「大阪都構想」住民投票で敗れた橋下氏を救ったのは首相官邸だった、大阪ダブル選を支援したのも首相官邸だった、住民投票後の安倍・菅・橋下・松井4氏による「公然たる密談」で橋下氏を復活させる作戦が練られた、橋下引退後の「おおさか維新」はどうなる(その4)

2015年5月17日に行われた都構想住民投票で維新は1万票の差で敗北し、橋下氏は12月の市長任期満了での政界引退を表明した。17日夜の記者会見は声涙共に下る演出となったが、本心はどうあれ橋下氏の態度は1カ月もたたないうちに豹変する。6月14日夜、安倍・菅・橋下・松井4氏は3時間に及ぶ「公然たる密談」で橋下氏を事実上復活させ、維新大阪組を野党分断の「コマ」に使うことが決まったのだ。

橋下氏の行動は実にわかりやすい。引退表明後は一時止めていたツイッターを翌15日から早速再開し、「内閣における憲法の有権解釈者は内閣総理大臣憲法解釈が時代とともに変遷するのは当然のこと」と書き込み、安保法案を合憲とする政府に理解を示した。民主党に関しても「維新の党は民主党とは一線を画すべき。自民党と国の在り方について激しく論戦できる政党を目指すべき」と牽制し始めた。「走狗」とは主人の命に従って右でも左でも行く忠実な猟犬のことだから、橋下氏は官邸の指示通り走り始めたのである。

それからの橋下・松井両氏の行動は(官邸の期待通り)誠に目覚ましいものがある。安保法案の参院強行採決を目前にした8月25日の菅・松井会談(文字通りの密談)では、民主党と連携する松野氏らの動きに見切りをつけて維新の党を分裂させ、野党分断して反安保の勢いを削ぐ方針が確認された。また維新分裂後は、橋下氏らが安倍政権の補完政党となる橋下新党を旗揚げする方針も決まった。この動きは11月22日投開票の大阪ダブル選対策とも連動しており、橋下新党は「都構想再挑戦」を掲げてダブル選を戦うこと、首相官邸が橋下新党候補を水面下で支援することも決まった。

首相官邸と橋下・松井両氏による共同作戦は、翌26日から即実行に移された。26日に松井顧問辞任表明、27日に橋下・松井両氏離党と大阪ダブル選候補擁立を同時発表、28日には橋下氏が大阪維新の会で新党結成表明、29日には橋下氏が新党結成といった具合である。維新の党はあっという間に解体されて勢いを失い、安保法案は9月17日に参院強行採決された。そして大阪ダブル選告示直前の10月31日、国政政党「おおさか維新の会」の結党大会が開かれ、橋下氏が暫定代表に就任した。

大阪ダブル選はきわめて複雑な構図を描いた。反維新候補は無所属でありながら自民党推薦候補であり、自民党総裁である安倍首相が表向き推薦状を渡すという体裁をとる。一方、維新候補に対しては首相官邸が水面下で支援するのだから、安倍首相は「ジキルとハイド」の役割を演じることになる。自民党本部でも維新か反維新かの決着が付かず、一時は「知事は維新」「市長は反維新」で政治取引することさえが話し合われていたという。首相官邸の意思を忖度(そんたく)して、橋下氏らと自民党が手打ちする可能性すらあったのであり、そんな複雑怪奇な「ねじれ」が反維新候補の決定を告示直前まで遅らせた。

自民党谷垣禎一幹事長は(10月)27日、11月の大阪府知事大阪市長のダブル選の対策を協議する党内の会合で、党執行部内で一時、橋下徹大阪市長側との協力を探ったことを明らかにした。「市長選は我々の候補者、知事選は向こう、という分担を模索された向きもなきにしもあらずだった」と語った(朝日新聞2015年10月28日)。

こんな折も折、菅官房長官が大阪ダブル選告示を目前にした10月28日、首相官邸で再び松井氏と会談した。具体的な選挙方法を巡っての会談だろうが、意図したところは、松井氏ら維新候補が首相官邸の実質的な支援を得ているという自民党支持層への「デモストレーション」だった。こんな「会談」を見せつけられているうちに、自民支持層が維新候補へ雪崩を打った。

自民党地域政党大阪維新の会」が対決する大阪府知事大阪市長ダブル選(11月22日投開票)の告示を目前に控え、菅義偉官房長官松井一郎府知事(大阪維新幹事長)が28日、首相官邸で会談した。防災対策などの陳情目的で訪れた松井氏だが、官邸との良好な関係もアピールした格好。選挙直前に菅氏が面会に応じたことに、自民党内からは不満の声も漏れている(時事ドットコム、2015年10月28日)。(つづく)