再録『ねっとわーく京都』2012年9月号、関西広域連合は“東北再生共同体”のモデルになり得るか〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その4)、宮城県の場合〜(広原盛明の聞知見考、第20回)

2011年度日本新聞協会賞を受賞
 東日本大震災の発生以来、岩手県の「岩手日報」と同じく宮城県においても「河北新報」が地方紙ならではの健筆をふるってきた。連載企画「証言3.11大震災」「ドキュメント大震災」「焦点3.11大震災」など、同紙は被災者の目線に立って未曽有の災害を記録・検証し、また被災地が直面する課題に対して傾聴すべき問題提起を続けてきた。
 この報道姿勢は、日本新聞協会から「取材の幅の広さ、避難者に視点を据えて伝える姿勢、全体的な迫力やボリュームに加え、東日本大震災という極めて大きなニュースに立ち向かっていった強い読後感をもたらす。読者に寄り添う姿勢は、新聞ジャーナリズムの根幹を貫く報道である」と高く評価され、2011年度新聞協会賞(編集部門)を岩手日報とともに同時受賞することになった。現場記者や編集デスクの日夜分かたぬ努力に心からの敬意を表したい。
だが、河北新報は「ローカル紙」であると同時に東北地方の「ブロック紙」としての性格も併せ持っている。記事の内容は県内に重点があるものの、紙面の論調や主張は“東北の立場”を押し出す傾向がもともと強い。震災以降の紙面の推移をたどってみても、大型企画になると「ローカル視点」よりも「ブロック(広域)視点」が前面に出てくるのが大きな特徴だ。このことは、東日本大震災が「超広域災害」であるため当然のことであろうが、その一方、ブロック紙としての広域視点がともすれば「東北はひとつ=東北州構想」に向かうことは避けがたい。ちょうど、関西広域連合の「関西はひとつ」のキャッチコピーが道州制導入の謳い文句であるように。

2012年元旦から大型企画がスタート
2012年元旦からスタートした大型企画、『東北再生、あすへの針路〜河北新報社3分野11項目の提言』は、それまでの基調である「読者(被災者)に寄り添う姿勢」から「東北地方(被災地)をリードする姿勢」に論調を一転させるものだった。提言は、宮城県震災復興計画(日本版ショックドクトリン計画)を事実上後押しするもので、社告は次のようにいう(2012年1月1日)。 
 「東日本大震災からの本格的な復興と東北の新たな発展を目指し、河北新報社は同社が設置した東北再生委員会(委員長・一力雅彦社長)の議論を基に3分野11項目からなる提言をまとめた。6県による自立的な復興をリードする広域行政組織「東北再生共同体」の創設を呼び掛けているほか、被災地での独自のまちづくりや創造的な産業興しなどの分野で、具体的プロジェクトを掲げた。東北一体の再生という視点を重視し、被災地の報道機関として自治体などの復興計画をより推進させるため、大胆な発想で「災後」の東北像を示した」

 この社告の意図するところは、(1)東日本大震災からの本格的な復興と東北地方の新たな発展を目指す、(2)復興をリードする広域行政組織・「東北再生共同体」の創設を呼び掛ける、(3)「東北一体の再生」という視点を重視し、自治体などの復興計画をより推進させる、(4)大胆な発想で「災後」の東北像を示す、というものだ。つまり、地元での被災者・被災地の生活再建やなりわいの再生を追い続ける姿勢から、「東北再生共同体」という名の広域行政組織による構造改革的(新自由主義的)復興を推進する方向へ、被災地の報道機関が“面舵”(おもかじ:右方向)を切ったということであろう。

道州制導入の急先鋒、河北新報社
しかし、この大型企画にはどこか既視感(デジャブ)がつきまとう。同社が11年前の2001年元旦社説で、「地方主権を確立し東北を世界に開かれた地域とするため、道州制を採用し東北州を創設しよう」との大キャンペーンを開始した当時を彷彿(ほうふつ)とさせるのだ。
ルネサンス東北21』と題する21世紀元旦の提言は、「21世紀の東北像はどうあるべきか。河北新報社は「ルネサンス東北21」と題する地域づくりの指針をまとめた。行政組織の枠組み、市民意識の改革など5項目にわたるが、ここでは最大の柱となる東北州の創設について、その理念と必然性を論じたい」と、地方紙としては異例の主張を打ち出すものだった。また、その内容も「行き詰まりを見せている中央集権型の国家構造を「地方主権」の観点から大胆に再編。国の行政事務や財源を基礎的自治体(市)に大幅に移譲した上で、府県制を廃止し、全国のブロックごとに広域的な政策課題を担う州を樹立する。州には州知事と州議会を置き、「もう一つの政府」として機能する」という大胆きわまるものだった。
もともと河北新報社は、現社長が編集局長だった時代から“東北州”(道州制)導入の急先鋒であり、国の地方分権改革に呼応して「市町村合併推進」→「東北6県合併」→「東北州導入」の主張を掲げてきた地方紙だ。浅野知事時代には「みやぎ新しいまち・未来づくり」という名の市町村合併を積極的に支持し、同知事が「宮城県市町村合併推進要綱」(2000年)を制定して県内で大合併を本格化させるや否や、市町村合併の将来像につらなる道州制キャンペーンに乗り出したのである。国の道州制論議に「東北から風穴を開けたい」と意気込む提言は、以降、「道州制をキーワードに東北の未来像をデッサンする」という大型企画、『新連携時代、道州制を考える』へと引き継がれた(全26回、2001年3月25日〜6月15日)。

「東北州先行モデル」としての関西広域連合
浅野時代には東北州導入につらなる平成大合併を牽引し、村井県政では東北再生共同体を実現するための震災復興計画を後押しするキャンペーン活動の背景には、いったい何があるのであろうか。私には、東京一極集中の支配構造から自立しようとする「東北の盟主・宮城」の社会風土が投影されているように思えてならない。「東北州でもつくらない限り東京には対抗できない」との空気は、単に経済界や政界のみならず広く県民全体に共有されている感情でもあるからだ。そうでなければ、河北新報社がこれほどの勢いで広域行政推進の旗を振れるわけがない。
この“東北状況”は、橋下・大阪維新の会が推進する「大阪都構想」や関西財界が目指す「関西広域連合=関西州構想」の下での“関西状況”にも共通するものがある。「統治構造を変えなければ大阪の復権は不可能だ」、「大大阪にしなければ世界(東京)とは戦えない」と絶叫する橋下・大阪維新の会の演説に対して苦境にあえぐ市民や若者が共感を示すのは、東北と同じく大阪でも東京一極集中の影が重苦しく圧し掛かっているからだ。
そうした観点からみるとき、10年余り前の『新連携時代、道州制を考える』の前文が驚くほど今日的状況にフィットしていることに気付く。「国の成り立ちを地方を主人公として組み直す。地域のことは地域自身が決める。国内外と大胆に交信する東北を築くには県という古い殻をいったん捨て去る必要がある。県境を超えた連携の先に見えてくるもの。「道州制」をキーワードに東北の未来像をデッサンしてみる」というキャッチコピーは、「東北」を「大阪・関西」に代えれば、橋下・大阪維新の会の演説かと見まちがえるほど酷似しているのである。
東北州を目指す宮城県政や河北新報社にとって、早くから道州制導入を目指して広域行政を追求してきた関西の動きは、長年にわたって学ぶべき「先行モデル」だった。そして東日本大震災の発生直前、2010年12月に設立された関西広域連合は、東北再生の「戦略モデル」に格上げされて飛躍的に影響力を高めた。河北新報社の提言は、全体の考え方や基本理念をまとめた序文と「安全安心のまちづくり」「新しい産業システムの創生」「東北の連帯」の3分野から構成されるが、関西広域連合はそのなかの「東北の連帯」分野の「自立的復興へ東北再生共同体を創設」の中核モデルに位置づけられたのである。

関西広域連合に学べ
2010年秋から暮れにかけての河北新報の紙面は、社説を含めて「関西広域連合一色」に埋め尽くされた。「関西広域連合発足へ、分権の行方を左右する実験」(2010年10月15日)と題する社説は、「笛吹けど踊らずの地方分権に風穴をあけるべく地方側が動きだす。震源地は関西。府県をまたぐ防災や医療などの分野に共同で取り組む「関西広域連合」の年内設立が確実となった。(略)地域主権を国任せではなく自らの手で勝ち取ろうとの意欲を評価したい。手探りの運営となろうが新しい自治の形を提示してほしい。東北も「関西の実験」から多くを学ぶべきだ」と関西の動きを高く評価し、東北を叱咤激励した。
関西広域連合の発足後も取材記事が相次いだ。「自治胎動、広域連合の先進地関西、国の出先奪取へ」(同12月26日)は、「地方発の「新たなクニづくり」が勢いを失った民主党政権地域主権改革を突き動かそうとしている。照準は中央省庁が抱える出先機関の受け皿づくり。権限、財源、職員の移譲を迫り、中央集権の重い扉を開くのが狙いだ。トップランナーとして戦略を練る関西、7県が結束する九州、個々の知事の発信力で前進を図る関東。東北の課題を重ねながら胎動する地方自治の現場を報告する」として関西広域連合の初会合を華々しく紹介する一方、返す刃で「入り口論に終始し、ダイナミックな戦略を描けない東北との意識の隔たりは大きい」と嘆いた。
そして東日本大震災による1年近くの中断を経て、東北州構想はふたたび姿をあらわすことになった。提言『東北の再生、あすへの針路』(2012年1月1日)のなかでの、「東北再生共同体」という名の広域行政組織に名を変えての登場だ。提言はその意義とメリットを次のように力説する。
「東北の自立的な復興を実現するためには、被災地起点で構想する広域行政組織「東北再生共同体」の創設が不可欠だ」
「財源配分、事業の優先順位付けなど復興に向けた自治体間の利害調整を長期にわたって担い、被災3県の連携に加えて他の3県も含めた東北全体のグランドデザインを描いていくには、6県を包括した広域的な行政組織が必要だ」
 「具体的には、1980年代初頭にフランスが分権改革の一環として導入したレジオン(道州)が参考になる。州政府には域内で大規模開発を実施する際の計画立案と資金調達という役割が与えられている。国内では関西広域連合が一つのモデルになる」
 「長期にわたる復興を支えるためには、資金調達のレベルから新たな仕組みの構築が求められる。東北6県による「東北共同復興債」を発行し、津波被災地や原発事故被害が続く福島を東北全体で支える意思を表明する。官民の財政・資本力を裏付けとして投資や経営支援をバックアップする組織として「東北再生機構」の新設も必要。東北再生機構は投資機能に加え、起業の提案や市場の開拓など踏み込んだ経営支援にも積極的に関与する」などなど。

しかし、大飯原発再稼働容認で栄光は地に落ちた
提言『東北の再生、あすへの針路』は、その後の特集記事も加えて2012年7月現在すでに70回に及ぶ連載を重ねている。なかでも「第5部、提言・自立的復興へ東北再生共同体を創設」(8回)では関西広域連合の活躍がしばしば取り上げられ、たとえば道州制に関しては意見の異なる知事たちが関西の発展という大義を実現するため、広域行政へ大きなステップを踏み出すことによって、「関電というガリバー」に立ち向う成功物語が次のように紹介されている(2012年6月5日)。
関西広域連合が、組織の潜在力を見せつけたエピソードがある。昨年6月、関西広域連合は当時の橋下徹大阪府知事(現大阪市長)が急先鋒(せんぽう)となり、関西電力が発表した15%の節電要請を「のめない」と突っぱねたのだ。「数値の具体的根拠や、関電の努力が示されていない」というのが理由だった。これにより情報公開に後ろ向きだった関電は同年冬の節電要請から、関西広域連合事前協議するようになった。「組織があったからこそ、関電というガリバーに立ち向かえた」との思いは各知事に共通だ」
だが、この記事が掲載される4日前の5月30日、すでに関西広域連合の首長たちは関電大飯原発の再稼働問題についてのこれまでの反対姿勢を一転させ、「中立性が確保され、科学的、客観的な判断を行いうる体制を早急に確立すること」、「事故に備え、防災指針、防災基本計画や原子力防災体制を緊急に整備すること」などに関する要望の回答を政府や関電から何ら得られないまま、“原発再稼働容認”の声明を発表していたのだ。
その見事なばかりの“変節”を象徴するのが、これまで関電に対する強硬姿勢で知られる橋下大阪市長(前府知事)の「まあ、うわべばっかり言っていてもしょうがないんでね。事実上の容認ですよ」(5月31日)という無責任発言だろう。要するに、橋下氏は関電大飯原発の安全性に関する住民の不安に「うわべだけ」同調する振りをしながら、その実は関電や政府のために原発再稼働に道を開く方策を探っていたのであろう。
このことは言葉の上ではどうあれ、井戸兵庫県知事や山田京都府知事にも基本的に通じることだ。関西広域連合は結局のところ「関電というガリバー」に屈したのであり、大飯原発をはじめとする全国原発の再稼働に道を開く「水先案内人」の役割を果たしたのである。関西一円では各地で「首長たちに裏切られた」との声が一斉に上がり、再稼働を事実上容認した関西広域連合に怒りと憤りが集中した。東北再生共同体のモデルとして「天まで持ち上げられた」関西広域連合の栄光は、一瞬にして地に落ちたのである。

民主党マニフェストの崩壊で地域主権改革は頓挫した
関西広域連合にとってのもうひとつの大きな誤算は、民主党マニフェストの崩壊による地域主権改革の頓挫だった。関西広域連合は、地域主権改革の試金石として『国出先間の原則廃止、関西広域連合への“丸ごと移管”に向けて』(2012年3月)を発表し、「国の出先機関の廃止による権限移譲の受け皿を備えることにより、地方分権改革の突破口を開く」ことを最大の目標にしていた。
ところが、国の出先機関国土交通省地方整備局、経済産業省経済産業局環境省地方環境事務所)を2012年度中に地方移管する特例法案の閣議決定の直前、近畿市長会・町村会役員に対する説明会を開いたところ、出席した関西2府4県24市町村の首長からは出先機関の機能維持や予算配分を不安視する声が多く、異論や疑問が続出した。これまで広域連合の制度設計は専ら関係知事と国の間で進められ、市町村はまったく「カヤの外」に置かれてきたからだ(神戸新聞、2012年3月21日)。
しかしより決定的だったのは、同説明会で関西広域連合奈良県が未加入である現状について、内閣府地域主権戦略室次長が「奈良県が入っていないと地方移管できない公算が大きい」との見解をはじめて示したことだ。井戸連合長(兵庫県知事)は引き続き奈良県に加入を求め、権限の委任や代行を可能にする制度設計を政府に要望するとしたが、この瞬間に関西広域連合が国の出先機関の地方移管の受け皿にもならない“砂上の楼閣“にすぎないことが判明したのである。
加えて、日本経済新聞(同6月16日)は、政府が6月15日の閣議において国の出先機関を2012年度中に地方移管する特例法案の閣議決定を先送りしたことを突如伝えた。理由は「(全国の)市町村が反対し、法案提出にあたって与党側の了承が得られなかった影響が大きい」からだという。またこれに先立ち民主党地域主権調査会を開いて特例法案を論議したが、「広域災害は国でないと対応できない」「市町村の関与が希薄」との反対意見が強く、全国町村会全国市長会の「東日本大震災で被災各県の行政が混乱する中、迅速に対応したのは地方整備局などの出先機関だ」との主張もあって、特例法案が今国会に提出されても成立が見通せなくなっていた(西日本新聞、同6月12日)。
民主党野田政権は、消費税増税のために「2009年民主党マニフェスト」を投げ捨て、自民・公明両党に屈服した。当然のことながらマニフェストの1丁目1番地であった「地域主権改革」の公約も投げ捨てられることで、その第一歩である国の出先機関の地方移管に関する特例法案もお蔵入りすることが確実であろう。また民主党が政権の一角として存続し得たとしても、自民・公明両党との「3党合意」が政権維持の前提である以上、「出先機関の地方移管は認めない」と決議している自民党の意向に逆らうことなどあり得ない。
民主党地域主権改革が崩壊すれば、「国の出先機関の地方移管」という“錦の御旗”を失った広域連合は機能不全に陥り、その先陣を切っていた関西広域連合も空洞化が進むことは避けられない。ましてその切っ掛けさえも掴めない東北地方においては、東北再生共同体の創設など「夢のまた夢」に終わることは間違いない。

福島原発問題と向き合わない“東北再生共同体”に未来はない
振り返ってみると、東北6県による自立的復興をリードする広域行政組織、「東北再生共同体=東北再生機構」創設の提言は、もともと被災者や被災地の要望に応えて提起されたものでなく、宮城県復興計画と同じく野村総研や増田顧問のアイデアにもとづいて打ち出されたところに、そもそもの「ボタンの掛け違い」があったというべきだろう。
「長期にわたる復興を支えるためには、資金調達のレベルから新たな仕組みの構築が求められる。東北6県による「東北共同復興債」を発行し、津波被災地や原発事故被害が続く福島を東北全体で支える意思を表明する。世界中から調達した再生資金を疲弊した被災地に行き渡らせる組織として「東北再生機構」の新設も必要だ」という主張は、一見自治体間の支え合いを促す人道的な提言のようにも聞こえるが、穿った見方をすれば、東京電力原発事故責任を免罪して、東日本大震災の復興資金を「自助努力」でまかなうための提案とも受け取れる。
このことがあながち杞憂でないことは、眼を皿のようにして探してみても、河北新報社の提言のなかには「東京電力」の名が一度も登場せず、福島原発事故の責任追及や賠償責任に関する言及も一切ないことによっても裏付けられる。そして驚くなかれ、「東京電力福島第1原発事故は、戦後一貫して原子力依存度を高めてきた日本のエネルギー政策に見直しを迫る。注目が集まるのは地域資源の活用が図れ、環境負荷が小さい再生可能エネルギーの開発で、自然の豊かな東北の潜在能力は極めて高い。再生可能エネルギーの有用性を高めるのは、電力の供給安定に有効な蓄電池技術の進化だ」として、原発問題は「新しい産業システムの創生」分野の 「地域に密着した再生可能エネルギー戦略、蓄電池技術の向上・普及」に矮小化されていくのである。
福島原発問題が提言から除かれた理由は明白だ。提言を起草した「東北再生委員会」のメンバーの多くが旧通産省・旧建設省の官僚経験者で占められ、極めつきは東北経済連合会副会長の要職にある東北電力元役員が1員として加わっているからだ。だから東北再生の要であるエネルギー政策についても一切触れることができないし、福島・女川原発問題についても素通りということにならざるを得ない。
とはいえ、東北6県に「福島県は含まれない」というなら話は別だが、そうでないとするなら、『東北再生、あすへの針路』の課題から福島原発事故を無視することがどれほど被災者・被災地・避難者を冒涜するものであるかは子どもでもわかる話だ。提言には確かに傾聴すべき知見や示唆も含まれているが、私は福島原発問題を取り上げなかった(回避した)という1点において、この提言は「万死に値する」と考える。関西広域連合大飯原発再稼働を事実上容認したことによって失墜したように、福島原発問題に向き合わない“東北再生共同体”に未来はないのである。

●補注:自民党政権の復活以降、近畿地方各県知事の発言はバラバラになり、関西広域連合の影は薄くなった。