「東京都知事選を考える」といった大げさなタイトルを掲げながら、自分の非力さのゆえにこの間ほとんど選挙情勢について分析らしい分析ができなかった。1千万人を超える有権者の首都東京での首長選挙がどれほど巨大かつ複雑であるかを知って、手も足も出ないという自縄自縛の状況に陥ったのである。東京からの各種メールも発信者によって正反対の情報が送られてくることも珍しくはなく、京都のような等身大都市に住んでいる者にとっては戸惑うことが多く、判断に迷った。
それでも選挙が終わってみると、そこにあらわれた政治状況は、やはり現在の世情を映した以外の何物でもなかったような気がする。詳しいことはまだ各紙を読み比べていないのでよくわからないが、私がとくに強く感じたことをとりあえず4点ほど挙げたい。第1は大雪のせいもあるが投票率が著しく低かったこと。第2は国民的争点の原発問題に対する関心が薄れ、脱原発候補が並列したこと(分裂ではない)。第3は自公政権の与党候補が予想通り当選したこと。第4は極右候補が無視できない得票をしたことである。
まず第1に、投票率が46.1%(前回62.6%)で有権者の半数にも満たず、過去3番目の低さにとどまったことは、ひとり大雪の影響だけではないような気がする。与党候補の優勢が選挙中に繰り返し伝えられていたこともあるが、東京のような大都市での政治変革のエネルギーが薄れ、現状維持(諦めも含めて)の風潮が著しく強まってきていることを感じないわけにはいかない。安倍政権がこれほど右方向へ急カーブを切っているにもかかわらず高支持率を維持している国全体の状況が、都知事選の投票率の低さにあらわれていると言ったら間違いだろうか。「現状維持」→「与党候補でよい」→「投票に行かない」という思考回路と行動様式が(とりわけ東京の中間層には)浸透してきているように思えてならないのである。
第2は、率直に言って原発問題への関心が薄れてきているように思えることだ。確かに世論調査をすると、原発再稼働に「反対」が「賛成」を上回っているので“脱原発”の世論は変わらないようにも見える。しかし、これらの世論調査は原発再稼働の有無だけを取り出して賛否を問うシングルイッシュ―形式の質問なので、今回の都知事選のように数ある課題の中での原発問題の占める優先順位について問われると、当面の日常生活上の課題(たとえば高齢化問題にともなう看護・介護など)が前面に出てくるのは止むを得ない。
福島原発事故の直後には、政府が表向きは大丈夫だと言っているのに東京から京都へ避難してきた家族が結構多かった。その人たちの特徴は、アメリカや政府の内部情報に詳しい中間層や上層の人たちで、京都の高級マンションが即売り切れになり価格が急騰したことは記憶に新しい。だが、その人たちはもう京都にはいない。福島からの避難者が京都で不便な生活を余儀なくされ(私の在住する伏見区に集住している)、いまだ帰還できないにもかかわらず、東京はいまや原発事故を意識しなくても日常的に暮らせる状態に戻ったのであろう。
私は今回の都知事選で原発問題が最大の争点になると思っていた。東京が福島原発事故当時どれだけの脅威に曝されていたかを、放射能の専門家たちから嫌というほど聞かされてきたからだ。しかし、原発問題は知事選の最大の争点にはならなかった。そのことが脱原発候補を一本化できず、並列して選挙戦を戦う政治的背景になったのであろう。でも「並列」と「分裂」は違う。「分裂」はこれまで統一していた脱原発運動が文字通り分裂することだが、脱原発運動はもともと全国各地で並行しながらその時々に連携してきたのであって、これからもその潮流は変わらないだろう。都知事選で脱原発候補が並列したことはその流れの中で理解すればよいだけのことだ(もちろん一本化すればよかったとは思っているが)。
第3の与党候補が予想通り当選したことは省略して、極右候補が61万票もの無視できない数を得票した第4の点に注目したい。特に憂慮すべきは、若い年代に極右候補への得票率が高いことだ。朝日新聞の出口調査によると、20代では極右候補の得票率が24%に達し、2人の脱原発候補の19%、11%をかなり上回っている。実に若者の4人に1人が極右候補に投票したのであって、しかもそれが首都東京で現実のものになったことは容易ならざる事態だと言うべきではないか。
おそらく極右候補を押し出した石原氏は「してやったり!」とほくそ笑んでいるであろうが、安倍政権が目下高支持率を維持していることあって、この傾向は今後次第に全国化していくのではないかと懸念する。これまでの「第3政党」は保守政権の補完勢力や翼賛勢力の域を出なかったが、今回の都知事選で明らかになったことは、「極右政党」の名前を最初から掲げた本格的な政治勢力の登場を予感させる。(つづく)