公明党は自民党の「下駄の鼻緒」から安倍政権の「軍靴の踵(かかと)」に変貌した、安保法案参院審議における公明党議員の質問は「防衛官僚そこのけ」のものだった、大阪都構想住民投票後の政治情勢について(13)、橋下維新の策略と手法を考える(その51)

 39度にも達する京都の連日の暑さに閉口して、ここ数日は家の中にいることが多くなった。冷房嫌いの私はあまりエアコンをかけない。必然的に室内温度は上がることになり、思考能力は低下する(停止する)。本を読む気力もなければ、原稿を書く気にもなれない。こんな日々が続いているのだから困ったものだ。そこでテレビを見る機会がどうしても増えるが、昨日(8月4日)の参院国会中継は、公明党の変節(到達点)を再認識させるうえでまたとない材料を与えてくれた。

 午後何気なくテレビをつけて国会中継を見ていたら、格好のいい若手議員が滔々と安保法案の「意義」と「必要性」について質問しているではないか。北朝鮮から日本国土に向けて発射されるミサイル攻撃に対して、日米がイージス艦や迎撃ミサイル網を総動員して共同防御するとの例のパネル(説明図)を持ち出し、我がことの如く大演説を打っているのである。内容から考えても時間配分からしても「質問」と言うよりはむしろ自説の「主張」であり、安倍首相や中谷防衛相はむしろ「聞き手」にまわっているような奇妙な質疑だった。

 私はてっきり防衛官僚出身の自民党若手議員が、先輩に当たる中谷防衛相や国防部会長の佐藤議員(ヒゲの隊長)の目前で頑張っているのかと思っていたのだが、ふと画面下のテロップを見るとなんとそれが「公明党」とあるではないか。このとき初めて私は、北朝鮮の「脅威」をダシにして安保法案の必要性を滔々と力説する質問者が公明党議員だと知ったのである。同じ答弁を性懲りもなく繰り返す安倍首相や中谷防衛相に代わって、まるで自分が答弁するかのような熱演ぶりだった。

 もしこの国会中継を(心ある)創価学会会員や公明党支持者が見ていたとしたら、この光景(質疑)についていったいどのような感想を抱いただろうか。日本の平和と安全を担う政権与党の一員として公明党が「ここまで成長した」と感激するのだろうか、それとも「平和の党」を標榜する公明党が「ここまで堕落した」と慨嘆するのだろうか、あるいは「これはもう自分たちの代表ではない」と憤慨するのだろうか、いずれにしてもその反応を知りたいところだ。

 大阪都構想のときもそうだった。橋下維新に対して真っ向から反対の論陣を張っていた公明党が、ある日突然、都構想の内容には反対するが住民投票には賛成すると言う「訳がわからない」(頭がおかしくなる)理屈を持ち出して態度を豹変させた。聞けば、首相官邸(および創価学会本部)の指示に従って橋下維新に「塩」を送り、その代わり安保国会では維新の協力を得て安保法案を成立させる「密約」が自民党公明党本部の間で交わされていたというのである。幸い大阪都構想住民投票は良識ある大阪市民の奮闘によって阻止され、維新の中での「大阪派」(橋下派)の影響力は低下して首相官邸の目算は大きく外れた。

 もし、大阪都構想首相官邸の目論見どおり成立していたら、今頃は自公維3党の連携で安保法案が成立し、わが国は一挙に自衛隊の海外派兵に踏み切る米軍の「ジュニアパートナー」(目下の家来)としての道を暴走していたことだろう。大阪市民は「首の皮一枚」を残してこの危機を乗り切り、それが国民全体の安保法案反対の運動を大きく励ました。この点で、大阪市民の踏ん張りと頑張りを幾ら称えても過ぎることはない。

 だが政治的苦境に立ったのは、橋下維新を自公与党の一員として引き入れると首相官邸と「密約」を結んだ公明党本部(幹部)だろう。本部(幹部)の意に反して多くの創価学会会員や公明党支持者が大阪都構想反対の票をいれたため彼らの面子が立たなくなり、その「お返し」をするには安保法案成立に熱意を示す他なくなったのだ。大阪選挙区(堺市)出身の北側公明党副代表が高村自民党副総裁と「一蓮托生」の関係を結び、安倍政権を支える最も忠実な部下として「奮闘」しているのはそのためだ。

 このような安保法案審議における公明党の形振り構わぬ「奮闘」は、この党が「平和の党」から「戦争の党」に変貌したことを赤裸々に暴露し、公明党がもはや自民党の「下駄の鼻緒」にとどまらず「軍靴の踵(かかと)」に変質したことを余すところなく示している。公明党はいまや安保法案の成立に対して最も積極的な論陣を張り、「防衛官僚そこのけ」の説明員の役割まで果たしている。公明党は安倍政権の先陣に立ち、安保法案の成立に彼らの政治生命をかけて「奮闘」しているのである。

 だが、安保法案の成否如何にかかわらず、公明党は今回の安保法案を巡る一連の行動(策動)に対して国民の厳しい審判を受けるだろう。心ある創価学会会員は「公明党言いなり」の政治活動(選挙集票活動)から手を引き、本来の宗教活動に戻るだろう。「平和の党」「庶民の党」のイメージに幻惑されていた多くの公明党支持者は、公明党から容赦なく離れて行くだろう。すでに各種の世論調査でも公明党支持率が漸減しつつあり、今後はその傾向が一層顕著になるだろう。国民を一時は騙すことができる。しかし、いつまでも騙し続けることはできないからだ。(つづく)