破局的危機をもたらす原発災害に対して「ピンチはチャンス」などといった不遜な言葉は許されない、「フクシマ」を冒涜する“ショック・ドクトリン”的発想に驚く、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その13)、震災1周年の東北地方を訪ねて(84)

最近、企業経営者などが好んでよく使う言葉に「ピンチはチャンス」というキーワードがある。経営不振や経営危機に襲われた経営者が自らを奮い立たせるための言葉として使うのなら、昔から「災いを転じて福となす」という格言もあるぐらいだから、それはそれでよいのだろう。

しかし東日本大震災が発生して以来、このキーワードを財界幹部が政府首脳が意図的に使うようになるに及んで、その意味は“ショック・ドクトリン”的発想を象徴するものとなった。被災者・被災地の危機(ピンチ)に便乗して、財界・政府が構造改革を一挙に実現しようとする機会(チャンス)と捉える発想があまりにも露骨であり、被災者や被災地の復旧・復興を蔑にするものであったからだ。

だが驚くべきことに、この言葉がなんと『広野町復興計画(第一次)』の策定趣旨のなかで堂々と述べられ、しかも広野町を取り巻く状況説明のキーワードとして以下のように用いられているのである。

「いまだに収束に至らない原発事故、これに伴う風評被害による農・商・工業の衰退、町民の流出など深刻な状態に陥っています。(略)こうした状況の中、広野町の復興への課題は多岐にわたりますが、「ピンチはチャンス」として捉え、第四次広野町町勢振興計画に掲げた町の将来像「笑顔が輝く子どもたちの歓声が聞こえ、みんなでつくる夢と希望と自然があふれるまち広野」の実現に向け、町民と共に復旧・復興に取り組む必要があり、その指針として「広野町復興計画」を策定します」

「収束に至らない原発事故」、「風評被害による農・商・工業の衰退」、「町民の流出」などの深刻な事態は、広野町にとって「ピンチ」であることは間違いない。だが問題は、このような事態を「チャンス」などと捉える不見識かつ不遜きわまる発想がいったいどこから出てくるのかということだ。

「ピンチ」には克服が不可能でない危機もあれば、壊滅的状態をもたらす“破局的危機=カタストロフィー”と言うべき危機もある。広野町の復興計画策定趣旨のなかには、表現の仕方はどうあれ、「ヒロシマナガサキ」が原爆投下という「ピンチ」を「チャンス」として活かした事実上の先例として描かれている。だが、このことがどれほど「ヒロシマナガサキ」の歴史を歪曲し、被爆者と市民を冒涜するものであるかに広野町は気付いていない(気付いているとしたら、絶対にこんな文章は書けない!)。

原爆が投下された「ヒロシマナガサキ」の危機は、まさに“破局的危機=人類の危機”ともいうべき人類最大の悲劇であって、この事態をまさか「チャンス」などと捉えるような不埒な考えは、当局にも市民にも誰ひとりなかったであろう。広島市長崎市が原爆被害から奇跡的に復興したのは、「過ちは二度と繰り返しません」という固い決意にもとに戦後一貫して「原水爆禁止・核廃絶」を世界に訴え続けてきた反戦平和運動の“結果の賜”なのだ。世界中の人たちが「ヒロシマナガサキ」を訪れるのは、広島市長崎市が「ピンチをチャンス」に活かした都市だからではなくて、核廃絶を訴え続け、恒久平和を願う都市であるからなのである。

広野町の復興計画はなぜ“脱原発原発ゼロ”を真正面に掲げないのか。なぜ「原発漬け」になっていたこれまでの町勢振興計画を反省・検証・刷新し、「原発に依拠しない復興まちづくり」に取り組まないのか。私は、原子力災害克服のために原発関連産業や研究機関等が広野町に立地することを否定しているのではない。それが原発事故の一刻も早い収束につながり、廃炉作業の着実な進展に寄与することを祈念する立場は同じだ。だがそれが原発維持政策につながり、福島第1原発5・6号機や第2原発の存続と再稼働につながるのであれば話は別だ。(つづく)