「神戸市役所一家=市役所共同体」の得意技である「プロジェクト主義」と「イベント主義」では震災後の神戸を再生することが難しい、震災に便乗した「創造的復興3大プロジェクト」すなわち神戸空港建設・地下鉄海岸線建設・新長田駅南地区再開発事業は悉く失敗している、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その10)

 ポスト成長時代すなわち成熟時代の都市には、神戸市役所一家の得意技である「プロジェクト主義」と「イベント主義」は有効に働かない。プロジェクト主義とは、公共デベロッパーとしての神戸市が国の補助金や起債を利用して大規模開発事業を企画し、その投資効果や開発利益によって都市経済を拡大していく方式のことだ。イベント主義とは、開発事業の投資効果を刺激し、関連事業を活性化するため、同じく市役所が企画を立てて市民や入り込み客をイベントに動員し、都市経済の循環を促進することだ。宮崎市長時代のポートアイランドの造成と博覧会の開催はまさにその代表例であり、ポーアイ事業の成功体験がその後の神戸市行政の行動規範になったと言ってよい。

 だが、ポスト成長時代にはこの方式は通用しなくなった。阪神・淡路大震災に便乗して強行した「創造的復興3大プロジェクト=神戸空港・地下鉄海岸線・新長田駅南地区再開発事業」は悉く失敗して日々赤字を累積し、いまや神戸市財政を破綻の淵に追い込んでいる。神戸空港はJAL(日航)が撤退してからはまるで火が消えたようになり、頼みの綱のスカイマークの経営状態も最近は思わしくない。もしスカイマークが便数を減らす(あるいは撤退する)ことになれば、神戸空港は「廃港」が現実の課題になる。そのとき「希望の星」と喧伝された神戸空港は「赤字の星=失意の星」と化し、流星となって消滅する公算が大きい。

 地下鉄海岸線も兵庫区・長田区などの沿線人口の減少影響をもろに受けて苦闘している。地下鉄海岸線は工事中に大規模な崩落事故が発生するなど災難続きだったが、それが完成後も続いていて乗客数がいっこうに伸びない。市交通局は子供連れ乗客には運賃割引を実施するなど経営改善に努力しているのだが、それでも計画乗客数の達成には遠く及ばない。神戸空港の場合と同じく、もともと計画目標が過大であり(想定乗客数を過大に見積もっていた)、蓋を開けてみると一転して厳しい現実に直面しているのである。

神戸市の計画目標人口は当初の200万人だったが、その後何度も縮小されて最近では170万人を目指すとされている。市人口の推移を見ると、阪神・淡路大震災前には152万人に達していたが、震災後は10万人が流出して142万人となり、最近では漸く154万人まで回復した。しかしそれ以上は伸びず、おそらくこれがピーク人口となることは確実で今後は減少傾向をたどることは避けられない。つまり「成長拡大型」の近代都市計画の前提が破綻して歴史的終焉の時期を迎え、「持続成熟型」の現代都市計画に切り替えなければならない現実が目の前で展開されているのである。

 神戸市人口の推移を各区で見ると、中央区・灘区・東灘区などの東部エリアではそれなりに人口を維持できているが、兵庫区・長田区・須磨区などの西部エリアでは人口減少がいっこうに止らない。これまでも指摘されていた「東西格差」が震災後は一層拡大しており、それが地下鉄海岸線の不振や新長田駅南地区再開発の空洞化に拍車をかけているのである。都市成長時代には都市活性化の決め手だと考えられてきた大規模プロジェクトが、ポスト成長時代には逆に都市衰退・地域不振の原因になるなど、市役所一家は一度も考えたことがないのではないか。

 この点、阪神・淡路大震災20年を迎えて、マスメディアから最も注目されているのが「新長田駅南地区再開発事業=計画的ゴーストタウン」の有様だろう。その切っ掛けになったのは、NHK仙台放送局(神戸放送局ではない!)が作成した1年がかりの優れたルポルタージュ番組だった。東日本大震災の復興のあり方を模索するディレクターが、その教訓として注目したのが新長田再開発事業だったのである。

 新長田再開発事業のコアである商店街を歩いてみれば、(地元の商店主さんたちには申し訳ないが)その惨状が肌身に迫ってくる。巨大なアーケードで覆われた広幅員のプロムナード(歩行者専用道路)に見る人影は疎らで、それも高齢者の姿が圧倒的に多い。まさに現在の長田区を象徴するような光景だ。下町の商店街として長年住民に親しまれてきた場所を、鉄とコンクリートの塊の「巨艦商店街」に変えたのがこの再開発事業だった。地上2階、地下1階の3層プロムナードで構成されるこの商店街は、至る所にエレベータやエースカレーターが設置しされ、誰も歩いていないのに動いている。周辺一帯はシャッターで閉ざされた空き店が広がっているというのにエースカレーターだけが動いている光景は、「計画的ゴーストタウン」というほかはない。

 この光景は、東日本大震災でいえば巨大防潮堤で囲まれて無人化した漁村の姿と二重写しになる。おそらくNHK仙台放送局のディレクターの眼にはそう映ったのではないか。阪神・淡路大震災の復興都市計画の花形だった新長田「巨艦商店街」は、東日本大震災の「巨大防潮堤」と同じく「世紀の愚行」として末永く記念されることになるだろう。(つづく)