「東北の歴史」を学ばずして、どうして「東北の未来」(復興)を語れるのか、河北新報はいかに復興を提言したか(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その28)

 河北新報社の11項目提言の連載は、「新たな東北、新たな一歩」というタイトルの序文から始まる。冒頭の一節は、「「戦後」に代わって「災後」という時代が開けようとしている。私たちは今、歴史の峠に立っている。東日本大震災からの復興を誓い、新しい東北の創造に挑もうとするとき、このことを強く心に刻みたい」というものだ。

「災後」という言葉は、東日本大震災の直後に御厨貴氏(政治学者、東日本大震災復興構想会議議長代理)によって生み出された新語だ(読売新聞2011年3月24日)。御厨氏は「戦後」という言葉のアナロジー(比喩)として「災後」を提起し、日本の「戦後」は3月11日大地震による大津波原発事故という未曾有の天災と人災の複合型災害によって打ち砕かれて「災後」へ移行し、高度成長型の政治・経済・文化が終焉したと主張した。

この新語は時宣を得て瞬く間にマスメディアに伝播し、御厨氏の言う「災後政治」は「災後社会」「災後時代」などより大きな意味を持つ広がりを見せるようになった。だが注目すべきは、御厨氏は東日本大震災によって「戦後」が終わったことは指摘したものの、「災後政治」の具体的なイメージや内容についてはほとんど言及していないことだ。「国土創造という前代未聞の課題に立ち向かうこと」が最優先のテーマであることは強調しているが、それ以上のことは語っていないのである。

しかし「戦後」という言葉は、歴史学においては戦前の軍国主義国家日本から戦後の平和国家日本への歴史的転換を意味し、またそれが近代日本の歴史的画期として位置づけられている。このことを思えば、戦後の高度成長型の政治・経済・文化が3.11大震災によって終止符を打たれた以上、「災後」は「戦後」と同じくそれにふさわしい歴史的意味と内容を付与されて然るべきであろう。東北地方の「災後」に即して言えば、それは取りも直さず高度成長時代の地域開発政策の総括からスタートしなければならず、土建王国の形成や原発基地の集積など「東北開発の歪み」を解明するものでなければならないだろう。

換言すれば、「災後」は“戦後高度成長時代の総決算”を前提にしてはじめて歴史的意味を有するのであり、「ポスト成長時代」すなわち「サステイナブル社会」への道を切り開くことによって歴史的画期となり得るのである。そして震災復興はあくまでもそのための第一歩でなければならず、“持続的発展”(脱原発・脱成長)を基本理念とすることによってのみ、「新たな東北」への「新たな一歩」を踏み出すことができるというべきであろう。 

だが、河北新報社の復興スローガンが「東北の、東北による、世界のための復興」であるように、提言は「私たちは今、歴史の峠に立っている」といいながら、実は「東北開発」の歴史的総括はどこを探しても出てこない。基本理念として提示されているのは、「新しい東北をおこす=創造的な発想」、「むすぶ=人や地域の絆」、「ひらく=グローバルな視野の大切さ」という抽象的な言葉だけで、「戦後」に代わる「災後」という新しい時代のはじまりを告げるキーワードが見つからないのである。そこには福島原発事故という未曽有の災害(人災)に直面しながら、なお「脱原発」をエネルギー戦略として掲げられない提言の本質と限界が露呈されている。

「組織は人なり」というが、それを解く鍵は河北新報社が選んだ東北再生委員会のメンバー構成にあるように思う。前回、私はそれを「宮城・仙台中心の東北再生チーム」だと指摘したが、今回各委員のキャリアを調べてみて一層その感を深くした。委員と専門委員を合わせた18人のうち、河北新報社2人を除く16人の委員の多くが高度成長時代の担い手(リーダー)であり、とりわけ政府関係のキャリア官僚経験者が16人中9人を占めているのには驚いた。それも旧通産省・旧建設省など高度成長の旗振りの先頭に立ってきたキャリア官僚経験者が圧倒的に多いのだ。

●大学研究者4人(経営学、福祉学、建築学、地理学)
●政府官僚3人(現役・ОB、旧建設省経済産業省・旧通産省
●政府官僚出身あるいは政府官僚を経験した研究者4人
内閣府・旧経済企画庁水産庁、旧建設省
●日銀、政府系銀行2人
●実業家3人(建築家、水産会社、東北電力

本来的に言って「戦後」から「災後」への時代転換を掲げ、「歴史の峠」に立って東北の未来(復興)を展望しようとするのであれば、そこには歴史学や哲学、倫理学環境学などの識者を欠かすことはできないのではないか。戦後高度成長時代の東北開発は一体いかなるものだったのか。それが東日本大震災の下地となり引き金になったとすれば、そこからいかなる教訓を引き出すのか。「戦後」と異なる「災後」の東北開発の理念をいかに構築するかなど、歴史的にも思想的にも検討しなければならない課題は山ほどあるからだ。

言葉は多少下品になるが、「同じ穴のムジナ」は所詮「同じ形の穴」しか掘ることができない。東北再生委員会のメンバーがいかに優秀であったとしても、戦後高度成長の政治・経済・文化を担ったグループが「災後時代」「災後社会」のグランドデザインを描くことは所詮無理なのだ。ドイツの「脱原発政策」をリードしたのは倫理学者だったように、東北の未来(復興)を描くことができるのは、「戦後高度成長」に対峙してきたグループ以外にないのではないか。

「歴史に学ばないものは未来を見通すことができない」と言われる。河北新報社の数々の提言は本当に未来を展望するものかどうか、その検証はこれからの復興過程で否応なく明らかになるだろう。(つづく)