放射性廃棄物の「中間貯蔵施設」が“最終処分場”に転化する恐れはないのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その4)、震災1周年の東北地方を訪ねて(75)

野田政権への移行後、佐藤知事や原発周辺地域の双葉郡8町村長らと会談した細野原発環境相は、放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物を保管する中間貯蔵施設を福島県双葉郡内につくる考えを初めて示した。細野氏はその理由を「廃棄物が大量発生する地域の近くに施設はつくるべきだ」と説明し、併せて「年間(換算の)放射線量が100ミリシーベルト以上の地域は除染によって放射線量を下げるのは困難で、国が土地を買い上げたり借り上げたりすることも視野に入れて中間貯蔵施設の場所としたい」と語った。

ここで明らかにされた中間貯蔵施設の構想は、敷地面積約3〜5平方キロメートル、その中に1500万〜2800万立方メートルの容量をもつ施設をつくるというものだ。2012年度中に設置場所を正式に決め、2015年から運用を開始する予定だという。また廃棄物は中間貯蔵施設で30年間貯蔵した後、福島県外で最終処分するとされている。このため、野田政権は2012年3月末をめどに現在の避難区域を見直して、年間放射線量が50ミリシーベルト以上の地域を「帰還困難区域」に指定し、この区域内で100ミリシーベルトの地域は居住を事実上禁止して、土地の買い上げなどによって用地を確保する考えだという(朝日2011年11月29日)。

この構想に対して佐藤知事は「非常に重く受け止める」と応じたというが、問題はそれが地元自治体だけでなく全国的にもどれだけ説得力ある提案かどうかということだろう。なぜなら「福島県を最終処分場にしない」というのであれば、福島県外のどこかの自治体が最終処分場を引き受けなければこの構想は実現しない。もし最終処分場を引き受ける自治体が出てこなければ(その公算は大だが)、中間貯蔵施設は30年後も依然として放射性廃棄物を貯蔵し続けることになる。まして民主党提言(案)がいうように、「使用済み核燃料を安全な場所に移管するまでに膨大な年月がかかる」のであれば、中間貯蔵施設が事実上の最終処分場へ転化していく可能性は否定できない。

東京電力経産省のホームページによれば、福島第1原発基地の敷地面積は350万平方メートル(3.5平方キロ)、第二原発基地は147万平方メートル(1.5平方キロ)、合わせて497万平方メートル(5平方キロ)もの広さがある。中間貯蔵施設の想定敷地面積が3〜5平方キロだというから、もし2つの原発基地を廃止して中間貯蔵施設と最終処分場に転用すれば、原発周辺地域をわざわざ無人化して中間貯蔵施設を設置する必要もない。また両原発基地はいずれも海岸線に立地していて、当然のことだが周辺居住地域とは隔離されている。これらはいずれも中間貯蔵施設や最終処分場の立地条件に合致するものだ。

地元の世論状況からいっても、昨年9月福島県議会が原発全基廃炉の請願を採択して以降、福島県内の原発10基すべての廃炉を求める意見書や決議を可決した同県内市町村議会は、すでに59市町村のうち52市町村(88%)の圧倒的多数に上っている。可決していないのは双葉郡7町村、つまり原発立地自治体の双葉町大熊町富岡町楢葉町および隣接自治体の広野町川内村葛尾村(12月議会で論議)の5町2村だけだ(赤旗2012年10月16日)。

これら7町村が原発廃炉についての態度を保留しているのは、おそらく廃炉決議が原発交付金の削減や撤廃に連動することを懸念しているからであろうが、しかし、福島県自身が県内すべての原発廃炉を求めて、原発立地の見返りに配分される交付金を2012年度から申請しない方針を決めた以上(朝日2011年12月15日)、遠からず7町村も廃炉決議に加わらざるを得なくなることは十分あり得ることである。いわば福島両原発廃炉条件は整いつつあるのであり、原発跡地を廃棄物処分場に利用しても何らおかしくないといえよう。 
ところが不思議なことに、これまで私見のような福島第1・第2原発を廃止して中間貯蔵施設や最終処分場に転用するといった主張や提案は見たことがない。念のためこの1年半余りの膨大な新聞スクラップファイルを見直してみたが、残念ながらそれらしき記事は発見できなかった。また関係出版物にもほとんど目を通したが、現時点では寡聞にして見つかっていない(読者の方がご存じであれば教えてほしい)。

その理由はつまびらかでないが、国や東電が福島原発全基を廃炉にするとなると、それが契機となって全国の原発再稼働反対・廃炉要求運動に波及し「原発ゼロ」になる可能性があるので、「原子力ムラ」「開発ムラ」などの圧力によってある種の報道管制が敷かれているのではないかと私は考えている。 
 国際赤十字・赤新月社連盟(本部ジュネーブ)が2012年10月16日に発表した『世界災害報告書2012』によると、東京電力福島第1原発事故は「科学技術の事故によって(住民が)移住させられた人道危機だ」と位置づけられている。報告書のテーマは「強制移住と移動」というものであるが、福島の事故は、途上国の開発にともなう強制移住者1500万人などとともに、同様の“人道危機”だとみなされているのである(朝日2012年10月17日)。

 私はこの小さな囲み記事を見つけたとき、冒頭の「国土開発ムラ」のドン発言との彼我の差を痛感せざるを得なかった。住民が自分のふるさとに住み続けることが基本的権利である以上、それが開発であれ災害・事故であれ住民の意に反して強制的に移住・移動させられることは基本的人権の否定であり、まさに“人道危機”だと言わなければならない。

 ところが今回の福島原発事故に際して日本政府が取った態度は、原発周辺地域を計画的に無人化して被災住民を強制移住させるというものであり、またその代理人である「国土開発ムラ」の発想は、こともなげに被災住民のふるさとである原発周辺地域をスクラップして省みないというものだった。ここには高度成長時代の国土計画を通して国民の生活空間を意のままに支配してきた「国土開発ムラ」の冷酷な素顔があらわれている。

 原発周辺地域は“サステイナブル”な計画原理にもとづいて再生されなければならない。放射性物質半減期が数10年を要するのであれば、原発周辺地域はその間、東電と国の責任において「再生用地」として担保されなければならない。また被災住民が「仮の町」に住む条件も保障されなければならない。サステイナブルな計画原理とは、被災者たちに自分たちのふるさとに帰還できる権利を保障し、時間をかけてその条件を整えることなのである。(つづく)