安倍第3次改造内閣は無事離陸できるだろうか、散々だった「1億総活躍社会」「新3本の矢」記者会見に続いて、TPP大筋合意の内容が間もなく明らかになる、憲法破壊の安保法案「成立」後の政治情勢について(4)

 安倍首相は今日10月7日、内閣改造自民党役員人事を行う。すでに全19閣僚のうち菅官房長官、麻生財務相、岸田外相、中谷防衛相ら約半数の9人の続投が決まっており、自民党役員では、谷垣幹事長ら党四役と高村副総裁がそのまま再任されるのだという。内閣改造は通常、支持率低下や政策の行き詰まりなど当面する政局打開のために行われる。したがって、中身は変わらなくても見た目には陣容を一新する必要があり、そのことが新内閣のイメージ向上につながり、支持率が上昇すると期待されている。

 ところが意外なことに、安倍首相は内閣、党人事とも第2次内閣とほとんど変わらないメンバーで臨むようだ。このことの意味を考えてみることは、今後の安倍政権の行方を占う上で参考の一助になる。結論から言えば、安倍首相は人事を変えたくても変えられないというのが真相ではないか。理由は、安倍内閣が直面する政治課題がどれもこれも国民世論に逆らう難題ばかりであり、これを強行するには経験不足の新人では危険だからだろう。中谷防衛相のように安保法制国会では毎回答弁に行き詰まり、答弁の訂正も一度や二度ではない人物でさえ交代させることが出来ない。それほど自民党議員の資質の劣化が著しく、「欠陥品」でも手当てしながら使わなければならない事態に陥っているのである。

 閣僚人事ばかりではない。安倍首相を支える官邸スタッフの政策能力も地に堕ちている。それを象徴するのが「1億総活躍社会」と「新3本の矢」を骨子とする9月24日の新政策発表記者会見だ。「1億総活躍社会」とは一人ひとりが職場や地域でもっと活躍できる社会であり、それを目指して「1億総活躍プラン」を作成し、「1億総活躍担当相」を置くのだそうだ。また「1億総活躍社会」を実現するため、アベノミクスの「3本の矢」(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略)は取り下げ、第2ステージの「新3本の矢」を用意するのだという。これが「希望を見出す強い経済」(国内総生産を600兆円に拡大)、「夢をつむぐ子育て支援」(希望出生率1.8の実現)、「安心につながる社会保障」(介護離職者ゼロ)という新しい3本の矢だ。

 記者会見の結果は散々だった。朝日社説は「新3本の矢、言葉が踊るむなしさ」(2015年9月26日)と酷評し、「国民が聞きたいのは言葉ではない。実現可能な具体策と、財源などその裏付けである」と批判した。毎日社説も「新三本の矢、従来策の総括はどこへ」(9月30日)と題して、冒頭で「これまでの三本の矢が行き詰まり、目先を変えようとしているのではないか」と指摘し、「安全保障関連法の成立強行で政権は世論の反発を招いた。来夏の参院選をにらみ、国民の関心が高い経済や社会保障におり組む姿勢をアピールしている。だが、政策の検証を欠いた総花的なフレーズを示されても、国民は戸惑うだけだ」と結論付けた。

 当然だろう。安倍内閣の言うことはもはや「当てにならない」ことで衆目が一致している。安倍内閣は「釣り球」のアベノミクス解散を掲げて国民の目を逸らし、「隠し球」の安保法を轟々たる国民の反対の中で強行採決して成立させた。これなぞ「ルール違反」の極みであって、これでは選挙公約は何を言ってもいい、当選すれば好きなことをやっていいということになる。安倍政権のもとでは選挙そのものが「騙しのゲーム」になっているのである。

 一方、「アベノミクス」として掲げた鳴り物入りの「3本の矢」は、第1の矢(大胆な金融緩和)は的に届かず、第2の矢(機動的な財政出動)は的外れに終わり、第3の矢(成長戦略)はまだ射てもいない。それでいて早くも次の「3本の矢」で勝負するというのだから、これでは負けそうになるとゲームは途中で放棄し、次のゲームをやりましょうよと言うのと同じことだ。これは「ルール違反」というよりは、「ルール放棄」と言ってもいい。ルールを放棄してはそもそもゲームが成り立たない。こんなゲームを見に来る観客なんて誰一人いない。立憲主義(国の最高ルール)を放棄して暴走する安倍内閣にふさわしいゲーム展開ではないか。

 傑作なのは、そんな安倍内閣に対して産経紙が「『池田路線』で政権運営を」(9月26日)とエールを送っていることだ。「一筆多論」の論説欄で次のようにいう。
自民党総裁選で無投票再選を果たした安倍晋三首相にとって、これまでとこれからの3年という任期にどうメリハリをつけるかは、長期政権の妙味を生かし、こうと信じる政治理念を実現させる勘所である。報道によると、首相は池田勇人元首相の路線をめざす考えだという。(略)政権・党運営では『寛容と忍耐』をスローガンにし、看板政策に所得倍増計画を掲げた。政界で『安定』は神話のようなものだから、本懐を遂げるには、政権運営に波風が立たぬよう、行く末に思いを致し、手段を尽くさなくてはならない。その意味で、首相が『池田路線』を志向する判断は妥当ではないか」
「安倍首相にとって、集団的自衛権の限定行使を可能とする国防体制の整備は、第1次政権からの念願だった。だが、残念なことに、衆参両院の安保法案採決では、民主党など一部野党が理不尽な国会戦略をとったことで、政府・与党の強行色が演出された。異論にもしっかり耳を傾ける『寛容』さを持ち、理解されるまで『忍耐』し、丁寧に事を運ぶ――。寄稿文で池田氏が用いた『柔軟性』とほぼ同義だといってよい。『負の印象』を放っておかず、ためらうことなく軌道修正を図るにしくはない。後半任期で強く求められる政治姿勢だと指摘しておきたい」

随分古風な文体だが、要するに言わんとするところは、安倍内閣が長期政権を全うして「本懐=憲法改正」を遂げるためには、安保法案強行採決に象徴される「負の印象」を払拭することが重要であり、そのためには安保条約改定を強行した岸政権の後に登場した池田内閣の「寛容と忍耐」路線に学ぶ必要があるということだろう。

この論説子が本気でそう思っているのか、あるいはそう書く他はなかったのか真偽の程はわからないが、随分国民を馬鹿にした話ではないか。第一、一切の国民世論を無視して強行採決に走った安倍首相を国民の誰が信用するというのか。いったん信用を失った人物がいくら「寛容と忍耐」のポーズ(ふり)をとったとしても、それをまともに受け取るほどの馬鹿はいない。それに岸首相(当時)は国民の批判の前に退陣を余儀なくされて、新しい池田内閣が登場したのである。そして、池田首相が改憲路線を退けて経済重視路線を打ち出したからこそ、国民は池田路線を受け入れたのだ。

ところがどうだろう。安保法をゴリ押しで成立させた張本人がそのまま居座り、「寛容と忍耐」の仮面を付けたとしても、本人の顔は同じでまったく変わらないのである。また池田首相張りの経済路線を採るといっても、アベノミクスで失敗を重ねている安倍首相がそれを言った途端に嘘になることは見え透いている。「3本の矢」さえ打ち抜くことが出来ない人物が、次の「3本の矢」は必ず的に当たるといっても誰も信用しないのだ。

しかしそんなことより、私が気になるのは「1億総活躍社会」という聞きなれないコピ―がいったいどこから出てきたのかということだ。私など戦前世代はこのような言葉を聞くと、すぐに「一億玉砕」に国民を追い込んだ「国家総動員法」を思い出してしまう。この法律は1938年(昭和13年)に近衛内閣によって制定されたもので、国民全てが巻き込まれる「総力戦」遂行のために、国家のすべての人的・物的資源を国家が「総動員」できることを定めた稀代の悪法である。国民生活の全てを犠牲にして戦争に駆り立てる、すなわち「一億総動員」を可能にしたのが国家総動員法の制定だった。

私は、安保法を強行成立させた安倍政権が「1億総活躍社会」を掲げることに底知れない不気味さを感じる。安保法が成立しても「徴兵制」を採ることは絶対ないと繰り返したその口から、「1億総活躍」という言葉が平気で出てくる無神経さに恐怖感さえ覚える。今日の組閣によって「1億総活躍内閣」がスタートし、「1億総活躍担当相」が任命される。私たちは「1億総活躍社会」が「1億総動員社会」に転化しないように厳重に監視を続ける必要がある。またそんな苦労を続けなくてもいいように、1日も早く安倍内閣を打倒しなければならない。(つづく)