共産党は何を迷う? 橋下維新(敵)にわざわざ塩を送るのか、大阪出直し市長選をめぐって(その1)

 橋下大阪市長(維新共同代表)による出直し選への対応をめぐって、共産党が大きく揺れている。というよりは、大阪府委員会内部の「主戦論」と大阪市議団を中心とする「見送り論」の真っ二つに割れて意見が対立しているのだそうだ。党内の会議でも意見がなかなかまとまらないらしい。議論をするのはいいことだが、いつまでも結論が出ないようだと政党としての見識が疑われる。もうそろそろ態度を決めるべき潮時だろう。

 私と同じような考え(見送り論)を持つある友人(大阪在住)が過日共産党に手紙を送った。「個人的考え」(組織としての見解ではないという意味)として帰ってきた返事には、次のような趣旨のことが書かれていたという。

(1)こんなチャンスは滅多にない。断固、正面から選挙を戦うべし!、橋下維新は自民党安倍政権の先鋭・突撃部隊であり、これとの対決は避けてはならない。
(2)橋下維新をここまで追い詰めたのは、わが党の厳しい反撃と市民の良識によるものであり、この点に確信を持つべきだ。
(3)わが党の26回大会は「自共対決」を正面に掲げた。ならば大阪では自民党の別働隊、それも破れかぶれになった維新との対決は断じて避けてはならない。
(4)出直し市長選に候補を立てて戦う場合と見送った場合を比較すれば、その違いは歴然としている。選挙戦では橋下維新の正体、その危険な狙い、大阪都構想のデタラメぶりを徹底的に暴くことができる。また説得力ある対案を掲げて、市政の展望と党の素晴らしさ(綱領)を語り広げることもできる。この選挙戦は26回大会決定の実践をするまたとない機会になる。
(5)仮に選挙戦で敗北しても、大義を貫き戦っただけの成果を得ることができる。橋下維新は「大阪都構想支持の民意を得た」と凱歌を挙げ、マスコミもそう評価するだろうが、我々が選挙で得るものはもっと大きいものであり、次の大きな勝利への道となる。26大会はこのことを余すところなく示している。
(6)反対に候補擁立を見送った場合はどうか。橋下維新はわが意を得たりとばかり「野党は候補を立てられなかった」と胸を張り、わが党は市民の「なぜ戦わなかったのか」との批判に弁明できなくなる。橋下陣営は選挙期間中、やりたい放題、言いたい放題、まさに敵なしの大々的な選挙を展開し、共産党攻撃もフリーでやれる。これに対してわが党は、選挙を降りたために指をくわえたまま手も足も出ない事態になる。被害は甚大だ。
(7)候補擁立は幅広い勢力が結集する体制が望ましいことは言うまでもないが、自・公・民各党が早々と見送りを決めた以上、党独自の候補を擁立すべきだ。他党との統一候補が無理なら、「よくする会」の候補、それも無理なら日本共産党単独の候補で戦うべきだ。いずれにせよ、こんなチャンスを見逃す愚だけは避けなければならない。

 読者諸氏はこの「個人的見解」を読んでいったいどんな感想を抱かれるだろうか。できれば「コメント」で多くの意見を寄せてほしいが、私個人としてはこんな「化石」のような荒唐無稽の主張をする人物がいまだ“現代の共産党”に存在していることに驚愕したことを告白しなければならない。その感想を一言で言うと、世の中の全ての現象を特定政党の立場でしか見ることができず、それも「自共対決」という観点でしか世の中の動きを捉えられない“視野狭窄的主張”がそこに延々と述べられているにすぎないということだ。

 大阪市議会で共産党が橋下維新や自民党に匹敵するだけの政治勢力を有し、市政運営が「自共対決」の線に沿って動いているのであればまだしも、86議席中僅か8議席しかない共産党が単独で市政を動かせるなどといった主張がどれだけ現実から離れた“虚構”にすぎないことは、就学前の子どもでもわかることではないか。その非力さを自覚しているからこそ、共産党は2011年大阪市長選、2013年堺市長選、岸和田市長選で「自共対決」ではなく事実上の「自共共闘」を組んだのではなかったのか。

 その記憶がまだ新しい現在、今度は手のひらを返すような「自共対決」論を持ち出し、それも大阪独自の政治情勢などはお構いなしに「26回党大会決定」を実践するなどと称して、「ところ構わず」硬直的な主戦論を展開するのだから呆れてものも言えない。おそらくこの「個人」は、黒田官兵衛竹中半兵衛の物語を一度も読んだことがないのだろう。NHKの大河ドラマも見ていないのだろう。

 戦いは「打って出る」だけが能ではないことは、戦記や軍記を少しでも読んでみればわかることだ。そこには「退く」ことを知らない部隊は「犬死」する他はないと書いてある。事実などお構いなしに問題をすり替えて自分の思い通りになるまで一方的に騒ぎ続ける。ところ構わず敵をつくって喧嘩を売り、それを自分のエネルギーに変える。こんな「喧嘩屋」(噛みつき犬)には、正面から対応するのは馬鹿げている。一方的に攻めこむだけが戦術ではない。周りを固めながら相手を弱らせ、いざというときに攻めこむことが本当の意味での戦略なのだ。

 前述の主張を述べた「個人」にはもう少し本でも読んでほしいが、まるで狂犬のような橋下維新の動きを見れば、挑発に乗らずに肩透かしを食らわせたほうが効果的なのは目に見えている。選挙戦はおそらく「橋下vs泡沫候補」との戦いになるだろう。橋下氏は泡沫候補と闘って消耗戦を消化する破目に陥るだけだ。市民はそれを嘲笑って見物していればよいのである。(つづく)