原発周辺地域の土地を強権的に収用し、住民を強制移住させる民主党案が練られていた、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その3)、震災1周年の東北地方を訪ねて(74)

だが伊藤発言には、実は「隠された意図」があった。それは「福島第一原発基地は廃炉となり、新しく植林された平林地のなかに取り残される。このようなこれまで全く想像できなかった地域の光景がこれから生まれてくるのであろう」という一節のなかに隠されている。ここでいう「全く想像できなかった光景」とはなにか。有体に言えば、それは“核のゴミ捨て場”のことを指していると考えてよい。政府の内部情報に詳しい伊藤氏が、意識的か無意識的かは別にして、比較的目立たない「開発ムラ」の機関誌でさりげなく放射性廃棄物の処分場を確保するための観測気球を上げたのである。

政府が公式に発表しているわけではないが、原発周辺地域を計画的に無人化してそこに放射性廃棄物の“最終処分場”をつくるとの発想は、すでに事故発生直後から政府部内で浮上していた考えだった。官僚目線からする原発災害危機管理の要諦は、被災者の避難・移住とセットになった廃炉放射性廃棄物処理対策を可能な限り迅速に具体化することにある。原発事故発生後1ヶ月の時点で菅首相が側近に漏らしたとされる「軽率な発言」に関しても、その意図が原発周辺地域の計画的無人化について国民世論を誘導しようとするものだったと考えることができる。

松本健一内閣官房参与が(当初)説明した首相発言は、そのことを如実に示している(朝日2011年4月15日)。「原発の周囲30キロまで避難、自主避難ということになってくると、周囲30キロ当たり、場合によっては飯舘村みたいな30キロ以上のところもあるわけだが、当面住めないだろうと。これが10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そこに再び住み続けるということがちょっと不可能になってくる。」

この首相発言は、私が昨年5月の連休に福島県に行ったとき、県の復興構想委員会の責任者から直接聞いた話とも符合する。4月後半に環境省事務次官が内密で福島県知事を訪れ、原発周辺地域を「居住禁止区域」にして放射性廃棄物の最終処分場をつくりたいと申し入れたというのである。それから2カ月後、同事務次官はふたたび佐藤知事を公式訪問して、福島県内で出た瓦礫については原則県内だけで焼却・一時保管する方針を伝えた。だが、環境省が一時保管施設だけでなく最終処分場の設置を福島県内で検討していることを察知した佐藤知事は、この申し入れに不快感を示して拒否したという(朝日2011年6月24日)。

 最終処分場を福島につくるという提案が通りそうもないことがわかってからの以降、業を煮やした民主党内では「原発事故影響対策プロジェクトチーム」(松原聡座長)が組織され、2011年8月に提言(案)がまとめられた。その内容たるや「開発ムラ」の助言もあったのか、使用済み核燃料の安全管理のためには原発周辺地域の土地を強権的に収用し、住民を強制移転させるという驚くべき強行路線だった(日経2011年8月3日)。

提言(案)の骨子は、「1万本以上の使用済み燃料を放置したうえで、近隣に人の居住を認めるなどあり得ない」と原発周辺地域の“居住禁止”を明言したうえで、(1)国が原発周辺地域の正確な放射線測量を実施して土地収用の基準をつくる、(2)土地収用を行い、住民に移住を促す、(3)移住に必要な支援策を講じる、というものだった。ただし、提言(案)は「原発内に放置されたままの使用済み核燃料の中長期的な保管場所についても早急に検討すべきだ」とも言っているので、原発周辺地域をいま直ちに最終処分場にすると言っているわけではない。

もし「開発ムラ」の意を体した民主党案が政府方針としてそのまま打ち出されていたなら、福島県内はもとより日本国中は蜂の巣を叩いたような大騒ぎになり、菅政権は世論の袋叩きに遭っていただろう。というよりも、民主党政権そのものが崩壊の危機に瀕していたかもしれない。しかし退陣直前の菅政権にはもはや方針決定するだけの余力がなく、方針は最終処分場を「中間貯蔵施設」へと名前を変え、手法は土地収用の代わりに「土地買い上げ・借り上げ」とすることに変更された。これを受けて細野原発環境相は8月13日、福島県内市町村で放射能瓦礫や汚染土を一時保管してもらうという当面の方針を示した上で、「福島県を最終処分場にすべきではない、県外で行う」と語ったのである(読売2011年 8月14日)。(つづく)