安保法案反対デモを敵視する「極右政治家」「反動イデオローグ」の発言は、憲法を守り民主主義を擁護する国民世論への恐怖感の裏返しだ、大阪都構想住民投票後の新しい政治情勢について(5)、橋下維新の策略と手法を考える(その59)

 安保法案の参院審議が終盤に近づくにつれて、安保法案反対のデモが国中に広がっている。国会審議を通して安倍首相や関係閣僚の「ハチャメチャ答弁」の矛盾が赤裸々に暴露され、「こんな無茶な法案を通すわけには行かない」との国民感情が日増しに高まっているためだ。いまや安倍政権の存在そのものが、国民の目には「民主主義の敵=ファッショ政権」と映るようになり、日毎に強まる国会周辺や全国各地のデモの動きは、安保法案廃案と安倍内閣退陣要求がセットになって安倍政権を次第に追い詰めている。

 安倍首相は表向き平静を装っているものの、その危機感はもはや国民世論への恐怖感に転化しているのではないか。最近、極右政治家や反動イデオローグの間でこの恐怖感を撥ね返すかのような世論敵視の発言が相次いでいるのはこのためだ。以下、幾つかの代表的な発言を取り上げてその裏に潜む体制危機の内実を分析しよう。

 最初は、安保法案が衆院強行採決された7月16日当日、逸早く発信された池田信夫氏(NHKОB、経済評論家)の「挫折した反安保法案デモの『アカシアの雨』」(ニューズウイーク日本版オフィシャルサイト)という洒落たタイトルのブログだ。その中身は、衆院採決直後の安倍政権側の分析(希望的観測)をよく表していて、彼らが国民世論をどのようにして収束(挫折)させるかに苦心している状況がよくわかる。以下、長文になるが貴重なブログなので全文掲載したい。

2015年07月16日(木)18時57分
 「安保法案が衆議院本会議を通過した。あとは参議院でも「60日ルール」で成立は確実だ。野党はプラカードを掲げたり国会デモをかけたりして騒いだが、その規模は延べ100万人以上が国会を包囲した60年安保とは比較にならない。60年のときも野党は「日米の軍事同盟で戦争に巻き込まれる」と主張した。PKО法(国連平和活動維持法)のときも、湾岸戦争のときも「巻き込まれる」という話だったが、それから一度も日本は戦争に巻き込まれていない。それは平和憲法のおかげではなく、日米安保条約アメリカの核の傘によってアジアの軍事的均衡が保たれたからだ。
 このように「アメリカの戦争に巻き込まれる」ことを警戒する冷戦時代の発想で戦争を考えてきたのが、日本の野党とマスコミの特徴だ。たとえば中東を見れば明らかなように、現代の戦争はそういう主権国家や軍事同盟と無関係な「イスラム国」のようなゲリラの戦争であり、どういう形で日本が攻撃されるかは予想がつかない。アジアでも中国は南シナ海で着々と軍事拠点を構築し、北朝鮮はミサイルの発射台を数百基もっている。北朝鮮の政権は不安定化しており、何が起こっても不思議ではない。それなのに「海外派兵すると自衛隊員に身の危険がある」とか「徴兵制が復活する」とかいう心配をしている野党は、村山政権より前の社会党に退行しているのではないか。野党が「憲法違反だ」と騒いだ集団的自衛権も、法案には書かれていない。これは日米防衛協力の指針(ガイドライン)が改正されるのにともなって日米共同作戦が取れるようにするもので、こうした法整備をしておかないと朝鮮半島などで紛争が起こった場合、自衛隊がどう対応するかが決まっていないので、震災のときの民主党政権のような大混乱になる。
 安倍政権の手際も悪かった。特に昨年の閣議決定で決着した憲法問題を憲法調査会自民党推薦の参考人として出てきた長谷部恭男氏が再燃させたのは、予想外のハプニングだった。しかし彼も、自衛隊は合憲論者である。自衛隊が合憲なのに、その海外派兵が違憲だというのは憲法のどこにも書いてない彼独自の解釈で、それほど騒ぐ問題ではない。 今回の法案が成立しても、日本の安全保障に実質的な変化はない。それぐらい「腰の引けた」法案だったが、野党やマスコミが過剰に騒いだのは、他に争点がないからだろう。それに踊らされてデモをやった人々は、これで60年安保のあとのように「挫折」し、大人になってゆくのだろう。あのときはやった歌が、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」(アカシアの雨にうたれてこのまま死んでしまいたい 夜が明ける日がのぼる 朝の光のその中で冷たくなったわたしを見つけてあの人は 涙を流してくれるでしょうか)だった。
 反安保法案デモは、60年安保とは比較にならない小さな出来事として忘れられるだろう。左翼は単に戦術的に失敗したのではなく、彼らの掲げた「巻き込まれ」とか「非武装中立」という争点が間違っていたのだ。60年安保の挫折後にそれを理解したのは、丸山眞男など数少ない知識人だけだったが、今回はもう参加者の中に知識人と呼べる人もいない」

 だが、池田氏の予測(期待)に反して、安保反対デモは衆院強行採決を契機にしてその後爆発的に広がり、8月30日には歴史的な国会包囲デモに発展した。池田氏が言うように、「デモをやった人々はこれで60年安保のあとのように『挫折』し、大人になっていくのだろう」ということにはならなかったのである。

 次は、8月30日翌日に発信された橋下徹氏(維新の党最高顧問、大阪市長)のツイッターだ。朝日新聞9月2日付けの記事によると、「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうち何パーセントなんだ? ほぼ数字にならないくらいだろう。こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ。デモは否定しない。国民の政治活動として尊重されるのは当然。(しかし)デモで国家の意思が決定されるのは絶対にダメだ。たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定だ」と珍しく危機意識丸出しの内容になっている。
橋下氏も池田氏と同様に衆院強行採決で国民が安保法案反対を「諦める」と思っていたら逆に反対世論が高まり、それが歴史的規模の国会包囲デモに発展したので、大慌てに慌てたというわけだ。そこでこんな発言になったのだろうが、そこには議員や首長が一旦選挙で当選したら、有権者が「白紙委任」したのだから、後は「文句を言うな」という彼一流の「民主主義」論が投影されている(橋下氏は大阪府知事・市長時代を通して「民主主義」の実践者だった)。
だが、国会議員がいったん当選したら「後は何をしてもよい」というのでは、ナチズム時代にヒトラー独裁の根拠となった「全権委任法」(憲法改正によらず大統領権限を侵さない限り、立法府を経ることなくヒトラーに自由に法律の制定を認め、向こう4年間ヒトラーに「白紙委任状」を認めるという前代未聞の法律)と何ら変わらない。安倍政権がナチズムにも劣らないファッショ政権に見えるのはそのためだ。
 
 だが何と言っても極め付きは、9月10日夜のBSフジ番組の石原慎太郎氏(日本維新の会元代表、元東京都知事)の発言(暴言)だろう。この発言を産経新聞(電子版、9月10日)は、「【安保法案】石原氏、国会デモを一刀両断! やがて雲散霧消。全く無意味」といった見出しで次のように伝えている。
 「作家で元東京都知事石原慎太郎氏は10日夜のBSフジ番組で、8月30日に国会周辺で行われた安全保障関連法案に反対する大規模集会について『やがて雲散霧消する集団でしかないね』と切り捨てた。石原氏は集会について『非常に全く無意味な感じだ。なんの力もない。デモそのものは空気の結晶だ』と指摘。主催者が参加者を12万人と発表したことについては『嘘だ。勘定したらいい』と述べた。警察当局は3万3千人としている。石原氏はまた、かつて日本維新の会でともに共同代表を務めた橋下徹大阪市長と8月末に会談し、政界引退を撤回するよう慰留したことを明らかにした。新党結成表明直後に会談したという石原氏は『君は絶対に政治家をやめちゃいけないぞ。必ず(政界に)帰ってきてくれ』と訴えた。だが、橋下氏は『もう政治家はやらない。私は法律家が似合っている』と断言したという。一方、日本維新で一緒だった維新の党の松野頼久代表については『松野君なんていうのは、民主党が泥舟になって沈む寸前に船から真っ先に逃げたネズミじゃないか。僕は、そんな人間は信用できない』と語った」

 恐るべき発言だが、こんな人物をテレビ番組に登場させて好きなことを喋らせるBSフジもそうなら、こんな発言を「石原氏、国会デモを一刀両断! やがて雲散霧消。全く無意味」といった見出しを付けて報道する産経新聞も見上げたものだ。両者はもはやマスメディアといった範疇ではなく、「ブラックメディア」と言ったほうがふさわしい。そして「ブラックメディア」が総がかりで安保法案の参院採決に向かって動員されているのである。次回はその内情を分析しよう。(つづく)