再録『ねっとわーく京都』2012年6月号、安全至上主義でなく、暮らしとなりわいを支えてこそ震災復興計画は生きる〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その1)、岩手県の場合〜(広原盛明の聞知見考、第17回)

盛岡駅は雪のなかだった
 3月27日早朝、京都駅を立って「のぞみ」と「はやて」を乗り継ぎ、ようやく盛岡駅に到着したのは正午前だった。しかし盛岡駅一帯は石川さゆりの歌(津軽海峡冬景色)の青森駅ではないが、文字通り周囲が見えないほどの「雪のなか」だった。
 私が最初に東北調査に向かったのは昨年の4月末、当時はまだ東北新幹線が復旧していなかったので道中は難渋を極めた。岩手花巻空港への搭乗券がなかなか取れず、福島空港から渋滞の東北自動車道を延々7時間にわたって北上する破目になった。しかし内陸部を走る高速道路からは沿岸部の惨状を窺い知ることができず、現地の被災状況がわかってきたのは夜に遠野市に着いてからのことだった。 
東北の春は美しい。梅、桃、桜の花が同時に咲くので「三春」というのだそうだ。高速道路の沿道から見えた4月末の光景はまさに「三春」そのものだった。だが今回の調査は僅か1ヶ月早いだけで、東北地方は暗くて厳しい冬景色のなかに埋もれていた。花の蕾は固く、まるで咲くのを拒んでいるようだった。いったい何時になれば東北に春が訪れるのか、雪のなかの盛岡駅の光景はそんな思いを激しく掻き立てるものだった。
しかし、東北地方はあまりにも広い。被災地の模様も地域によって様々だ。岩手、宮城、福島各県の被災地状況は各県各様であり、また同じ県内にありながらも各地域の様相は全く違うこともある。とりわけ沿岸部と内陸部とでは「天と地」の差があるといっても過言ではない。北海道を除くと、岩手県は日本最大、福島県は第2位の面積を持つ広大な地域なのだ。岩手県大阪府の8倍、福島県は7倍もの広さがあるのだから、単なる印象記では「群盲象を撫でる」ことにもなりかねない。3度目になる私の今回の調査は、否が応でも問題意識の明確化を迫るものとなった。

震度5弱の余震が歓迎
前々回の調査は被災地や被災者の実態を知ることが主目的だったので、岩手県では釜石市陸前高田市など災害規模の大きかった地域を中心にまわった。しかし、今回の調査では県庁所在地の盛岡市しか行っていない。調査目的が県レベルの復興計画の点検にあるので、訪問先は県の復興計画を包括的に把握できる組織やキーパーソンが中心になるからだ。
それでも盛岡駅一帯の冬景色は、厳冬期の東北全体の姿を想起させるに充分だった。駅周辺は道路標識がかすんで見えないほどの大雪が降っていて、路上の電光温度計は2度を示していた。風も相当強かった。バス停で待っていた時の体感温度などは、おそらくマイナス2〜3度ぐらいにまで下がっていたに違いない。盛岡市郊外のダム湖でも広大な水面が一面凍結しており、氷上は10センチ近くの積雪で覆われていた。聞けば、近くにある仮設住宅の室内では、夜中には濡れタオルがバリバリに凍るのだという。
だが、私を迎えたのは厳しい寒さだけではなかった。27日夜8時過ぎに震度5弱の激震が岩手県一帯を襲ったのである(4月1日深夜にも福島県一帯で震度5弱の激震があった)。気象庁の説明によれば、3.11大地震の余震が東北地方一帯でいまだに続いているのだという。私が宿泊していた建物は音を立てて数分間大揺れに揺れ、逃げ出したいのを必死でこらえるのがやっとだった。阪神淡路大震災時の京都の震度は4程度だから、震度5弱という手荒い歓迎はその後の私の調査をいっそう緊張あるものにした。

岩手県県民会議への訪問
 まずお礼を述べなければならないのは、このような「難しいヒアリング調査」に対して、関係者の方々が多忙な日程の合間を縫って快く応じてくださったことだ。岩手県では「東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議」(以下、県民会議という)の中心的な世話人や事務局メンバーに県庁近くに集まっていただき、岩手県震災津波復興計画(基本計画・実施計画)についての忌憚のない意見を聴くことができた。NPО法人岩手地域総合研究所、岩手自治労連、いわて労連などの方々だ。
私の経験にもとづく仮説からいえば、一般的には災害復興計画はどこでも同じような性格のものになるだろうと考えられているが、実はそうではなくて、それぞれの県の被災状況と政治構造を掛け合わせた結果が各県特有の復興計画としてあらわれるというものだ。つまり、(1)被災状況の内容や規模・程度、(2)被災者の声や住民運動などの世論動向、(3)首長の政治姿勢と議会の勢力分布、(4)事務局を構成する官僚機構の体質、(5)計画策定メンバーの構成などの諸要因によって、災害復興計画の性格が基本的に規定されるのである。したがって災害規模や程度がそれほど変わらなくても、首長の政治姿勢や議会の政治勢力分布が異なれば、復興計画がまるきり違ったものになることも十分にあり得るといえる。
この点に関して私が最も注目したのは、宮城県の復興計画が典型的な「日本版ショックドクトリン計画」(新自由主義的災害便乗型地域再編計画)であるのに対して、岩手県の場合は比較的オーソドックスな「現状復旧復興計画」になったのはなぜかということだった。この疑問に対する県民会議の方々の回答は、異口同音に「宮城県があまりにも異常で、岩手県が普通(当たり前)なのだ」というものだった。この1年間の一連の震災関連報道があまりにも「宮城シフト」に流れていたことを理解した瞬間だった。

早期復旧を掲げる岩手県復興計画
岩手県の場合は、まず何にも増して三陸海岸沿岸部の漁村と市街地の大半が巨大津波で壊滅したという空前の被害状況が復興計画の大前提になっている。日本政策投資銀行の推計によれば、岩手県沿岸部5市4町3村の推定資本ストック(生活や生産に必要な基盤施設や設備など)被害額は3兆5千億円、被害率47%という空前の規模に達したとされている。早急な災害復旧を図らなければ、財政基盤が脆弱な被災市町村は統治能力を失い消滅する恐れすらあったのである。ちなみに宮城県沿岸部の被害率は21%、福島県沿岸部は12%(原発被害を除く)である。
また復興計画の策定メンバーに関しては、極端な「東京シフト」の宮城県とは異なり、岩手県の場合は全てが地元関係者で構成され、県内の総力を挙げた「オール岩手」になっていることも重要な点だろう。地元をよく知る関係団体や専門家を中心に計画メンバーを組めば、被災地の早期復旧を掲げる「現状復旧復興計画」になるのが当たり前だということだ。そう考えてみると、ここでも「外人部隊」を主力とする宮城県の“植民地型復興計画”の異常さがよくわかる。 
「安全の確保」、「暮らしの再建」、「なりわいの再生」を3原則とする岩手県復興基本計画の特徴は、なによりも「漁協を中核にして全ての漁港・漁村を復旧する」という沿岸部の復興基本方針に集約されている。岩手県漁業者は沿岸漁業や養殖業を主体とする小規模経営体が多く、所管漁協が漁場を管理し、漁業者を指導することにより生産活動が行われているというごく当たり前の現実を踏まえて、(1)早期に漁協機能を回復させ、(2)漁協を核とした漁業・養殖業を構築し、(3)地域ごとに主体性をもった水産業の再生を図ることが何よりも重視されたのである。
岩手県の復興計画コンセプトは、宮城県が「単なる復旧ではなく再構築」、「現代社会の課題に対応した先進的な地域づくり」、「壊滅的な被害からの復興モデルの構築」などの構造改革理念を掲げて、「被災漁協を1/3〜1/5に集約し、水産特区を創設して漁業権を民営化して、民間資本の導入を図る」との方針を打ち出したのと比べれば、どれだけ地元の被災状況に即したものであるかが明らかだろう。巨大津波で壊滅した同じ沿岸部の漁港・漁村の復興計画でありながら、一方は「全て復旧」となり、他方は「1/3〜1/5に集約」すなわち「2/3〜4/5は切り捨て」になるのだからたまったものではない。

“安全至上主義”に陥っていないか
とはいえ、岩手県の復興計画コンセプトに全く問題がないかといえば、必ずしもそうとはいえない。それは、今回の東日本大震災の一大特徴である巨大津波災害に対して、各県の復興計画がどう立ち向かうかという課題に関する基本問題でもある。岩手県復興計画は次のように言う(第2章、復興の目指す姿と3つの原則)。
「復興に向けた歩みを進めるに当たっては、まず「安全」を確保しなければならない。被災者が希望を持って「ふるさと」に住み続けることができるよう、「暮らし」を再建し、「なりわい」を再生することによって、復興の道筋を明確に示すことが重要である。このことから、「安全」の確保、「暮らし」の再建、「なりわい」の再生を復興に向けた3つの原則として掲げ、この原則のもとで、地域のコミュニティや、人と人、地域と地域のつながりを重視しながら、ふるさと岩手・三陸の復興を実現するための取り組みを進める。」
この文章の下に「復興に向けた3つの原則」の解説図(三角形)が付され、頂点(頂角)に「安全の確保」、底辺(底角)には「暮らしの再建」と「なりわいの再生」がそれぞれ位置づけられている。ちなみに解説図の説明文は以下のようなものだ。
「安全」の確保:津波により再び人命が失われることのないよう、多重防災型まちづくりを行うとともに、災害に強い交通ネットワークを構築し、住民の安全を確保する。
「暮らし」の再建:住宅の供給や仕事の確保など、地域住民それぞれの生活の再建を図る。さらに医療・福祉・介護体制など生命と心身の健康を守るシステムや教育環境の再構築、地域コミュニティ活動への支援などにより、地域の再建を図る。
「なりわい」の再生:生産者が意欲と希望を持って生産活動を行うとともに、生産体制の構築、基盤整備、金融面や制度面の支援を行うことにより、地域産業の再生を図る。さらに地域の特色を生かした商品やサービスの創出や高付加価値化などの取組を支援することにより、地域経済の活性化を図る。
これらの文章を一読すれば、ごく真っ当なことが書いてあると誰もが受け取るだろう。私も内容的には賛同できる。だが、あえて問題点を指摘するならば、復興3原則のなかで「安全原則」が頂点に位置し、「暮らし原則」と「なりわい原則」が底辺に位置づけられているという復興計画の“三角形構造”は果たして適切なのかどうかということだ。つまり岩手県復興計画においては、「復興に向けた歩みを進めるに当たっては、まず「安全」を確保しなければならない」として安全が第一義に掲げられ、暮らしとなりわいは第二義的に位置づけられる構造になっているのである。

小沢王国の“土木復興計画”に傾く恐れ
この“安全至上主義”の構造は、復興計画書の目次構成でも確認できる。「復興に向けた取組」(第4章)のなかの主要施策が「安全」→「暮らし」→「なりわい」の順序で並べられ、「防災のまちづくり」、「交通ネットワーク」をトップにして、以下「生活・雇用」、「保健・医療・福祉」、「教育・文化」、「地域コミュニティ」、「市町村行政機能」と続き、最後が「水産業・農林業」、「商工業」、「観光」になっている。
抽象的な言葉の上だけのことで言えば、「死んでは元も子もない」のだから「安全第一」を計画理念として掲げることは間違っていない。しかし復興計画は“復興プロセス“という時間概念によって裏付けられた長期にわたる施策体系なのであるから、計画理念を語ればそれで済むというものではない。とりわけ「安全の確保」(巨大土木事業など)を実現するには気の遠くなるような時間が必要である以上、その復興プロセスにおいて、復興3原則が優先順位も含めて時間的に如何にコーディネート(調整)するかが計画の死命を制することになるからである。
岩手県石川啄木宮沢賢治を生んだ土地であり、その素朴で実直な風土や県民性は日本人の美徳を示すものとしてよく知られている。だがその一方、岩手県はかっての新潟県の「角栄王国」と同じく、戦後の日本政治を翻弄してきた小沢一郎氏が支配する「小沢王国」でもあるということだ。小沢氏は震災後も1年近く地元に帰ることなく(今年に入ってやっと帰郷した)、もっぱら中央政界での権力闘争や自らの裁判対策に明け暮れていた。それでも(それほど)県内における小沢氏の影響力は大きく、とりわけ腹心の部下である達増知事はその意向に忠実であることを執政の旨としているのだという。
小沢王国の特徴は、これまでの岩手県内の巨大ダム建設やギネス級の防潮堤建設にも象徴されるように、(1)災害時には官僚への強大な政治力を駆使して巨大土木公共事業を呼び込み、(2)秘書や「災害復興計画」を通して地元業界への建設投資を配分し(箇所付け)、(3)地方首長や地方議員の系列化を進めながら利益還元政治を貫徹するというものだ。この種の災害復興計画は、岩手県のみならずこれまで「日本列島改造論災害版」として全国津津浦浦に浸透してきた。
しかし小泉構造改革以降、グローバル市場を重視する財界の意向によって土木公共事業は大幅に削減され、ゼネコンや建設官僚は次第に「領地」(市場)を縮小されつつあった。また今回の大震災に際しては巨大防潮堤でさえ大津波は防げないことが明らかになり、「防災」から「減災」へと政策コンセプトを変更せざるを得なくなった。にもかかわらず蓋を開けてみると、土木公共事業はいつの間にか復興計画の主役として息を吹き返し、三陸沿岸道路(事業費1兆4千億円)をはじめ、日本列島改造時代の高速道路建設や港湾整備事業が巨大防潮堤・防波堤の建設とともに再び復活してきている。

安全が暮らしとなりわいを支える“逆三角形構造”が必要だ
昨年の本誌(2011年8月号)で、私は東日本大震災の復興のあり方に触れて「安全は暮らしの一部、全てではない」と書いた。それは「暮らし」や「なりわい」のなかに「安全」があるのであって、その逆ではないからだ。被災者の生命と生活の再生産は、仕事と収入の確保、健康と福祉の維持、子どもの保育・教育、地域コミュニティの形成など、多様な条件がそろわなくては持続することが出来ない。「安全」だけを確保しても全体の「暮らし」や「なりわい」が成り立たなければ、そこに住み続けることは不可能だからだ。
岩手県の復興3原則は、頂点に「安全の確保」、底辺に「暮らしの再建」と「なりわいの再生」がそれぞれ位置する三角形構造になっている。しかし上記の趣旨からすれば、復興3原則は「暮らしの再建」と「なりわいの再生」が上位に位置し、「安全の確保」が底辺に位置する“逆三角形構造”でなければならないと思う。「安全」が「暮らし」と「なりわい」の上に君臨するのではなく、「安全」は「暮らし」と「なりわい」を底辺で支えてこそ本来の使命を果たせると思うからだ。
岩手県東日本大震災津波復興計画」(2011年8月策定)の骨子は、もともと国の東日本大震災復興構想会議に提出された達増知事の意見書(2011年5月)のなかで緊急提言として提案された「まちづくり」、「水産業の再生」、「津波被害に係る二重債務の解消」に基づくものであった。これらはいずれもが被災地の再生にとって緊急不可欠な復旧復興施策であり、岩手県はもとより被災状況を同じくする宮城県にとっても等しく共有できる内容だといえた。
注目すべきは、この段階ではまだ「安全の確保」が最高原則として一人歩きすることなく、「まちづくり」という項目のなかに適切に位置づけられていた。これは、沿岸部の主な市街地や漁業で生計を立てる小規模な集落の多くが被災したという状況にかんがみ、(1)被災市街地における安全の確保と早急な復旧、(2)漁業集落における安全な居住地と就業の場の確保の2点が主要課題とされていたからだ。
私見としては、「安全の確保」よりもその上位概念である「まちづくり」の方が岩手県の復興3原則には相応しいのではないかと思う。なぜなら、「まちづくり」は単なるハードな建設事業を意味するだけではなく、ソフトな地域社会(コミュニティ)の形成を含んだ両義的な概念だからだ。もし「安全の確保」の代わりに「住民本位のまちづくり」が復興3原則として掲げられていれば、「暮らし」と「なりわい」をつなぐ結節点として「まちづくり」が重要な役割を果たすことになるであろう。またそうすれば、「被災者に寄り添い、一人ひとりの安全を保証し、その暮らしとなりわいの再建を支援する計画」(序章、計画の役割)の趣旨がもっと生かされることになるであろう。 

本番の復興事業がはじまる
2012年度からは不十分ながらも政府の復興予算が固まり、復興交付金の配分も始まっていよいよ復興事業が実施される予定だ。岩手県復興計画においては「復興への歩みと計画期間との関係」(第4章)のなかで、計画期間を「第1期(基盤復興期間)、2011年度〜2013年度」、「第2期(本格復興期間)、2014年度〜2016年度」、「第3期(更なる展開への連結期間)、2017年度〜2018年度」の3期に分けて、それぞれの計画期間ごとに3分野(安全、暮らし、なりわい)の大まかな施策展開の行程表が示されている。また、詳細な事業明細表が網羅された「第1期復興実施計画、2011年度〜13年度」(岩手県復興局、2011年8月)も策定された。
だが問題なのは、これらの行程表が3分野ごとに並列的に羅列されているだけで、全体を統括する行程表がないことだろう。これではそれぞれの分野で予算の付きやすい施策から個々バラバラに復興事業が進むことになり、「安全の確保」を掲げる巨大土木事業だけが進捗して、「暮らし」と「なりわい」に関する事業が遅れて復興3原則を総合的に実現できなくなる恐れがある。
復興事業の実施がいよいよ本番に入った段階では、3分野の復興事業を横断的に統括する「総括行程表」が必要であり、各事業を優先順位も含めて総合的にコントロールする「復興フローチャート」が求められる。岩手県の県是ともいうべき“愚直さ”を「暮らし」と「なりわい」においてどれほど追求できるか、小沢王国からの脱却はこの一点に懸っている。

●補注:民主党から小沢派の分裂後、2012年暮れの総選挙で民主党と小沢派がともに壊滅状態に陥り、土木公共事業の大判振る舞いを掲げる自民党政権が復活した。