「読者に寄り添う姿勢」から「東北地方をリードする姿勢」へ方向転換、河北新報はいかに復興を提言したか(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その27)

 東日本大震災の発生以来、岩手県の「岩手日報」と同じく宮城県においても「河北新報」が地方紙ならではの健筆をふるってきた。連載企画「証言3.11大震災」「ドキュメント大震災」「焦点3.11大震災」など、被災者の目線に立って未曽有の災害を記録・検証し、また被災地が直面する課題に対しても傾聴すべき問題提起を続けてきた。 
 この報道姿勢は、日本新聞協会から「取材の幅の広さ、避難者に視点を据えて伝える姿勢、全体的な迫力やボリュームに加え、東日本大震災という極めて大きなニュースに立ち向かっていった強い読後感をもたらす。読者に寄り添う姿勢は、新聞ジャーナリズムの根幹を貫く報道である」と高く評価され、2011年度新聞協会賞(編集部門)を岩手日報とともに同時受賞することになった。現場記者や編集デスクの日夜分かたぬ懸命の努力に心から敬意を表したい。

だが、河北新報岩手日報福島民報と同じく「ローカル紙」であると同時に、東北地方の「ブロック紙」としての性格も帯びている。だから、記事の内容は県内中心であるものの、紙面の論調や主張は“東北の立場”を押し出す傾向がもともと強い。震災以降の紙面の推移をたどってみても、大型企画になると「ローカル視点」よりも「ブロック(広域)視点」が前面に出てくる傾向が顕著に認められる。

このことは、今回の東日本大震災が県境をはるかに超える「超広域災害」であるため当然の傾向であろうが、その一方、意図的かどうかは別にして、ブロック紙としての広域視点が「東北はひとつ=東北州構想」(関西広域連合の「関西はひとつ」のコピー)に接近していくことが避けがたいことを示している。

とりわけ2012年元旦から連載が始まった『東北再生、あすへの進路〜河北新報社、3分野11項目の提言』は、それまでの基調である「読者(被災者)に寄り添う姿勢」から「東北地方(被災地)をリードする姿勢」に論調を一転させたものであり、提言の内容は、主として宮城県復興計画(日本型ショックドクトリン計画)を補強し、後押しするものになっている。社告は次のようにいう(2012年1月1日)。

 「東日本大震災からの本格的な復興と東北の新たな発展を目指し、河北新報社は同社が設置した東北再生委員会(委員長・一力雅彦社長)の議論を基に3分野11項目からなる提言をまとめた。6県による自立的な復興をリードする広域行政組織「東北再生共同体」の創設を呼び掛けているほか、被災地での独自のまちづくりや創造的な産業興しなどの分野で、具体的プロジェクトを掲げた。東北一体の再生という視点を重視し、被災地の報道機関として自治体などの復興計画をより推進させるため、大胆な発想で「災後」の東北像を示した。」

 社告が意図するところは、(1)東日本大震災からの本格的な復興と東北の新たな発展を目指す、(2)復興をリードする広域行政組織「東北再生共同体」の創設を呼び掛ける、(3)東北一体の再生という視点を重視し、自治体などの復興計画をより推進させる、(4)大胆な発想で「災後」の東北像を示す、というものだ。つまり、遅々として進まない被災者・被災地の生活再建やなりわいの再生を追い続けることから、「東北再生共同体」という名の広域行政機構による構造改革的(新自由主義的)復興を推進する方向へ被災地の報道機関が「舵を切った」ということであろう。

 この報道姿勢の転換(変質)は、まず何よりも河北新報社が設置した東北再生委員会のメンバー構成そのものに象徴される。宮城県が(野村総研推薦の)東京中心の委員構成で復興計画を策定したのと全く同じように、河北新報社もまた「東北の新たな発展」「東北一体の再生」「東北再生共同体の創設」を麗々しく掲げながら、それを検討する「東北再生委員会」からは宮城県以外の東北6県関係者がほとんど排除されている。秋田県山形県はもとより岩手県福島県の被災県関係者ですら数えるほどもいない。

委員の大多数が東京で活躍する有名人(要人)か東北大学旧帝国大学)関係者で占められ、そこには東北各県の被災現場で被災者の生活再建のために奮闘している岩手大学福島大学などの研究者の姿は誰一人みられない。つまり河北新報社のいう「東北再生」とはすなわち「宮城・仙台中心の東北再生」のことであり、「東北再生共同体」とは「将来の東北州」につらなる広域行政機構のことなのである。

東北再生委員会の代表格が、名負う手の道州制論者として知られる増田寛也氏(元総務相野村総研顧問)であることもそのことを傍証している。増田氏は野村総研(NRI)顧問に就任した当時(2009年)から、今回の「NRI震災復興支援プロジェクト」のリーダーである山田澤明氏らとの座談会で、「増田さんは総務大臣のころ、地方分権を積極的に推進されましたが、都道府県、市町村の役割はどうなっていくと思われますか。特に社会資本整備については、道州制を視野に入れつつ、もっと大きいブロックに権限を移すべきとの意見もあるようですが、この点についてはどうお考えですか」との質問に答えて、すでに道州制の抱負を次のように語っていた(NRIマネイジメントレビュー、2009年9月)。

「広域地域の統治の担い手として、都道府県単位が相応しいかどうかということについては、今おっしゃたように、単位を大きくして道州制的なものがいいのではないかと思います。ただ、道州制についてはまだ少し時間がかかるでしょうね。当面は、都道府県が今までの都道府県単位という考え方を改め、もっと広域に目を向け隣県と協力するという姿勢を強く持つべきだと思います。」

また今回の提言に関する「再生委員に聞く」のコーナーでも、見出しが「元総務相増田寛也氏/県境超えた理念に意義」(2012年1月3日)とあるように、もっぱら県を超えた広域行政の必要性を説くことに終始している。

 「東京電力福島第1原発事故の福島や津波被災地・東北は『FUKUSHIMA』『TOHOKU』という単語になり、世界を駆けめぐっている。震災により各国との距離が縮まり、支援に応じた多くの人々が今も、復興への足取りにまなざしを向けている。世界の一員としての東北を意識し、視野を広げて将来を見据えることが大切だ。」

 「どこまでを公が支援し、個は何をすべきか。役割分担を明確にしたい。加えて河北新報社の提言のように、県単位にとどまらず、被災地が一体となったビジョンを発信し続ける姿勢が大切だ。経済再建の担い手となる企業はグローバル化のただ中にいる。世界に開き、共存の素地をつくることは復興への力になる。」

 「復興には県境を超えたスケール感のある仕掛けが欠かせない。広域行政組織は発展への礎となり、共同債は裾野の広いプロジェクトを生み育てる受け皿になるだろう。東北の未来を創造するために大きな意義がある。」

この発言が提言のなかの「東北再生共同体」とどうつながるのか。次回以降の分析のなかで明らかにしていきたい。(つづく)