「神戸市役所一家体制=市役所共同体」が市民自治の形成を妨げている、戦後18回の神戸市長選の投票率は20%台から30%台に低迷してきた、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その9)

 一般的に言って、大都市での首長選挙投票率は高くない。有権者がマス集団であるうえに要求や関心が多様であり、しかも政治(行政)無関心層が大量に存在するからだ。しかしそのなかでも、神戸市長選の投票率の低さは際立っているのではないだろうか。戦後70年、計18回の市長選投票率の分布を取ってみると、50%を超えたのは僅か2回しかない。ひとつは新憲法制定後初の1947年市長選挙(50.1%)、もうひとつは1973年市長選挙(59.0%、空港建設問題をめぐる対決選挙)の2回である。残りは40%台2回。30%台9回、20%台4回で20%台と30%台で全体の7割を占める。平均投票率は35.3%なので、神戸市の有権者は約3人に1人しか投票に行っていない勘定になる。

 時期的に見ると、原口市長の時代は5回のうち20%台1回、30%台4回、平均すると34.9%になる。対立候補共産党がいたが力の差は圧倒的だったので(選挙前から勝敗が決まっていた)、多くの有権者が投票に行かなかったのだろう。それにこの時代から、神戸ではすでに行政を市長と市役所に任せる気風(いわゆる「お任せ主義」)が強かったのかもしれない。

宮崎市長の時代になると投票率は一段と低くなる。5回のうち20%台3回、30%台1回、50%台1回、平均32.9%である。73年対決選挙の高投票率の影響で平均投票率は原口市長時代とそれほど変わらないが、これを除くと平均26.4%になり、有権者4人のうち1人しか投票に行っていないことになる。当然のことながら、オール与党時代の選挙結果は4回とも宮崎市長の圧勝だったが、有権者4人のうち3人までが棄権している状態は、憲法の言う「地方自治の本旨」から言っても、神戸市がことある度に強調する「市民参画」の精神から言っても決して好ましいものとはいえないだろう。それは市長選の候補者選択肢を奪われることで市民の選挙権が空洞化し、市民自治が形骸化していることの表れだといっても過言ではないからだ。

宮崎市長以降も投票率はそれほど上がっていない。助役2人による宮崎市長の後継者争いの1989年市長選挙投票率43.7%)は、市役所を真っ二つにした激烈な派閥選挙であったが(市消防局は組織ぐるみの選挙違反でトップが逮捕された)、市民の方は「市役所内のコップのなかの争い」としか見ていなかった。つまりこの頃になると、神戸市長は市民が選ぶというよりは「市役所内の人事で決まる」空気が広がっていたのであり、助役が「トコロテン式」に市長になるという慣行ができあがっていたのである。こうなると市民にとっては市長選が他人事になり、投票に行かなくなるのも無理はない。

 しかし問題がより深刻なのは、阪神・淡路大震災以降、革新勢力が野党に転じて対立候補を立てるようになってからも投票率がなかなか上がらないことだ。震災直後の1997年市長選挙は、震災に便乗して都市計画決定を強行したことに対する反発や神戸空港建設を「希望の星」と呼んであくまでも推進しようとする笹山市長への批判が重なり、投票率は45%にまで上昇した。だが、その後は市民候補が4回挑戦したものの、いずれも投票率は30%台に留まっている。神戸市民3人のうち2人は投票に行かない傾向が現在も依然として続いているのである。これは「神戸市役所一家体制=市役所共同体」のもたらした深刻な後遺症といえるのではないか。

 私は神戸市長選における低投票率は、「神戸市役所一家体制=市役所共同体」に対する市民の(消極的)批判の表れだとも考えている。このような現状では、市政を変えようとするエネルギーが市民の中から湧き上がってこない。加えて、市役所一家体制の中に組み込まれている神戸の革新勢力は市民のエネルギーを結集できないし、またその意志も能力もない。市民の支持を得られない市政は結局のところ停滞するほかはなく、「輝ける神戸」が「冴えない神戸」になっているのもけだし当然というべきであろう。

 都市成長時代には市長と官僚がイニシャティブをとり、「ハコモノ開発」を推進したのはそれなりに有効だったのかもしれない(環境破壊と公害をともなったけれども)。経済が成長して人口が増えるのだから、時代は都市人口と都市活動の器となる「ハコモノ」を必要としていたのである。また都市内外から人を集める「イベント」も効果的な役割を果たした。人びとが全国各地のテーマパークに殺到したのもこの頃だ。「輝ける神戸」はこの時代の「成功モデル」として全国の注目を集めた。だが、阪神・淡路大震災以降は状況が変わったのだ。というよりは、日本の都市全体が成長時代から成熟時代へ転換期に大震災が起こったという方が適切だろう。しかし、市民ニーズや市民感覚に疎い市役所一家はこのことに気付かなかった。(つづく)