伊藤滋氏(東大名誉教授・国土計画協会会長)発言の“ホンネ”、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その2)、震災1周年の東北地方を訪ねて(73)

伊藤滋氏(東大名誉教授、都市工学)が、原発事故直後に国土計画協会の機関誌、『人と国土21』(第37巻第1号、2011年5月15日発行)で語った巻頭言を抜粋して紹介しよう。「地域と国土計画的観点から原子力災害を考える」と題するこの巻頭言は、「原子力ムラ」に隣接する「開発ムラ」(土建ムラ)のホンネを語った言葉としてきわめて興味深い。以下はその要旨である。

 「原子力災害がこれまでの地域計画、更には国土計画を根底から揺り動かしてしまった。危機管理を中心においた地域・国土計画を私達は考えなければならなくなった。全国土の沿岸部に50を超える原発基地が設置されている。これらの原発基地のいずれかに今回のような事故がおきれば、基地周辺の広範な地域は長い年月、人が住めなくなる可能性が明らかになった。この地域に居住してきた方々にどのようにして新しい居住と雇用を確保するのか。この課題は津波被災市域とは全く別の観点で考えなければならない。」 
「それではどうすればよいのか。答えは一つであると思う。新しい街と村を福島県の中か、その近傍の県のいずれかに造ることである。東北地方の山間地で既に人口が減少し農業経営が沈滞している地域が数多くある。これらの地域の中から産業生産性の潜在力が高い地域を選び出し、そこの休耕田や雑木林を新しい農業用地として再生する事業を国が率先して行い、被災者の方々の知恵と経営力を生かしながら新しい田園型街づくりと村づくりを早急に進めたらどうであろうか。」

 「被災地の残された土地はどうしたらよいのかも重要な課題になる。この土地は全面的に国が買い上げるべきである。それによって被災者は一時的に生活に必要な収入を得ることができる。(略)被災地内の宅地はもはや使えない。そのまま放置するか、あるいは時間をかけて解体してゆく。この地域の面影を残す幾つかの建物は保存することもあろう。その他の宅地は植林された林地に変わっていく。そして福島第一原発基地は廃炉となり、新しく植林された平林地のなかに取り残される。このようなこれまで全く想像できなかった地域の光景がこれから生まれてくるのであろう。」

 この発言は次の3点にまとめられる。第1は、全国土の沿岸部に50を超える原発基地が設置されている日本では、原子力災害の危機管理が今後の国土計画の中心課題になったとの基本認識を示したことである。第2は、福島原発災害への対応策は津波被災地対策とは別個の視点で考えねばならず、その方策としては内陸部間部のニュータウン開発がコアになるとの方針提起をしたことだ。そして第3は、原発基地周辺一帯の土地を国が買い上げて計画的に無人化し、廃炉となる原発基地と併せて“広大な放棄地”にする他はないとの処方箋を示したことである。

 高度成長時代を通して確立されてきた日本国土の計画原理は「スクラップ・アンド・ビルド」だった。端的に言えば、国家(資本)にとって不要になった地域は廃棄(スクラップ)し、必要な地域は開発(ビルド)するというものだ。高度成長政策によって国土が過疎地域と過密地域に二分され、最近では都市部においても地方都市と大都市の格差が急速に拡大しているのは、国土レベルでスクラップ・アンド・ビルドの計画原理が強力に推進されてきた結果だと言える。

この計画原理はまた、限りある地球資源を浪費して環境を破壊する経済構造すなわち「大量生産・大量消費・大量廃棄」システムとも結びついていた。「消費革命」とのキャンペーンとともにあり余る新製品が開発(ビルド)され、かつ使用期限を待つこともなく容赦なく廃棄(スクラップ)された。高度成長を支える大量生産・消費システムは大量のエネルギーを必要とし、原発建設に拍車をかけた。スクラップ・アンド・ビルドの生産・流通システムと消費者ライフスタイルは廃棄物(ゴミ)の山を生み出して環境を破壊し、美しい国土・地域を棄損した。

だが高度成長政策が完全に行き詰まった現在、スクラップ・アンド・ビルドの計画原理は、国土の危機を救い、地域を持続的に発展させる“サステイナブル”な計画コンセプトに一刻も早く席を譲らなければならない。狭い国土に1億人以上もの人口が密集する日本列島は、世界のいかなる国にも増してサステイナブルな計画原理を必要とする国土なのである。

だが、伊藤氏の問題提起は、国土(計画)の危機を強調しながらも、原発を廃止して国土をサステイナブルな状態に変えていくという「脱原発」の方向へは決して向かわない。事故を起こした福島原発周辺地域(だけ)はスクラップして放棄地とし、内陸部山間地にニュータウンをビルドして原発周辺地域の住民を移住させようというのである。これではまるで国土・地域の「切り張り」対策に他ならず、高度成長時代の国土計画の再現そのものではないか。(つづく)