朝日新聞社さん、「橋下市長、辞職を撤回しませんか」との社説(2014年2月22日)を撤回しませんか、大阪都構想の評価があいまいな社説は世論を混乱させるだけだ、大阪出直し市長選をめぐって(その3)

 どんな論説委員が書いたのか知らないが、朝日新聞社は2014年2月22日の大阪本社版社説で、「橋下市長、辞職を撤回しませんか」と呼びかけた。橋下氏の辞職表明後、出直し選挙をめぐる各紙の論調は大方のところ「やっても無駄」「大義がない」というもので、“辞職撤回”にまで踏み込んだものはなかった。それが朝日が先頭を切って「駄駄っこをあやす」ような調子の社説を書いたのだから、かく言う私も含めて多くの朝日読者はさぞ驚いたことだろう。

 もともと朝日は橋下氏に対して大甘だった。最初から「天下の風雲児」「稀代の改革旗手」などと天まで持ち上げ、“橋下ブーム”“維新ブーム”に火を付けた張本人なのだ。それが昨年の慰安婦発言問題をきっかけにして橋下維新の凋落が始まるや今度は批判側に回り、今回の市長辞職・出直し選挙に関してもそれなりの報道を続けてきた。朝日もようやく目が覚めたのかと思っていたほどだ。

 ところが最後の土壇場に来て、朝日が再び橋下氏の応援を買って出るような行動に出たのはなぜか。社説を読めば、出直し市長選に勝ったとしても事態の打開につながらないことを諄々(じゅんじゅん)と諭し、ご親切にも辞職を撤回した方が得策だと懇切丁寧に橋下氏に進言しているのである。まるで維新の後見人のような書きぶりではないか。

 社説のキモは、「橋下氏の都構想は、大阪の未来を考える問題提起となった。時間をかけて課題を整理し、議論を進めていくべきだ」という一節にある。維新の都構想が「大阪の未来を考える問題提起」になったというのだから、これだと朝日社説は大阪都構想を評価していることになる。橋下氏の問題提起はよかった、しかし議論の仕方がまずい、だからもっと時間をかけて議論しようというわけだ。だが、いつから朝日は大阪都構想を評価するようになったのか。また、その論拠は何か。

 字数の限られている社説なので論拠は詳しくわからない。でもそれらしき箇所と言えば、「経済の地盤沈下に歯止めがかからないまま、全国最多の生活保護受給者数は今後も増えそうだ。不毛な争いにエネルギーを投じるひまもない」というあたりだろう。つまり大阪が直面している経済の地盤沈下や貧困の進行に対して、大阪都構想はそれらの解決方向(未来)を考える何らかの問題提起をした――との認識のようだ。

 大阪市を解体して大阪府と合体させ「二重行政」の無駄を省く、浮いた財源を大型開発事業に集中投資して大阪の経済を活性化させる、これが橋下氏の大阪都構想大義名分であり謳い文句だった。だが知事時代にぶち上げられた「夢のような」大阪都構想が、橋下氏が大阪市長になってからは次々と化けの皮が剥がれて市民や議会の失望(失笑)を買い、そのラストステージが法定協議会での区割り設計図の行き詰まりだったのである。

 かくの如き大阪都構想に関する議論の推移を冷静に眺めれば、間違っても橋下氏に辞職撤回を進言し、「もっと議論をしよう」といった助け船は出せないはずだ。大阪都構想の虚構と破綻を直視すれば、この際「橋下市長、出直し市長選を止めて辞職しませんか」との社説を掲げるほうがはるかに読者にアピールするだろう。それが正反対の主張をするのだから、朝日の論説委員はいったい何を考えているのか、その見識を疑わざるを得ない。

 くわえて、「都構想に反対しながら明確な対案を示さず、いざ選挙になったらさっさと不戦敗を決め込んだ各党も、市民を落胆させた。ここは「痛み分け」とし、共に仕切り直した対話すべきだ」という一節も気にかかる。現在の地方自治制度の根幹である基礎自治体大阪市)と広域自治体大阪府)の組み合わせを基本とする立場からすれば、大阪市を解体する都構想に「対案」など出せるはずがない。「対案」を出せというのは大阪都構想に賛成する立場からの主張であって、「対案=妥協案」を出せと言っているのと同じことだ。大阪都構想そのものが地方自治制度の破壊につながるとの見方からすれば、「反対」がすなわち「明確な対案」なのである。

 結局のところ、朝日社説は橋下氏の退陣を求めず、辞職を撤回させるという延命策(迂回策)を打ち出したのだろう。大阪都構想をめぐる対決に決着をつけず、「痛み分け」と「仕切り直し」で事態の打開を図れと橋下氏と議会の双方に促しているのである。でもこんな見え透いた妥協策は通用しない。大阪都構想を葬り、橋下氏を次の市長選で退陣に追い込んでこそ「大阪の未来」は開けるというものだ。出直し市長選の見送りは敗北でもなんでもない。本番(2015年ダブル首長選)前のリハーサルにエネルギーを使う必要などさらさらないからだ。(つづく)