超長期の取り組みを必要とする復興計画は、“空間計画”ではなく“時間計画”でなければならない、震災2周年を目前に控えて(その3)、震災1周年の東北地方を訪ねて(最終回)

 この訪問記も震災2周年を直前にしてやっと最終回に辿り着いた。それは一応の締め切りにふさわしい論稿に出会えたからだ。先の日大シンポを主催した糸長浩司教授の報告、「原発災害に抗した二拠点多重居住システム―福島県飯舘村への支援活動を通して―」がそれである。糸長氏の報告、「帰還優先でなく、村民の生活回復の優先を」は、私が右往左往しながらようやく辿り着いた方向に確信を与えるものだった。少し長くなるが要旨を紹介しよう。

 「帰還は元居た場所に還ることである。帰還には場所にこだわりがあるのに対して、回復には状態へのこだわりがある。筆者は、今の飯舘村にとっては元の状態に戻ることを重要視した“回復”という言葉が最重要であると考える。放射能で汚染された山林、農地、宅地を除染して(汚染されたものを取り除いて)、きれいにして還るということが帰還の概念である。元と同じきれいな状態でなくても、政府は政策的に20ミリシーベルトという放射線量を政策的数字として、きれいな状態として閾値を提示して帰還を促し、被災地域の首長はそれを根拠に帰還政策を急いで進める」
 「しかし、帰還して村で暮らすことを心配する人たち、特に若い世帯は不安のなかでの帰還を拒否している。仮に帰還を決意した人たちも帰還した場所でかってと同じ状態での自分たちの暮らし、家族での暮らし、コミュニティでの暮らしを回復できないと考えている。村への帰還はできても被災者の人たちの生活の回復は厳しい、心の回復も厳しいといわざるを得ない。原発事故被害地域の復興再生で優先すべきことは、帰還ではなく一日も早い暮らし、生活が回復された状態を構築することにある。人の回復、家族の回復、コミュニティの回復を第一に考える時にきている」
 「被害自治体の首長は、丹精込めて作り上げた故郷が荒廃することを良しとせず、除染作業を核とした故郷への帰還政策を進めている。多少のリスクは覚悟して帰還・定住策を推し進める意識も理解できるものの、将来的なリスクを考えると移住を組み込んだ居住再生政策を展開すべきと筆者は当初から提案してきた。(略)定住のみに拘ることが難しい、あるいは危険リスクが高くなる放射能汚染が長期化する今、定住をも包み込んだ移動・移住の社会システムと人間居住システムの社会デザインが求められている」

 原発災害地域といっても場所によって放射線量に大きな差があることは事実だから、飯舘村の例を以て全ての地域の状態を一律的に判断するわけにはいかない。しかし、帰還の前提となる除染計画の実効性をめぐって様々な疑問が提起され、あまつさえゼネコン丸投げの「手抜き除染作業」が発覚するなど政府方針への信頼が揺らいでいる現在、国の方針をそのまま実行するだけでは避難者の不安を解消することは難しい。また、それだけが復興計画だとして被災地域住民の納得を得ることも不可能だ。

 糸長報告を私なりに引きつけて“超長期復興計画論”として一般化するとすれば、それは従来の「ゾーニング」(土地利用計画)と「インフラ整備」を軸とする“空間計画”を被災者・被災地の「なりわい・生活再建」を基礎とする“時間計画”に転換させなければならないということだろう。

 これまでの復興計画は、まず復興目標としての「マスタープラン」(完成時の空間イメージ)およびそれを実現するための年次計画(時間プログラム)を組み込んだ“空間計画”として策定されていた。これは復興が一定期間で完了することを前提にした短期・中期の復興計画であり、しかも土木公共事業を中核とするハードな復興に相応する計画であった。なぜなら土木公共事業は施設配置と利用圏の明示を要求され、しかも予算計画(3カ年計画、5か年計画など)によって裏付けされなければならなかったからである。

 しかし、原発災害地域はもとより巨大津波災害地域のような長期あるいは超長期の期間を要する復興計画は、計画条件が流動的であるため目標時(完成時)の空間イメージを描くことが難しく、計画時の誤ったイメージが却って復興の道筋を制約することにもなりかねない。むしろ被災者生活や被災地経済を再建・復興するプロセスに応じた“時間計画”を基軸とし、それぞれのステージ(段階)にふさわしい事業計画(空間プログラムも含めた)を環境条件の変化に応じて柔軟に組み込んでいく復興計画に転換させなければならない。

 これを津波災害地域に関して言えば、巨大な防潮堤・防波堤の建設や高台移転造成工事など「多重防災マスタープラン」をまず描いて、年次的に消化していく復興計画(土木事業計画)をつくるのではなく、沿岸被災地域の漁業施設や加工施設を仮復旧させ、住宅・市場・公共施設などを含む仮設市街地を暫定的に建設しながら、被災者の生活再建と被災地の経済再建が軌道に乗った段階で本格的な復興計画の策定に着手するといった計画手法である(先のシンポでは、10年もすればリモートセンシング衛星網が整備されるので津波観測技術と避難情報伝達システムが飛躍的に増強され、巨大防潮堤・防波堤の必要性は著しく低下するとの発言もあった)。

 また原発災害地域について言えば、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」といったゾーニング(線引き)を設定して除染計画やインフラ整備計画を立てるのではなく、被災者の健康管理や生活再建を先行させながら、被災地のモニタリングと除染作業を行い、放射線量の変化に応じた「居住・移転の自由」を保証していくようなシステムをつくることである。

 このような“長期・超長期復興計画論”は、おそらく震災2周年あたりを契機にして浮上し、今後、従来型の復興計画が破綻するにつれてますますその必要性と存在感を高めていくだろう。今回の日記を以て私の「震災1周年の東北地方を訪ねて」は一応終わることにするが、これからも「東日本大震災ウォッチャー」の一人として息長く被災者・被災地の行方を見届けていきたい。次のブログシリーズは、日本の国政を左右する次期参院選をめぐって4月あたりから再開します。ご高覧ください。