これほど度し難い人物がかっていただろうか、慰安婦発言に続く橋下「愛人発言」が示すもの、橋下市長は大阪市民の名誉のためにも直ちに退陣すべきだ、大阪出直し市長選をめぐって(その18)

 慰安婦発言のときもそうだったが、こんな下劣(下司)な人物の発言をテーマにブログを書くことなど思いもよらなかった。でもこれが“公人”としての大阪市長の発言だから、大阪市民の名誉を守るためにもその責任を追及しなければならない。無視したり放置したりすれば、自覚のない人物のことゆえ、発言が容認されたとでも思いかねないからだ。

 橋下「愛人発言」とは、4月7日夜、橋下氏を支持する企業経営者の会のシンポジウムの席上、御堂筋の建築容積率(建物の高度制限)を緩和したことに触れ、「高層ビル上の3分の1はレジデンス(居住部分)にした。こうすればレジデンスに愛人を囲う経営者も出てくる。財界人のみなさんは、愛人の2、3人を住まわせて新しい船場にしてもらいたい。周辺に愛人専用の宝石店や高級ブティックもできる」と力説したことを指す。

 たとえ酒飲み話であろうと軽蔑必至の問題発言だから、まさか公開のシンポジュウムの席上で出る発言ではないと誰もが思うだろう(私もそう思いたい)。同席していた記者たちも(恥ずかしくて)まともな記事にはできないと思ったのか、最初は囲み記事程度だった。それが日に日に政治問題化しつつあるところをみると、この「愛人発言」は第2、第3の慰安婦発言問題に発展していくかも知れない。

 大阪の目抜き通り・御堂筋といえば、大阪が世界に誇るメインストリートであり、近代大阪の創設者・関市長が心血を注いで完成させた幹線道路だ。御堂筋周辺の建物は、大正時代の市街地建築物法にもとづき「百尺規制」(31メートル規制)で建物の高さがそろい、美しい銀杏並木とともに日本の都市景観を代表する存在として長年市民に愛されてきた。1995年には高度制限を31メートルから50メートル(セットバックすれば60メートル)に緩和されたが、それでも軒線を統一して美しい街並みを維持する努力が放棄されることはなかった。

 ところが橋下市長の就任後から、かねてからの関西財界の高さ制限の撤廃、高層ビル化の提言を受けた検討が始まり、「御堂筋をニューヨーク・マンハッタンのような摩天楼街にする」との橋下構想のもとに(多くの建築学・都市計画学者の反対にもかかわらず)建築条例が改定されてしまった。御堂筋に面する建物は50メートル規制を維持するものの、高層部はセットバックすれば容積率1300%、最高200メートルまでの建物が可能になるという野放しの大盤振る舞いだ。橋下氏が企業経営者の会で胸を張ったのは、このことを言いたかったからだろう。

 だが、ここで彼の救いがたい「愛人発言」が飛び出した。自らも高級風俗店に通い、沖縄米軍司令官に風俗利用を勧めた“遺伝子”がそうさせるのか、緩和された高層ビルの上部に「愛人を住まわせてはどうか」と呼びかけたというのである。これは御堂筋の高度規制撤廃を求めた関西財界(経済同友会)にとっても、予想外の出来事だったに違いない。もしそんな風に「誤解」されているのであれば、関西財界は「誤解」を解くべく抗議声明の一つも出してしかるべきではないか。

 橋下氏には数々の暴言・妄言の前歴がある。慰安婦発言が切っ掛けで維新支持率が急減したのはそれほど昔のことではない。それがダブル選で橋下市長が得票した75万票が出直し市長選の37万票に半減するという形になって表れたのは、つい先日のことだ。維新ブームに酔っていた人たちが慰安婦発言でわれに返り、約半数の「ふわっとした民意」が維新から離れたのである。そして、今度の「愛人発言」でも同様のことが引き起こされるだろう。出直し市長選の37万票がこれからどれだけ減るか、間もなく次の市長選で明らかになる。

 それにつけても、橋下市長の「御堂筋マンハッタン化構想」はいただけない。橋下氏は「御堂筋を摩天楼街にする」といったことに加えて、「パリのシャンゼリゼのような美しい通りにする」とも言ったそうだ。でも、パリの中心街区が厳密な高度規制で守られていることを橋下市長はちっともご存じないらしい。シャンゼリゼ通りの両側の伝統的なアパルトマンの建物高さは37メートルで厳しく規制されており、それが気品のある街並みとシャンゼリゼ通りとの調和をつくりだしているのである(両側に高層ビルが林立するシャンゼリゼ通りなど想像もできない!)。

 御堂筋では市民や企業の努力で銀杏並木の下に数々の彫刻が置かれ、緑陰ではカフェテラスが開かれるようになった。カフェテラスは上空の開放感(天空率)がなければ成立しない。路上にはみ出たテーブルでゆったりとコーヒーを楽しめるのは、見上げると透き通るような青空があってのことだ。200メートルの高層ビルが壁のように林立する御堂筋は「ビルの谷底」でしかない。こんなことは少しでも教養とセンスがある市民なら誰でもわかることではないか。

 マンハッタンの摩天楼街とパリのシャンゼリゼ通りを並べ、しかも容積率の緩和による高層ビル化によってそれを実現すると言うところに、橋下氏の救いがたい無知と品性があらわれている。「容積率の緩和=高層ビル化=不動産市場の拡大」にしか興味がなく、あとはカジノ程度にしか関心を示さない市長をいただく大阪市民は不幸だと言うほかはない。大阪の「都市の品格=都市格」を取り戻し、御堂筋を市民のカフェテラスにするためにも、橋下市長の一刻も早い退陣を願わずにはいられない。(つづく)