「日本計画行政学会」(大西隆会長)は原発周辺自治体の“廃町”を提案している、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その5)、震災1周年の東北地方を訪ねて(76)

 「開発ムラのドン」・伊藤滋氏の後継者は大西隆氏(東大教授、都市工学)である。東大都市工学科国土交通省技術系キャリア官僚の実質的な養成機関であり、それゆえに教授陣は国交省関連の各種審議会・委員会・研究会などの要職を歴任する慣行となっている。その頂点に立つのが伊藤滋氏およびその後継者の大西隆氏であり、いわば「猿山」のボスが世襲的に引き継がれていくように、「開発ムラ」のボスも国交省人事の一環として東大都市工のなかで世襲的に引き継がれていくのである。

 大西氏は2011年4月から「日本計画行政学会」の会長に就任した。日本計画行政学会(1977年設立)は、政府官僚と大学研究者が共同研究の体制を「学会」として組織した先駆例であり、それ以降、各領域で政府・自治体と大学との共同研究が飛躍的に進むようになった。このことは実務と理論の交流が図られることによって計画研究が発展する契機になったとも言えるが、その一面、政府機関と大学の垣根が低くなり、国家権力と大学研究者の癒着が加速することになったことも否定できない。計画行政学会の設立趣旨は次のように言う。(日本計画行政学会ホームページ、以下同じ)

「一国の経済社会の発展とその運営において、行財政長期計画、国土総合開発計画、経済社会発展計画、各種の地方計画など国及び地方行政主体の計画の役割は著しく増大した。大学・各省庁・地方公共団体においてこれら計画の研究、立案実施にたずさわるものの数もまた急激に増加している。(略)ここに日本計画行政学会(Japan Association for Planning Administration)を設立する趣旨は、このような現実を克服し、計画行政を一つの学問体系として確立するとともに、この分野にたずさわる研究者、行政担当者、実務者に広くその成果の発表の場を提供し、一層その成果の価値を高からしめるためあわせて専門家としての評価を確立するためである。」

計画行政学会の歴代会長を眺めてみると、中山伊知郎、有澤廣巳、大来佐武郎加藤寛氏など日本の経済計画・国土計画・原子力開発計画を推進してきた重要人物がズラリと顔を並べている。いわば「原子力ムラ」・「開発ムラ」の総帥たちが当学会を牽引してきたのであり、今日までの「国のかたち=国土のデザイン」を決定してきたと言ってもよい。初代会長・中山伊知郎氏の発足に当たってのアピールには、「計画行政学会は、衆知を集めることによって、計画と行政との間の溝を埋めることを念願して出発した」とあるが、まさに「計画と行政の溝を埋める」ことによって「開発ムラ」は組織されたのである。

 東日本大震災発生直後に第10代会長に就任した大西氏は、「ポスト3・11、計画行政学会の復興のチャレンジ」と題する就任挨拶において、「計画行政では、数年前から、研究分野でもある計画行政を進める部局との連携を強めていく方針をとっています。被災地では、行政そのものも大きな人的被害を受けて、再建しなければならなくなっています。地域の管理者としての行政だけではなく、地域の創造的な復興を住民や地域企業とともに担っていく行動体としての行政という新しい行政活動のモデルを構築していくことが現実の課題となっています。(略)すべての学会員が被災地の復興と日本社会の新たな発展を結びつける目的意識的な視点を共有してこれから学会活動を担っていただくようにお願いして、就任に当たってのメッセージとします」と述べている。

 このメッセージは従前にも増して計画研究者と行政体との一体化を追求しようとの決意を示したものであり、学会活動の課題を「新しい行政活動のモデル構築」へとバージョンアップさせることによって、「地域の創造的な復興を住民や地域企業とともに担っていく行動体としての行政」へ発展させる方向性を設定するものであった。

以降、計画行政学会では大西会長を代表とする「東日本大震災復旧復興支援特別委員会」(2011年5月)が組織され、「復旧復興に係る提言」や「震災復旧復興に係る計画行政への支援」などの諸活動が展開される。またこれと並行して、計画理論研究専門部会においても「東日本大震災の復興に求められるもの」とのテーマのもとに精力的な討議が行われ、その成果が機関誌『計画行政』や各種出版物を通して公表されることになっていくのである。

 私が計画行政学会の活動に興味を持ったのは、ある日、執筆者のひとりから『東日本大震災の復旧・復興への提言』(技法堂出版、2012年3月)と題する本の寄贈を受けたことがきっかけだった。本全体の趣旨や構成については順次述べていくことにするが、注目したのは「第1部、東日本大震災の復旧・復興についての議論」のなかの「第4章、復旧・復興に関する論点整理」の内容である。

第4章は、専門部会の研究討論全体を通しての要点・論点を整理したもので、いわば討論に参加した多数の研究者の総意をまとめた構成になっている。したがってそこでの論点は執筆者個人の意見ではなく、専門部会全体の共通認識を示すものであり、計画行政学会の意向を知るうえでの貴重な資料を提供する。前置きはこのぐらいにして、私が注目したのは「4.8.1、原発周辺区域への国の対応」のなかの次の一節である。

原発の周辺の警戒区域内は、住民が1年や2年で戻って住めるということはないと思われる。その意味では、警戒区域で町のほぼ全域が20キロ圏に入っている5町、双葉を含め大熊、浪江、富岡、楢葉については廃町して土地は国が買い取り、住民は土地なしで他の市町村に合併する策があげられる。計画的避難勧告区域でも、類似した国の対応が必要である。国が買い取った土地は、国有地として使用を制限する。そして、合併を受け入れた市町村では、旧町の名前を冠した新姉妹町を建設するという思い切った手当てが必要である。いずれにしても、原発の安全性に対してきちんとした形で対応できないものであれば、国民の負担を国がカバーしていくことを考えると、土地の国有化が必要になってくる。」

第4章の末尾に付けられた「4.8、原発災害」の項目はわずか1頁に満たないものであるが、そこで述べられている内容はきわめて重大な意味を含んでいる。(つづく)