連立政権を離脱できない公明党を尻目に、「毒を喰らわば皿まで」と改憲攻勢をエスカレートさせる安倍政権、「平和の党」から「戦争加担の党」へ変質した公明党の犯罪的役割、維新と野党再編の行方をめぐって(その20)

 安倍首相と山口公明党代表が6月19日、首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更をめぐり、与党協議で早期に結論を得る方針を確認したとされる(産経新聞、2014年6月20日)。それと並行して(それを受けて)政府・自民党は19日、国連の集団安全保障について日本が武力行使できる方向で調整に入ったという(朝日・毎日新聞、6月20日)。

 国連の集団安全保障とは、武力攻撃を行った国に対して国連軍や多国籍軍安保理決議に基づいて制裁(武力攻撃)を加えることだ。日本の歴代自民党内閣は憲法9条を踏まえて、集団的自衛権(密接な関係にある他国が攻撃された場合、自衛隊が武力で反撃する権利)の行使はもとより、集団安全保障にもとづく国連軍や多国籍軍への自衛隊の参加についてもこれを認めてこなかった。それが一転して、集団的自衛権の行使も国連軍への参加も閣議決定で認めるというのだから、もう憲法も何もあったものではない。

 しかも驚いたことに、政府・自民党は6月22日の今国会会期末までに公明党と合意することは一応見送ったものの、6月中には与党合意を成立させて7月上旬に閣議決定する見通しだという。こんな観測が流れるのは、すでに安倍首相と山口代表との間では集団的自衛権の行使容認については実質的合意が出来上がっているからだろう。表向きは「期限を切らない」とか「与党協議の結果を尊重する」とか言いながら、公明党が連立離脱をしない(できない)とみるや、安倍政権は「毒を喰らわば皿まで」とばかり改憲攻勢をエスカレートさせて、集団安全保障への参加容認までを持ち出したのである。

 こうした実態を見れば、「平和の党」とか「護憲の党」といいながら、公明党の果たしている役割は自民党の「隠れ別働隊」そのものに他ならないことがわかる。「自民党にブレーキをかける」とか「党内野党の役割を果たす」などと言って国民の目をごまかし、マスメディアに対しては「公明党を信頼すれば解釈改憲を阻める」といった期待を持たせながら、密室協議の裏で合意成立の機をうかがってきたのである。良識ある国民なら公明党の犯罪的役割に対して怒りを抑えることができないだろう。

 遅まきながらマスメディアも公明党批判を始めた。「吟味もせず行使容認か」と題する毎日新聞社説(2014年6月18日)は、「具体的事例の検討は不十分で、集団的自衛権の行使が本当に必要なのか結論が出ていない。多くの論点を置き去りにしたまま、政府・自民党閣議決定に突き進み、連立政権の維持を優先する公明党はこの動きにのみ込まれようといている。これでは与党協議は、国民に議論したことを示すアリバイづくりと、公明党の党内説得のための時間かせぎではないか、と言いたくなる」と控えめながら辛らつな批判だ。しかしこれは政府・自民党が集団安全保障を持ち出す1日前の社説だから、19日以降は「言いたくなる」どころではなく、もはや「言わなければならない」事態に突入していると言える。

 私の地元の京都新聞は、この点もっと明確な論調を打ち出している。6月16日の社説「『平和の党』意地見せよ」は、「(公明党は)『平和の党』の看板を下ろすつもりなのだろうか」と切り出し、「集団的自衛権に関する与党協議で、公明党は行使を可能とする憲法解釈の変更を容認する方向に傾いている。自民党との連立維持を優先するあまり、当の根本にかかわる理念さえ曲げるようでは、あまりに情けない」と断じた。そして「与党協議で自民側が示した自衛権発動の新3条件は、集団的自衛権の『限定容認』どころか、日本が他国の戦争に参加し、自衛隊が地球の裏側まで活動範囲を広げることに道を開く重大な内容を含んでいる。にもかかわらず、ブレーキ役を自認する公明が、閣議決定に向けて自民党との『合意を目指す』(山口那津男代表)とは、理解しがたい。どれほど抵抗を装っても、体裁を繕うだけの『条件闘争』では国民の目はごまかせない」とまで踏み込んだ。

 おそらく6月下旬が近づくにつれて各紙の批判は日増しに強くなり、「平和の党」の看板を投げ捨てた公明党への世論は一段と厳しさを増すだろう。そしてもし自公両党の合意が成立して自公連立政権の閣議決定が強行されれば、これら両党は、平和憲法を踏みにじって「戦争を推進する党=自民党」と「戦争に加担する党=公明党」との烙印が押されて国民の激しい批判に曝されるだろう。「奢れるものは久しからず」と言うが、安倍政権はもとより公明党に対しても国民の歴史的審判が下される日がいよいよやってきたのである。(つづく)