なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(最終回)、人口の流出を食い止めることこそが本当の復興計画だ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(17)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その51)

 石巻市が「世界の復興モデル都市」を目指すことの是非は別にして、「(世界最大級の)被災都市」であることは間違いない。いま改めて被害状況を振り返ってみても、その凄まじいまでの数字は言葉を失うばかりだ。(『石巻市の復興状況について』、石巻市、2012年5月)

(1)死者・行方不明者数:3579人、全国18880人の19.0%
(2)全壊棟数:22357棟、全国129479棟の17.3%

 2010年(国勢調査)現在、東北6県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島)の人口は933.6万人、太平洋沿岸被災6県(青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉)の人口は1606.9万人、石巻市人口は16.1万人だった。石巻市人口の東北6県に占める比率は1.7%、太平洋沿岸6県に占める比率は1.0%にすぎないが、死者・行方不明者数と全壊棟数は実に全国2割弱の規模に達したのである。

 合併前の2000年現在、(旧)石巻市人口は12.0万人、周辺6町人口は5.5万人、計17.5万人だった。それが10年後(震災前)には、旧石巻市11.3万人(▲0.7万人、▲6%)、周辺6町4.8万人(▲0.7万人、▲13%)、計16.1万人(▲1.4万人、▲8.0%)に減少した。人口20万人以上の「特例市昇格」を目指して広域合併したはずが、周辺6町はもとより中心市においても人口減少を食い止めることができなかったのだ。中心市域に周辺地域から人口を集めて「宮城県第2の都市」を活性化させるという、石巻市の広域合併戦略は完全に破綻したのである。

 これに追い打ちをかけたのが、東日本大震災だった。住民登録を残したままで避難している人が多いので、住民基本台帳に基づく推計人口はあまり信用できないが、それでも石巻市のホームページによれば、2010年10月と比べた2012年6月現在人口は、旧石巻市10.4万人(▲0.9万人、▲8%)、周辺6町4.8万人(増減なし、ただし実態は不明)、計15.2万人(▲0.9万人、▲6.0%)とさらに減少を続けている。

 これをもう少し震災前後の1年間に絞って示したのが、宮城県統計課の「市町村別人口及び増減状況」(2010年12月末〜2011年12月末)だ。石巻市の人口減少10139人(▲6.2%)は、4千人台の気仙沼市(▲5.6%)や2千人台の南三陸町(▲12.4%)・山元町(▲13.6%)に比べても突出しており、減少率においても県下第4位となっている。この数字の方が現状に近いとすると(2012年になってからの人口増加は考えられないので)、石巻市の実質人口(居住人口)はもはや15万人を相当下回っていると見なければならない。

 とすれば、これ以上の人口を減らさないためにも、いま市がとるべき対策は何にも増して当面の被災者の生活再建と居住環境の整備にあることは明白だ。当面どうしても必要な住宅、生活施設、公共施設、漁業施設などを取りあえず被災地域に暫定的に復旧し(私たちはそれを「仮設市街地」と呼んでいる)、人口の流出を食い止めることこそが喫緊の復興課題でなければならない。それとは逆に、被災地に建築規制をかけて居住地の復旧を妨げ、生活を持続できない高台移転によってさらに人口を失うことなど“愚の骨頂”という以外に言うべき言葉を知らない。

 石巻市復興計画の「第4章、地区別整備方針」をみると、旧石巻市が西部・東部の「市街地エリア」に二分された他は、周辺6町は「河南・桃生」「河北」「北上」「雄勝」「牡鹿」の5エリアに分類されて、それぞれの復興整備方針が示されている。復興整備方針は、さらに「みんなで築く災害に強いまちづくり」、「市民の不安を解消し、これまでの暮らしを取り戻す」、「自然への畏敬の念を持ち、自然とともに生きる」、「未来のために伝統・文化を守り、人・新たな産業を育てる」の4項目に分かれている。

 ところが驚いたことに、地名や公共施設の名前などの固有名詞は別にしても、各エリアの復興整備方針は内容も文体もほとんど変わらないのである。たとえば、「市民の不安を解消し、これまでの暮らしを取り戻す」という項目のなかに、「地域の実情を考慮した高齢者福祉施設の再整備や医療サービスの向上を推進し、地域福祉、地域医療の再生・充実を図ります」という文章があるが、これなど周辺5エリアではほとんど一字一句違わない。有体に言えば、まず定型の文章があり、次にそれを「コピー」して各エリアに「ペースト」(貼り付け)し、最後に固有名詞などの部分を修正するという手順で「地区別整備方針」が機械的につくられたものと推察できる。

 要するに石巻市復興計画における「地区別整備方針」は、何ら具体的な施策の裏付けもないままに、どの地区でも同じ内容の空虚な作文を書き連ねているに過ぎず、ただ「推進します」「促進します」「図ります」「支援します」という無責任な文章を並べているにすぎない。それは合併前の「新市まちづくり計画」の文章を想起させるものであるが、合併前であればまだしも、空前の災害を蒙り、日々の生活困難と苦闘している被災者や被災地に対してはいうべき言葉ではあるまい。

 次回の2015年国勢調査、さらに次々回の2020年国勢調査において、私は石巻市の人口が激減していることを恐れる。建築制限をかけたままの区画整理事業や高台移転事業が長引けば長引くほど、被災地からの人口流出は加速する。また流出先の生活が定着すればするほど、「ふるさとに戻りたい」という人々の願いも日々薄れていく。“被災地に住み続けながら復興する”方策なくして、石巻市の真の復興は難しい。しかし、この厳然たる法則に気付かない(気付こうとしない)市長や市当局、市議会は、破局の日までこの事態を座視し続けるのであろうか。

 雄勝地区住民の声は、石巻市の復興計画の誤りに警鐘を鳴らす“天の声”、“地の音”だと思ってほしい。「世界の復興モデル都市」が「世界の不幸モデル都市」にならないように、いま石巻市は「ポイント・オブ・ノーリターン」(そこを通り越すともはや引き返すことができなくなる地点)に差し掛かっている。「最大の被災都市」が「最大の難民都市」へ、そして「最大の棄民都市」へ転落していくことを避けるために、石巻市民はいまこそ立ちあがってほしい。(おわり)

●次回以降は、福島県を取り上げる予定ですが、少し準備に時間がかかりますので、しばらくの間「つれづれ日記」を休みます。2〜3週間後に再開しますのでご高覧下さい。広原 拝