富岡町の「町外コミュニティ」を川内村に想定することは難しい、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(9)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その25)、震災1周年の東北地方を訪ねて(95)

 今回の調査では、残念ながら富岡町役場(郡山市)に行く時間がなかった。しかし富岡町役場のホームページや東日本大震災ポータルサイトに掲載されている同町の資料を見ると、役場の広報活動は活発に行われており、避難者とのコミュニケーションもよく取れていることがわかる。故郷に5年間(あるいはそれ以上)帰れないという危機的状況が続いているのだから、住民との絆が維持できなければ自治体そのものが消滅する恐れすらあるのだろう。

 2012年12月1日現在、富岡町(住民登録)人口は、震災前人口からその後の死亡者数を除いた15576人である。原発立地自治体である富岡町は全域が警戒区域に指定され、しかも町議会が原発補償金の全損扱いを全町一律実施させることも含めて5年以内には帰還しないことを宣言しているから、その間の「町外コミュニティ」の建設が問題になるわけだ。

 富岡町の避難先の特徴は、県外4547人(29.2%)、県内11029人(70.8%)と県外避難者の割合が非常に高く、川内村(14%)の倍以上に達していることだ。また県内避難者の特徴は、いわき市5442人(34.9%)、郡山市3112人(20.0%)に過半数の避難者が集中し、その他2475人(15.9%)は各地に分散していることだ。県内避難者だけに限ると、いわき市郡山市に実に避難者の3/4(77.6%)が集中していることになり、都市部への避難割合が非常に高い(借上げ住宅は都市部にしかない)。

 こうした事情から川内村富岡町の「町外コミュニティ」になる可能性を考えるとき、最大の問題はいわき市郡山市に避難している人々が果たして川内村への移住を希望するかどうかということだろう。2012年7〜8月に行われた富岡町の住民意向調査(調査対象7150全世帯、回収3150世帯、回収率44.1%)によると、「帰町についてどう考えるか」との質問に対し、「居住地を自ら選択し、帰れるまで待つ」811世帯(25.7%)、「行政が建設する災害公営住宅に居住し、帰れるまで待つ」763世帯(24.2%)、「町に戻らない」1007世帯(32.0%)、「わからない」501(15.9%)、無回答71(2.3%)だった。

 このなかで川内村における「町外コミュニティ」との関係が多少なりとも出てくるのは、「行政が建設する災害公営住宅に居住し、帰れるまで待つ」と回答した763世帯(24.2%)の行く先だ。この点に関しての「現在、町では災害公営住宅の建設を検討しておりますが、町候補地のどこを希望しますか」との質問への回答は、「いわき市周辺」480(62.9%)、「郡山市周辺」100(13.1%)、「富岡町内(町近隣町村を含む)の低線量地」109(14.3%)、「特に場所にこだわらない」21(2.8%)、「わからない」22(2.9%)、「その他」31(4.1%)となって、これも圧倒的にいわき市周辺および郡山市周辺が多い(76.0%)。

 そして、このアンケート調査の結果に基づいて作成された『富岡町災害復興計画(第一次)』(2012年9月)においては、「富岡町サテライト計画〜3つの富岡づくり〜」が次のように記されている。

 「現在、さまざまな地域に分散して生活している町民のみなさんに、今後可能な限り3つの地域(3つの富岡)に集合し生活をしていただく計画です。3つの地域は、富岡町内等の低線量地区を「本所」と位置づけ、いわき市内及び郡山市内を「サテライト」と位置づけます。それぞれの地域には災害公営住宅をはじめ必要な施設を建設し、それぞれの地域が自宅等に帰還するまでの生活拠点となるものです」

 「本所、富岡町内等の低線量地区、「さくら富岡」、整備目標2016年度末」、「サテライト、いわき市内の居住地、「つつじ富岡」、整備目標2014年度末」、「サテライト、郡山市内の居住地、「せきれい富岡」、整備目標2014年度末」

 2012年12月現在、富岡町では復興庁及び福島県と共同で「町外における生活の拠点(町外コミュニティ)のあり方」などを検討する住民意向調査(18歳以上の個人調査)が実施され、12月18日が回答の締め切りになっている。前回は世帯(主)調査で今回は世帯員調査だから、性別や年代による意向の違いがはっきりとわかる調査結果が出るはずだ。おそらくこの調査が最終的な決め手となって「町外コミュニティ」の候補地が決まるのであろうが、いわき市及び郡山市周辺地域以外の場所が新しく出てくることはまず考えられない。

 とすれば、富岡町の「町外コミュニティ」を想定して3千人から5千人の人口目標を立てている川内村の復興計画はいったいどうなるのか。次回からは私の考える人口減少時代の復興計画論について述べたい。(年末の各種原稿の締め切りが迫っていますので、ここしばらく日記はお休みにします。年明けには再会しますのでご寛容ください)