北海道5区・京都3区の衆院両補選ははたして「民共協力」の代表的構図なのか、日経新聞の的外れな観測記事(3月20日)を批判する、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その16)

4月12日告示、24日投開票の北海道5区・京都3区の衆院ダブル補選は全国注目の的だ。これが通常の補選なら関心はせいぜい地元範囲に限られるが、しかし今年は7月に参院選を控えており、しかも衆参ダブル選になる公算が大きいので、両補選はその前哨戦として否が応でも全国の脚光を浴びることになったのである。

両補選についての本格的な分析記事や政治評論はまだ登場していない。しかし、その「走り」ともいうべき観測記事は最近あちこちで見られるようになった。代表的なのが最近の朝日、日経、産経の各記事だが、それぞれ情勢の切口が異なっていてマスメディアとしてもまだ視角が定まっていないらしい。各社の見出しをみるとその違いがよくわかる。

朝日(3月16日、4面トップ)は、「ダブル補選 攻防本格化、北海道5区 与党 vs 野党統一候補、政権、引き締め図る、京都3区 自民は擁立断念、民新 問われる存在感」という見出しで、補選の性格が北海道と京都ではそれぞれ異なることを指摘している点が重要だ。リード部分の書き出しが、北海道に関しては「自民公認と無所属の野党統一候補がぶつかる北海道5区では、安倍政権が夏の参院選の試金石として組織の引き締めを図る」というように、北海道では自公与党と野党共闘との本格的な対決選挙となり、その結果は参院選の帰趨にも大きな影響を与えると見ている。自公与党が北海道で勝てばそのまま参院選での勝利につながるが、負ければ野党共闘の勢いが増し、参院選の行方が分からなくなるかもしれないというものだ。その意味で、北海道5区はまさに来るべき参院選の前哨戦となり、勝敗を占う試金石だと位置づけられている。

一方、京都に関しては「京都3区は、民主、維新両党が合流する民進党にとって初の国政選挙で、政権への対抗軸としての存在感を示せるかが焦点だ」とあるように、自民・共産が出馬を見送ったこともあり、補選結果が直接参院選に響くとは見ていない。問われているのは新党・民進党の存在感であり、どれだけ票を集められるかに焦点が当てられている。つまり、おおさか維新や日本のこころなどの俄か仕立ての候補者に対して民主党現職の民進党候補が圧勝できるかどうか、また投票率が一定水準を確保できるかどうかによって、新しくスタートした民進党自公政権のカウンターパワー(対抗勢力)として国民の期待を担えるかどうかが試されていると見ているのである。

これに対して日経(3月20日、2面上段)は、「来月の衆院2補選、共産票に自民やきもき、『民共協力』瀬踏み」という見出しで、両補選を自公与党 vs 民主+共参という同質選挙の2つの局面と見ている。すなわち「自民党は4月24日投開票の2つの衆院補欠選挙で、共産票の行方に気をもんでいる。民主、共産など野党の支援する無所属候補がたつ北海道5区と、民主候補の出馬を踏まえ共産が擁立を見送った京都3区は『民共協力』の代表的な構図とみるからだ。7月の参院選のほか、衆参同日選もささやかれる中、共闘の効果に警戒を強める」との見方である。 この見方は、安倍首相が3月13日の自民党大会で強調した「今年の戦いは自公対民共の戦いだ」との主張にも通じるもので、いわば安倍政権の視点から選挙情勢を分析しようとするものであり、新聞社としてはいささか見識に欠ける。

なぜかというと、北海道5区と京都3区とではまったく選挙構図が異なり、日経の言うような「民共協力」の代表的な構図ではないからだ。北海道では自民候補と対峙する無所属候補を民主、社民などが推薦し、共産は擁立候補を取り下げて野党共闘が実現した。野党統一候補は2月に民主、共産の地元組織や市民団体と政策協定を結び、その後も連携を強めている。しかし、京都ではそんな条件は何一つない。民主が徹底的に共産との共闘を拒否し、共産は「自主投票」を表明しただけで「民共協力」など影も形もないのである。日経がこれを「民共協力」の代表的構図の言うのであれば事実誤認も甚だしいし、あえて言えば意図的な「ミスリード」だと言える。

この間の事情をもう少し詳しく説明すると、ことは自民の擁立断念で民主が「漁夫の利」を得たことから始まった。もともと補選立候補の民主現職は、京都3区で過去5回の衆院選のうち3回は選挙区で当選した実力の持ち主だ。最近の2回は自民にトップを譲って比例区で復活当選したものの、その差は僅かでほぼ互角の戦いだった。自民が候補擁立しなければ民主の当選はほぼ確実となり、そうなると比例区の繰り上げ当選でもう1人の議員も獲得できる。民主にとってはまさに「一挙両得」のチャンスなのである。

 こうした事態を見越していたのか、民主党の枝野幹事長は2月28日、京都で記者団の質問に答え、共産との選挙協力は補選でも参院選でも「全く考えていない」と断言した。枝野幹事長は「野党5党で国会対応、選挙なども含めて出来る限りの協力をするということだが、できることとできないことがある。我々は京都3区について共産党と何か話をすることはない。参院選もしかりだ」と語ったのである(毎日新聞2016年2月29日)。

また民主京都府連は、自民が候補擁立を断念した翌日の3月13日、党定期大会で「いずれの選挙でも共産党と共闘しない」との大会決議を採択した。民主は自力で当選するだけの力がない時は野党共闘に積極的だが、その条件があるときは野党共闘など見向きもしない。それが民主京都府連の大会決議になっただけのことだ。補選に立候補する民主現職も日米安保条約の信奉者であり、安保法案の審議に際しても「我々は日米安保条約を現実のものとして安保法の審議にも臨んできた。共産とは最終的に相いれない」(朝日新聞2016年3月15日)と公言する人物だ。また、5野党合意の確認事項である「安保法制廃止、閣議決定撤回」をいまだ公約として明確に掲げていない。

いわば民主は、党執行部、地方組織、候補者が三位一体で「共産党と共闘しない」と言明しているのであって、このような状況の下ではいくら共産が「国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む」との5野党合意を実現する立場から「自主投票」にすることに決めたといっても、それは「民共協力」とは言えないだろう。

産経新聞(3月19日、1面トップ)が「衆院補選、参院選照準『地元置き去り』、自・共不在の京都決戦」との見出しで、「衆院京都3区補選は、これまで毎回候補者を擁立してきた自民と共産が出馬を見送り、『自共不在』という異例の構図となりそうだ。(略)衆参同日選も噂される今夏を意識してか、各党とも中央主導で選挙対策に乗り出しているが、有権者からは『地元置き去り』の冷めた声も聞こえてくる」といったあたりが、案外地元の空気をあらわしているような気がする。(つづく)