なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(二)、住民の基本的人権、“職業選択の自由、居住と移転の自由”を否定する「3点セット復興計画」、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(11)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その45)

 復興まちづくりの方向をめぐる被災者・住民対立の背景には、同じ地域に居住しながらも職業や働き場所、生活圏の違いなど生活様式が多様化しているという現実がある。前近代社会(封建社会)は、職業・身分・居住場所が三位一体的に固定され、それが社会と空間の封建的秩序を規定していた。しかし、資本主義経済の発展は、封建的秩序を破壊することによって職業・身分・居住場所の流動化をもたらし、新しい近代的秩序を生み出した。

 日本国憲法第22条第1項は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」として、日本国民がどのような職業を選ぶか、どこに住むかという基本的人権を保障している。震災復興まちづくりにおいても、日本国憲法にもとづく基本的人権が尊重されなければならないことはいうまでもない。

 したがって、たとえば「雄勝町地区を離れて他の町に移り住みたい」、「雄勝町地区に残って住み続けたい」というまったく正反対の意見であっても(これはフクシマ原発災害からの避難の場合も同じだ)、両者とも被災者・住民の正当かつ基本的な要求として全面的に尊重されなければならない。異なる(対立する)意見や要求に柔軟に対応できる復興まちづくり計画こそが、「住民本位・住民主体の復興まちづくり」といえるのである。

 この点、宮城県石巻市が強行しようとしている高台移転・職住分離・多重防御を原則とする画一的な「3点セット復興計画」は、“どんな仕事をするか”、“どこに住むか”(住み続けるか、移転するか)という被災者・住民の基本的人権、すなわち「職業選択の自由」、「居住・移転の自由」を否定するものであり、許されるものではない。

県や市の言い分は、おそらく「公共の福祉に反しない限り」という憲法第22条の但し書きを根拠にして、「公共の福祉→生命の安全を守る→被災地の建築規制・居住禁止→高台移転」という論理で3点セット計画を正当化しているのであろう。だが、生命の安全を守ることと被災地を居住禁止にすることとは同義ではない。「被災地域=非居住地化」という発想は、実は「災害から命を守るためには、そこに住むことを犠牲にしなければならない」という単純極まる乱暴な議論なのであって、およそ復興計画という名には値しない。“住み続けながら命を守る”方策を絞り出してこそ、はじめて本当の復興まちづくりだと言えるのである。

私がコラムを書いている月刊雑誌・『ねっとわーく京都』(かもがわ出版)においても、これまですでに10回近く東日本大震災関連のテーマを取り上げてきた。たとえば、「津波跡地に家を建ててはいけないのか〜人間にとって“住むこと”の意味〜(その1)」(2011年8月号)、「原発周辺地域に人は住めないのか〜人間にとって“住むこと”の意味〜(その2)」(2011年9月号)、「復興の本旨は住む続けながら命を守ること」(2012年7月号)などがそれだ。 
確かに「住む」ことが同時に「命を守る」ことにつながれば、これほど望ましい居住地の姿はない。しかし、国の中央防災会議が最近公表した『防災対策推進検討会議中間報告〜東日本大震災の教訓を活かし、ゆるぎない日本の再構築を〜』(2012年3月)の指摘にもあるように、「我が国は、都市の多くが沖積平野に位置し、国土の約10%の浸水想定区域に人口の約50%、資産の約70%が集中しているといった社会条件が相まって、水害、土砂災害、高潮災害等の災害が発生しやすい国土」であるから、居住地がすべて安全であるとは限らない。むしろ日本列島の沿岸地域住民(総人口の約半数)は、すべて災害危険と同居しながら暮らしている、と言った方が正しいのである。 
この厳しい現実は、同じ中央防災会議の有識者検討会がこの3月末に発表した「南海トラフ巨大地震」の新たな想定によってさらに明白になった。震度7の激震予想地域は10県153市町村に及び、総面積は中央防災会議が2003年に想定した面積の23倍に一挙に拡大した。津波高は最大34メートル、従来の想定にはなかった20メートル以上の津波が来る可能性がある地点は6都県23市町村に広がったのである。また震度6弱以上の恐れがある地域は24府県687市町村に及び、総面積は2003年想定の3.3倍、震度6強以上になる地域も5.6倍に拡大した。「津波に襲われる」という理由で沿岸地域を居住禁止区域に指定したら、日本人は住むところが無くなってしまうのだ。

このことをもう少し敷衍(ふえん)すると、「命を守る」ことには“狭義”(狭く限定された意味)と“広義”(広く発展させた意味)の2つの意味がある。県や市が言うのは前者の狭い意味であり、要するに地震津波が発生したときに「死なない」ということでしかない。しかし、私たちは日々働いて生きていかなければならないし、子どもを育て、高齢者の生活を見守っていかなければならない。これが広い意味での「命を守る」ことであり、「住む」ことの意味である。生命の安全を守ることを理由にして被災地を居住禁止にすることは、「小の虫を生かすために大の虫を殺す」ことであり、別の言葉で言えば、「盥(たらい)の水とともに赤子を流す」ことに他ならない。(つづく)