橋下大阪市長の問責決議案が否決された、しかし小手先の回避策は却って傷を広げるだけだ、「憲法改正」に関する世論が激動している(その5)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(9)

 2013年5月30日の各紙は、大見出しで「橋下大阪市長問責決議案、大阪市議会で可決へ」との観測記事を一斉に掲げた。自民・民主・共産の3会派が橋下市長の問責決議案を出し、公明が賛成して可決される見通しだと伝えたのである。ところが、今朝31日の各紙はどうだ。事態は一転して「橋下大阪市長問責決議案、大阪市議会で否決」とある。まるでオセロゲームのように白から黒へと正反対のことが僅か1日の間に起るのだから、記者たちもさぞかし忙しかったに違いない。

 原因は明快だ。維新の会の松井幹事長が「問責決議が可決されたら出直し市長選を参院選にぶつける」と脅かし、それに動揺した公明党が一転して「賛成」から「反対」に回っただけのことだ。でも、いったん他会派と合意したはずの政党としての約束を「舌の根の乾かない」うちに破棄するのだから、この政党の党利党略(損得勘定)には呆れる。大阪市議会での「与党」の立場がそれほどオイシイからなのか、それとも大阪市長選が重なると参院選での公明の選挙運動に支障が出るからなのか。

 だが、公明党はこの事態を甘く見てはいけない。「橋下マタ―」はもはや大阪のローカル現象なのではなく“国際問題”化しているのだから、大阪市議会や大阪選挙区の都合(だけ)でこれほどの「豹変」(政治的な裏切りと云ってよい)をやってのけると、公明党の全国イメージの悪化は避けられない。得体のしれない「ヌエ」のような存在としての評価を一層高めるだけだ。間近に迫った東京都議選参院選への影響必至というべきだろう。

 一方、維新の側の思惑からすればどうか。もう何をやっても見向きもされなくなった橋下氏や維新が起死回生の一手を打つとすれば、大阪市長出直し選挙しか残っていなかった。この間の橋下氏の言動を追ってみると、あらゆる自己責任を回避しながら「民意(選挙)が判断する」と繰り返し発言してきたことが注目される。首長としての政治責任をすべて市長選挙に流し込み、再選されれば「全面的に信任された」と居直って、これまでの失策を一挙にご破算にしようとの策略だ。

 こうした維新側の魂胆からすれば、今回の問責決議案は「渡りに船」だったはずだ。予定通り問責決議案を可決させ、出直し市長選に打って出ればよかったのである。それがなぜ問責決議案に「待った」をかけ、公明を屈服させて否決に持ち込んだのか。私はその理由を次のように考える。

 最大の理由は、維新の側に大阪市長選で「絶対に勝つ」自信がなかったことだろう。残念なことに、いまのような状況になっても大阪にはまだ「橋下フアン」が結構いる(残っている)。それが橋下氏のいう「民意」の源泉になっているのだが、この「橋下フアン」がダブル選挙の時のように果たして選挙に来てくれるのか、投票してくれるのかが読み切れないのである。

 大阪では小選挙区でも維新が圧勝したように、維新の地方議員が相当数いて活動している。首長選挙ではこれら地方議員を総動員して固定票を掴むとともに、浮動票をどれだけ上積みするかが勝敗の決め手になる。ところが固定票が大幅に目減りしているうえに、浮動票の行方がつかめないのだから、橋下氏の弁舌(口舌)を以てしても「絶対に勝つ」とはいえないのである。

 橋下氏のキャラクターからすれば、「一か八か」の大勝負を仕掛けることに躊躇はないはずだ。彼の念頭には大阪市民や大阪市政のことなど片隅にしかなく、大阪市長のポストは権力の階段を駆け上がっていく「踊り場」でしかない。だから橋下氏にとって選挙は一種の「勝負事(バクチ)」にすぎないのであって、今回の出直し市長選挙もそのひとつでしかない。

 とはいえ、維新も相当数の地方議員を抱えるようになると、誰もかれもが橋下氏と一蓮托生の運命をともにすることができなくなる。市長選挙にもし負けるようなことがあると、自分たちも一夜のうちに「海のモズク」のごとく消えてしまうことが確実だからである。だから、いつまでも「バクチうち」とは付き合っていられないというわけだ。今回の問責決議案を維新が回避した背景には、むしろ市議団やその他地方議員の意向が強く働いているような気がする。

 しかしこのことは、橋下氏にとっては「野垂れ死」の道を歩むことを意味する。橋下氏が「一か八か」の大勝負を避けた瞬間から、彼の「終わりの終わり」のカウントダウンが始まったというべきであろう。そして都議選と参院選の惨敗の後には、維新の会の代表辞任と維新の会の解党が粛々と進むはずである。(つづく)