人口減少はいまに始まったことではない、人口減少に対応する復興計画こそが“リアル”であり“サステイナブル”なのだ、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(5)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その21)、震災1周年の東北地方を訪ねて(92)

川内村はもともともと典型的な過疎地域(人口減少地域)だった。国勢調査人口は1960年の6144人をピークにしてその後一貫して減少し、2010年には2810人まで落ち込んでいる。半世紀で実に半分以上(54.3%)の人口を失ったわけだ。おまけに国立社会保障・人口問題研究所の『日本の市区町村別将来推計人口―2000年〜2030年―平成15年12月推計』(厚生統計協会、2004年)によれば、2030年人口は1976人(2000年=100、2030年=58)と推計されている。つまり原発事故の有無にかかわらず、川内村では構造的な人口減少が進んでいるのである。

また川内村ほどではないが、原発立地自治体においても人口減少は進行している。上記推計(もちろん原発事故は想定されていない平常時)によれば、楢葉町8380人(2000年、指数100)→6946人(2030年、指数83)、富岡町16173人→15028人(同93)、大熊町10803人→9308(同86)、双葉町7647人→5610人(同73)となり、着実に人口減少が進むと推計されていたのである。日本全土で激しい人口減少が進行中なのだから、どこの自治体でもこれから人口が減るのはごく当たり前のことなのだ。

もちろん原発事故による全町・全村避難といった状況は非常事態そのものであり、1日も早い復旧・復興が望まれることはいうまでもない。だが、失われた人口を取り戻すのは容易でないし、まして除染作業が長期化する原発周辺地域では帰還する人びとの数も限られる。つまり避難者は「少しずつ」「ゆっくり」と帰ってくるのであり、復興計画はそれに対応する(耐える)ものでなければならない。「多くが」「一度に」帰って来ることなどを想定した復興計画などは、架空の話であり幻想にすぎないのである。

川内村の上記アンケート調査でも、ここ数年來の予測人口は「帰村済み」94人と「帰村する」540人(帰村時期未定を除く)を合わせた600人余りになる公算が大きい。もちろんアンケート調査に「無回答」だった1077人、帰村するかどうかを迷っている「わからない」618人、合わせて1700人近くの未回答者がいるのだから、このなかから帰村する人たちが出てくる可能性はある。しかし「帰村する」と回答したがその段階になって判断を変える人も結構いるので、結局のところこれらを相殺した予測人口は、ここ当分600人程度になるのではないだろうか。

しかしこのような小規模自治体を復興させることなど、「開発ムラ」「計画ムラ」の面々は「論外」だと言うに違いない。事実、計画行政学会(計画理論研究専門部会)などは、「原発の周辺の警戒区域内は、住民が1年や2年で戻って住めるということはないと思われる。その意味では、警戒区域で町のほぼ全域が20キロ圏に入っている5町、双葉を含め大熊、浪江、富岡、楢葉については廃町して土地は国が買い取り、住民は土地なしで他の市町村に合併する策があげられる。計画的避難勧告区域でも、類似した国の対応が必要である」(前述)とまで言い切っている。

つまり、これまで国土計画や自治体計画を主導してきた計画テクノクラートの計画コンセプト(基本的な考え方)は、経済成長と人口増加が実現した右肩上がりの時代には地域を「開発」(ビルド)し、その条件がなくなれば地域を「廃棄」(スクラップ)するという“開発主義=スクラップ・アンド・ビルド”のイデオロギーに頭の先から爪の先まで貫かれているのであって、そこには“地域の持続的発展”(サステイナブルな発展)という思想がないのである。だから原発事故で地域が一旦破壊されたとなると、国や東電など加害者の責任を問うことなく、被災地を市町村合併や「選択と集中・復興計画」を通して“後始末”しようとするのである。

しかし、自治体の使命は地域住民の生命と財産を守り生活を支えることにあるのだから、地域住民の生存・生活基盤である地域は“持続的発展”(サステイナブルな発展)の原則に基づいて維持されなければならず、「開発」はあくまでもそのための手段でしかない。つまり開発は「目的」ではなく「手段」なのであるから、復興計画は地域の「開発計画」ではなく、地域の「持続的発展計画」でなければならないと思うのである。

私が川内村に期待するのは、いかなる事態に陥っても市町村合併などに走ることなく“持続的発展”を掲げた旗印を降ろさないことだ。『川内村災害復興ビジョン』(2011年9月)は、果たしてこの期待に応えられるのであろうか。(つづく)