「平和の党」の名を聞いて呆れる、目的(連立政権維持)のためには手段を選ばない(憲法すら棄てる)公明党の実態と本質を国民は今度こそ見抜くだろう、維新と野党再編の行方をめぐって(その19)

 大学教員の端くれだった私は、学生たちの論文指導をするとき、常々「自分の都合のいいようにコピペをするな」と諭してきた。要するに参考文献を読むときは全体の論旨を理解し、自分にとって都合にいいところだけを「勝手に引用するな」ということだ。古い言葉で言えば、「我田引水」は困るということである。ところがあろうことか、公明党集団的自衛権の与党協議で自民党の言うまま、集団的自衛権行使容認のために1972年政府見解の一部を引用して(つまみ食いして)解釈改憲に踏み切るのだという。

 1972年政府見解とは、社会党集団的自衛権に関する政府統一見解を求めたことに対する田中内閣の回答のことであり、結論部分は「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」というもので見解には疑問の余地がない。ところが自公両党はその中の一部、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処」するためには自衛権を使うことができるという部分に着目して、この部分を集団的自衛権に読み替えれば、従来の解釈と大きく矛盾することなく行使が認められるという便法(詭弁)を持ち出したというわけだ(朝日新聞、2014年6月13日)。

 自公協議が解釈改憲の材料として持ち出した1972年政府見解は、歴代の自民党内閣が踏襲してきたものであり、その結論が「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」というものであるから、どうしてそれが集団的自衛権の行使容認の根拠になるのかと誰しもが不思議に思うだろう。元内閣法制局長官の阪田氏も、「72年の政府見解は集団的自衛権は行使できない理由を述べている。結論は明らかにだめだと書いてある。一部を切り取ることが許されるならどんな解釈も可能だが、見解はあくまでも全体で判断すべきものだ」(朝日、同)とコメントしている。当然のことだ。

 「コピペ」(コピー・アンド・ペースト=複写と貼り付け)とは、最近流行のキーワードである。インターネット検索が普及したいま文献引用には便利なことこのうえないが、行過ぎると「捏造」(ねつぞう)になることはこの間の理研STAP細胞騒動を見れば明らかだ。まして憲法解釈ともなれば内外の学説や判例の検討を通した厳密な論証が求められ、国会での議論と国民の承認を経てはじめて許される。これが憲政の常道であろう。

 もし現在進行中の自公協議のような形で解釈改憲が許されるのであれば、僅か数人の密室協議が憲法を変えることになり、この国には憲法も法律も存在しないことになる。衆参両院の国会議員の3分の2以上が発議し、国民投票にかけて過半数の賛成が得られなければ出来ない憲法改正が、実質的には自公両党数人の密室協議(取り引き)で可能になるといったことは絶対あってはならないし、どんなことがあっても認められないというべきだ。

 それでも公明党集団的自衛権の行使容認に踏み切るのだろう。連立政権にどっぷりと浸かって与党の甘い汁を吸ってきた体質からもはや抜けられなくなり、それを維持するためには「憲法なんか少々変えても構わない」といったところではないか。だが「平和の党」といった看板を真面目に担いできた公明党員やそれを信じてきた創価学会会員をそれなりに「説得」しなければならない。それがこの間、自民党と「ギリギリの交渉」を続けてきたという公明党幹部のパフォーマンス(演技)につながっているのだろう。私たち幹部は集団的自衛権行使の条件を極度に限定し、自民党を説得して国民の生命を守るために懸命の努力をしたーー。こんな姿勢を公明党支持層に見せなければならないというわけだ。

 だが、こんな田舎芝居は国民には絶対通用しないことを公明党幹部は遠からず思い知るに違いない。また公明党支持層の中にも疑問と葛藤をかかえる人たちが続出することは間違いない。「平和の党」のスローガンを真面目に考えている人たちには、安倍政権(極右政権)に追随し、平和憲法を足蹴にする公明党を理解することはどう考えても不可能だからだ。すでに公明党支持率は数パーセントのレベルで低迷している。そして今回の集団的自衛権の行使容認を境にして支持率がさらに一段と下降曲線を描くことになることは確実だ。

 公明党支持層の特徴は、「その都度の支持者」ではなく「固い支持者」が多かったことだ。それが選挙になると強力な武器になって、公明党議員を押し上げる原動力となった。だが「固い支持者」には「平和の党」への思い入れが強く、その人たちがこれを境に公明党から離れていくことは避けられない。自民党との連立を組むことで「与党効果」を発揮し支持層を固めてきたこれまでの戦略が、自民党との連立を維持することで固い支持層を失うという「逆効果」に直面することになるのである。公明党集団的自衛権の行使容認という「ルビコン川」を渡った。もはや引き返すことの出来ない「ノーリターン・ポイント」を通過したのである。(つづく)