福島第1・第2原発10基を廃炉にして、中間貯蔵施設を原発基地内につくるべきだ、中間貯蔵施設の現地調査受け入れが復興計画に与える影響(11)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その36)、震災1周年の東北地方を訪ねて(106)

 結論的に言って、私の考えは井戸川町長の見解ときわめて近い。東京電力や政府関係省庁など「原子力ムラ」の誰ひとりが責任を取らず、被災者・避難者の生活再建の確たる道筋も示さないで、中間貯蔵施設候補地を原発周辺地域に選定するなど“もっての他”だと思うからだ。

 したがって、この延長線上に出てきた復興庁の「①中長期(10年後も視野)、②広域(複数町を視野)③復旧よりも抜本的な町づくり」を標榜する「中長期・広域の復興の将来像」に対しても大いに異議がある。最大の理由はこれまでも繰り返し述べてきたように、中間貯蔵施設の建設によって原発周辺地域・自治体の復興計画が阻害され、双葉町大熊町浪江町などが事実上“無人地帯化”して、周辺地域一帯がやがて「核のゴミ捨て場=放射性廃棄物最終処理場」に転化していく可能性を否定しきれないからである。

私の考えは、中間貯蔵施設は第1原発・第2原発廃炉にして両原発基地内につくるべきというものだ。すでに福島県議会をはじめとして県内市町村議会の圧倒的多数が福島原発10基の廃炉決議を採択している。これが未曾有の原発災害を蒙った地元自治体の明確な意思なのだから、東京電力と国はその責任の一端を果たすためにも第1原発6基(うち4基は廃炉決定)、第2原発4基を直ちに廃炉決定して、原発周辺地域・自治体の復興の礎に供すべきだと思うのである。

復興計画は、本来、原発災害を蒙った住民の生活再建を図るため、それに必要な自治体行政を計画的に進めるためのものだ。ところが現在進行中の政府の復興計画の考え方は、事実上、原発災害の元凶である原子力発電所をそのまま温存しながら、その犠牲になった周辺地域・自治体を無人化して「核のゴミ捨て場」にしようとする正反対の方向へ動いている。まさに“本末転倒”とはこのことではないか。

これでは復興庁のいう「中長期・広域の復興の将来像」は“原発復興の将来像”となり、「仮の町=避難者移住のためのニュータウン」の建設は、原発再稼働を前提にした“長期避難基地”の建設に変質していくことになる。そして原発周辺地域・自治体の「復興計画」は、結果として原発災害の後始末である“棄民・棄地計画”にならざるを得ない。

井戸川町長の「帰還は30年後」発言は、この事態を見通したものではなかったか。それだからこそ、現時点での楽観的(安易)な見方を戒める厳しい発言となり、“30年”という長期的な観点に立った復興のあり方を提起したのであろう。復興庁・福島県・双葉地方自治体は、この考え方に立ってもう一度「30年後も視野」に入れた復興将来像を検討し直してはどうか。

私の考える「30年後も視野」に入れた復興将来像および工程表は、およそ以下のような幾つかの基本コンセプトから成っている。
(1)福島県議会・市町村議会の圧倒的多数が採択している「福島原発10基廃炉決議」にもとづき、福島第1・第2原発廃炉にして原発基地を中間貯蔵施設用地に転換する。
(2)放射線量が高い原発周辺地域は、国が一括して「再生保留地」として住民から借り上げ(もしくは買い上げ)、30年間は基本的に土地利用を凍結して放射線量の低減を待つ。土地家屋の借り上げ料(もしくは買収額)は、原発災害賠償額に相当するものとする。
(3)この間、国は原発災害の避難者に対して「移住の権利」を保証し、被災者がいかなる場所に移住しようとも雇用・所得・教育・福祉などに関する生活基本サービスの便宜を図る。
(4)避難者は憲法第22条に規定された「居住・移転の自由」にもとづき、「いかなる場所に住むか」「いかなる自治体を選択するか」について選択自由の権利を有する。住民が属する当該自治体・周辺自治体及び福島県は、被災者の「居住・移転の自由」を尊重し、その実現のために全面的に協力する。
(5)この間の「仮の町」その他のイメージについては、それが空間的範域の限定された被災者の「集住地」とするのか、それとも被災者間のネットワークやコミュニケーションが基本的に維持された「社会的空間」であればよしとするのか、あるいは両者がゆるやかに結び付いた既存市街地のなかでの「小規模・分散・調和」型のクラスター配置にするのか、その具体的な形は当該自治体と避難住民の合意(熟議)にもとづいて決定する。
(6)放射線量が人間居住に適合するレベルに低減される見通しがついた段階で、町民の当該地域への帰還意思の有無、その場合に必要なまちづくりの条件などを町民と地元自治体が協議し、帰還に向かっての準備を始める。この場合、帰還意思を示す町民には優先的に土地取得権・賃借権を与え、また移住を希望する新住民に対しては営業・耕作・居住などの便宜を図る。

 おそらく「30年後も視野」に入れた私の復興将来像に関しては、異論・反論が続出することであろう。早期の帰還を目指して懸命に努力している地元自治体や、「仮の町」構想の具体化に奔走している自治体などからは厳しい批判を受けるかもしれない(受けるに違いない)。でも原発事故発生から2年近くの時間が経過したいま、初めて見えてきた“現実”(高放射線量など)を前にして再考すべき課題が山ほどあることも事実なのである。

それに、たとえ“現実”を無視して帰還計画や「仮の町」計画を推進したところで、町民は「居住・移転の自由」にもとづき、「足による投票」によって自分の意志を貫くのであって、無理な計画は所詮破綻することが避けられない。“現実”を直視してもう一度復興計画のあり方を再検討してみることこそが現実的なのであり、そうでなければ、「仮の町」が第2・第3の“ゴーストタウン”になる可能性も否定できないからである。そのためにも、この拙いブログが「たたき台」となり「捨石」になればこれ以上の喜びはない。(つづく)