「ダブル辞任」が「辞任ドミノ」に発展するか、それとも内閣支持率が急落するか、いずれにしても「安倍・期待イメージ内閣」を取り巻く情勢は下方局面に入った、「地方創生」キャンペーンの意図と役割を分析する(その10)

小渕経産相が辞任することは確実視されていたが、松島法相までが同じ日に辞めるという「ダブル辞任」は想定外だった。前回のブログでも書いたように、小渕氏の次は松島氏が標的になり、そのやり取りが安倍内閣のさらなる支持率の低下に「貢献」すると思っていたからだ。

おそらくこの情勢判断は首相官邸でも同じだったようで、問題発言の多い松島氏をこのままにしておくと「辞任ドミノ」に拍車がかかるので、有無を言わせずに辞めさせ、政局混乱の終止符を打とうと考えたのであろう。松島氏の無念極まりない表情がこの間の経緯と背景をよくあらわしている。

しかし、安倍政権にとって「ダブル辞任」の傷は決して浅いものではない。「地方創生」とともに「女性活躍」を二枚看板にしていた今国会のことである。「女性活躍」の看板を依然として掲げるのであれば、後任閣僚は2人とも女性にすべきだったが、それが出来なかったところに安倍政権の脆さと薄っぺらさが透けて見えるというもの。国会開始直後から一方の看板が破れて使いものにならなくなり、安倍政権は「片肺飛行」を強いられることになったのである。

しかし、悪いときには悪いことが重なるもので、小渕氏後任の宮澤経産相(男性)にも不透明な政治資金支出問題が出てきた。おまけに就任記者会見で「原発再稼動推進」を明言した宮澤氏が東電の株主であることが判明し、国会で「利益相反」の追及を受けることが必至の情勢になった。これでまたもや「地方創生」の議論は吹っ飛び、国会はますます「政治とカネ」問題に傾斜していくことになる。

今後の政局の行方をめぐる焦点のひとつに、「辞任ドミノ」が起こるかどうかということがある。「辞任ドミノ」に追い込まれれば安倍政権の危機、起こらなければ安泰との見方だ。だが、私はこの見方は単純すぎて事態を正確に理解していないように思う。現在の安倍政権をめぐる危機は、「辞任ドミノ」の可能性の有無にあるのではなく、今後の予想される内閣支持率の急落にあると考えるからだ。

このことは(いままでの)安倍内閣高支持率の背景とも強く関係している。集団的自衛権の行使容認を閣議決定することで憲法9条立憲主義を否定し、消費税増税を強行して国民生活を破壊するなど「戦後最悪」といわれる安倍内閣の支持率がなぜかくも高いのか。これまで諸説が交錯してきたが、私の解釈は安倍内閣が国民の「期待イメージ内閣」として登場したからだというものである。

安倍内閣が「期待イメージ内閣」として国民の前に姿を現したのには、2つの原因があった。ひとつは、民主党政権に対する激しい失望感(絶望感)が反射的に自民党政権のこれまでの悪政(本質)を覆い隠し、安倍内閣があたかも政治停滞を打破するかのような「清新なイメージ」で迎えられたことだ。これは、大阪府市政の停滞(腐敗)を打破するとして登場した橋下氏が、大阪府市民に熱狂的に歓迎されたこととも符号する。

もうひとつは、「アベノミクス」という巧みな造語とキャンペーンによって、安倍内閣が経済危機を打開して国民生活を向上させてくれるかもしれないという「期待イメージ」を作り出すことに成功したことだ。この「期待イメージ」は彼らが予想した以上に大きく、以降の世論調査は、国民の大半が景気回復や生活改善を実感していないにもかかわらず、阿部内閣の経済政策に「期待する」と回答していることでも証明される。この期待感がどれほど大きいか(大きかったか)は、集団的自衛権の行使容認反対や原発再稼動反対の運動が空前の規模で盛り上がっているなかで、内閣支持率がなお過半数あるいはそれに近い水準を維持してきてことでも明らかだろう。

しかし「大衆を一時は騙せることはできるが、何時までも騙し続けることができない」との格言があるように、ようやく(ついに)安倍政権の本性が暴かれるときが来た。それが消費税再増税を目前にした経済情勢の深刻化であり、その中で発生した「女性閣僚ダブル辞任」であり「後任閣僚不適格問題」である。この問題は「安倍・期待イメージ内閣」の虚像を粉々に打ち砕き、「アベノミクス」が国民にとっては単なる宣伝文句であり、その本質がグローバル企業と富裕層の特権を拡大させるものであることを白昼のもとに曝すだろう。そして内閣支持率の急落に貢献するだろう。

これは余り指摘されていないことだが、世襲政治の広がりの中で政治家の資質が劣化していくことは避けがたい。安倍首相はもとより小渕氏や宮澤氏も我が国を代表する世襲政治家だ。劣化した政治家が政治の劣化をさらに加速させるーーー、こんな冗談にもならない現実が国民の目の前で進行している。今回の「ダブル辞任」を契機に「安倍・期待イメージ内閣」の幻想をどこまで払拭することが出来るか、もうそろそろ現実に立ち戻って政治を考え直してもよい時期だと思うのだが、如何であろうか。(つづく)