なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(七)、ふたたび“世界の復興モデル都市”の可能性について、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(16)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その50)

 私はこの石巻市シリーズの冒頭で、「最大の被災都市から世界の復興モデル都市石巻を目指して」という石巻市震災復興計画のサブタイトルにこそ、“石巻市の悲劇”のすべてが凝縮されていると書いた。その理由は、「最大の被災都市」から「世界の復興モデル都市」への道程はあまりにも遠く、道半ばにして石巻市は「最大の被災都市」から「最大の難民都市」へ、そして「最大の棄民都市」へと転落していく可能性が大きいからだ。

石巻市がいやしくも“世界の復興モデル都市”を目標に掲げるのであれば、震災復興計画のどこが「世界モデル」になり得るのか、その理念・目標・内容・方法などを示すことが求められる。だが、石巻市の復興計画を何回読み返してみても、どこにも「それらしき」内容は見当たらない。たとえば、「復興の基本理念」(第2章、復興の基本的な考え方、約1000字)についてみれば、そこにはどの自治体の復興計画でも枕詞になっている「災害に強いまちづくり」「産業・経済の再生」「絆と協働の共鳴社会づくり」という3つの基本理念(というよりは施策項目)が箇条書きに列記されているだけで、「世界の復興モデル」に関する理念はどこを探しても見当たらないのである。

“モデル”という言葉は、「目標とする理想像」、「お手本とすべき模範」、「準拠すべき規範」などを意味する。いずれも余程の見識と自信がなければ使えない言葉である。それも“世界モデル”となると、「世界のお手本」を意味することになるので滅多に使えない。だから、今回の東日本大震災において不遜にも「世界の復興モデル」を標榜したのは、おそらく石巻市だけではなかったか。だが、それが表紙のサブタイトルに過ぎず、(市長の)単なる思いつきのキャッチコピーだとしたら、これほど被災者や市民を馬鹿にした恥ずかしいネーミングはない。復興計画にかかわった市当局の面々も、そして全会一致で復興計画に賛成した市議会の面々も胸に手を当ててよく考えてほしい。

しかし現実の問題として、石巻市がすでに「世界の復興モデル都市」という目標を公表した以上、石巻市は、世界が注目する東日本大震災からの復興を理論的にも実践的にもリードする義務と責任を背負ったということになる。そして、もし「看板に偽りあり」ということになれば、市長以下市当局や市議会の政治的・社会的責任は到底免れないというべきだ。

私が思うに、石巻市はせめても国連人間環境会議の「人間環境宣言」(1972年ストックホルム宣言)や国連の「環境と開発に関する世界委員会報告」(1987年ブルントラント報告)といった基本文献を参考にすべきであった。その一節を参考にするだけでも、これほど「看板に偽りあり」の酷い計画にはならなかったはずだ。たとえば「人間環境宣言」は、次のような人間環境の保全と向上に関する共通理解と原則を示している。

「人は環境の創造物であると同時に環境の形成者である。環境は人間の生存を支えるとともに、知的、道徳的、社会的、精神的な成長の機会を与えている。地球上での人類の苦難に満ちた長い進化の過程で、人は科学技術の加速度的な進歩により自らの環境を無数の方法と前例のない規模で変革する力を得る段階に達した。自然のままの環境と人によって作られた環境は、共に人間の福祉、基本的人権ひいては、生存権そのものの享受のため基本的に重要である」(人間環境宣言の冒頭部分)。

また「環境と開発に関する世界委員会」の最終報告書、『地球の未来を守るために』(邦訳)においては、“持続可能な開発”が中心的概念として提起され、現代の世代が将来の世代の利益や要求を充足する能力を損なわない範囲内で環境を利用し、要求を満たしていこうとする開発理念が強調されている。そして、持続可能な開発が行われることで持続可能性を持った社会を“持続可能な社会”といい、開発と社会は地域の持続的発展にとって不可分な関係にあることが示されている。

これらの「人間環境」や「持続可能な開発」に関する理念は、これまでも少子高齢化と過疎化が進み、今回の大災害によって地域や社会が危急存亡の危機に直面している被災地にとっては、何物にも代えがたい復興理念だといわなければならない。高台移転のような自然法則を無視した土木開発は必ずや二次災害の原因になるだろうし、「選択と集中」の原理に基づく漁港や居住地の再編はさらに広大な未利用地と放棄地を生み出して地域を荒廃させるだけだ。

被災者の生活再建やなりわいの再生を重視する復興計画は、「人間環境」や「持続可能な開発」の理念を実現する「スマートな復興計画」(賢明な復興計画)そのものであり、何にもまして三陸沿岸地域の復興コンセプトにふさわしい。次回は、石巻復興計画の「第4章、地区別整備方針」を検討して宮城県訪問記の締めくくりとしたい。(つづく)