約70%が集中しているといった社会条件が相まって、水害、土砂災害、高潮災害等の災害が発生しやすい国土」であるから、居住地がすべて安全であるとは限らない。むしろ日本列島の沿岸地域住民(総人口の約半数)は、すべて災害危険と同居しながら暮らしている、と言った方が正しいのである。
 この厳しい現実は、同じ中央防災会議の有識者検討会がこの3月末に発表した「南海トラフ巨大地震」の新たな想定によってさらに明白になった。震度7の激震予想地域は10県153市町村に及び、総面積は中央防災会議が2003年に想定した面積の23倍に一挙に拡大した。津波高は最大34メートル、従来の想定にはなかった20メートル以上の津波が来る可能性がある地点は6都県23市町村に広がったのである。また震度6弱以上の恐れがある地域は24府県687市町村に及び、総面積は2003年想定の3.3倍、震度6強以上になる地域も5.6倍に拡大した。
有識者検討会の阿部会長は、「国の中央防災会議は数十年ごとに繰り返す津波をレベル1、千年に1度と稀だが被害が甚大な津波をレベル2とし、2段階で備えるよう提言した。レベル1では防潮堤を築き人命と財産を守る。レベル2では避難を促し、少なくとも人名は守るという考え方だ」と述べている(日経、2012年5月13日)。
「被災地域=非居住地化」という発想は、実は「災害から命を守るためには、そこに住むことを犠牲にしなければならない」という単純極まる乱暴な議論なのではないか。この程度の発想なら素人でもできるし、およそ復興計画という名には値しない。“住み続けながら命を守る”方策を絞り出してこそ、はじめて本当の復興まちづくりだと言えるのである。
なぜなら地震津波などの自然災害は、非常時の現象であって日常的に起こるわけではない。だから災害から「命を守る」ことは非常事態に対応する体制を整えておくこと、すなわち徹底した「避難体制の構築」が基本になる。これに対して「住む」ことは日常生活の基本であるから、日常時の生活利便性や快適性などの確保を中心に考えなければならない。このことを峻別しながら統一することにこそ“復興計画の本旨”があるのであって、このことを放棄した「被災地域=非居住地化」といった安易な発想は、「盥(たらい)の水とともに赤子を流す」ことになりかねない。

建築基準法第39条、災害危険区域指定の問題点
建築基準法第39条に「災害危険区域」に関する条文がある。その内容は、「1.地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる」、「2.災害危険区域内における住居の用に供する建築物の禁止その他建築物の建築に関する制限で災害防止上必要なものは、前項の条例で定める」というものだ。宮城県はもとより画一的な建築規制に慎重だった岩手県でも、最近では建築基準法第39条にもとづく災害危険区域を指定して建築規制に乗り出そうとしている。被災12市町村の復興計画で非居住区域の指定が相次いでいるのはそのためだ。
だが私は、今回のように「災害危険区域=非居住区域」を大々的に導入した例は寡聞にして知らない。最も有名なのは、伊勢湾台風(1959年9月)で多数の犠牲者を出した名古屋市の「名古屋市臨海防災区域建築条例」(1961年6月)だが、同条例においては防災区域を4種類に分け、それぞれの区域ごとに建築物の1階の床高や構造、2階以上に居室設置などを規定しているにすぎない。「非居住区域」を指定して、そこから“住民を追い出す”といった防災計画は、到底住民には受け入れられないからだ。
それではどうすればよいのか。それを解くカギは、他ならぬ政府文書のなかにある。国土交通省社会資本整備審議会の緊急提言『津波防災まちづくりの考え方』(2011年7月)のなかには、「地域住民の生活基盤となっている産業や都市機能、コミュニティ・商店街、さらには歴史・文化・伝統などを生かしつつ、津波のリスクと共存することで地域の再生・活性化を目指す」との注目すべき一節がある。この“津波のリスクと共存”という防災まちづくりの考え方は、“減災”という防災対策の考え方にもとづくものであり、「日頃は津波のリスクと共存しながらも、いざという時には逃げられるようにする」ことに他ならない。
また、「上記の考え方に照らして今後解決すべき課題」(同上)として掲げられた以下の方針も注目される。
津波被害が想定される沿岸地域は、一般的に市街化が進んだ都市的機能が集中するエリアであることから、今後検討する土地利用については、一律的な規制ではなく、立地場所の津波に対する安全度等を踏まえて、市街化や土地利用の現状、地域の再生・活性化の方向性を含めたまちづくりの方針など多様な地域の実態・ニーズに適合し、また津波防災のための施設整備等の進捗状況に応じた見直し(解除や制限緩和等)も可能にするような制度とすることが求められる。」
「過去の津波災害でも高台への移転が行われ、一定の効果を挙げた例があるが、被害が広範囲に渡る場合の移転先には限りがあり、また暮らしを元に戻すために平地を利用したまちづくりを求める意見も多い。そこで津波防災まちづくりにおいては、防災・減災対策を充実させることはもちろん、地域コミュニティ・商店街や歴史・文化・伝統などを大切にしつつ、生活基盤となる住居や地域の産業、都市機能等が確保され、地域の再生と活性化が展望できるまちづくりとすることが重要である。」
要するにここで言われていることは、防潮堤・地盤嵩上げ・高台造成の多重防御3点セットが決して復興まちづくりの「金科玉条」ではないということだ。“減災”という防災対策の考え方と“津波のリスクと共存”という防災まちづくりの考え方に立てば、沿岸部の貴重な土地をもっと有効に利用できる方策が必ず見つかるはずだからである。

●補注:ゼネコン系土木コンサルタントの手を借りた復興計画は、「土木事業博物館」をつくっても復興まちづくりにはつながらない。