「民進党の圧勝」という世評とは裏腹に、衆院京都3区補選に対する有権者の審判は〝戦後最低投票率″という形で下された、有権者の7割もが棄権し、共産支持層の3分の2が投票に行かなかったのはなぜか、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その24)

4月24日投開票された衆院京都3区補欠選挙投票率は30・1%と前回の2014年衆院選を19ポイントも下回り、戦後の衆院補選では69年ぶりに過去最低を記録した。衆院補選の最低投票率は1947年の新潟1区補選で33・0%、今回の京都3区補選は不名誉なことにさらにそれを下回ったのだ。

 私は3月17日の拙ブログで、「衆院京都3区補欠選挙は記録的な低投票率になるだろう、有権者を馬鹿にした民主党京都府連の党利党略選挙は厳しい審判を受けなければならない」と書いた。政権与党の自民党が前議員の不倫辞職で候補擁立を断念せざるを得なくなり、それを好機と見た民進党が「空き巣」となった自民票を取り込むため、「野党非共闘」路線を決定したからである。自民支持層も含めて「党派を超えた支持」を得るには、「野党非共闘」路線をとる方が得策だとの党利党略に基づく判断だろう。

 「空き巣」狙いという点では、京都のお隣の「おおさか維新」も負けてはいない。おおさか維新の馬場幹事長は、自民不在の選挙戦を「戦いやすい」と歓迎し、「大阪でもそうだが、保守の支持層が維新を応援してくれている」と選挙前は大層な自信をのぞかせていた。日本のこころも「親自民」を自認し、中野正志幹事長は「保守政党であることを理解してもらえれば、十分に自民票を取り込める」とみていたのである(京都新聞2016年3月14日)。両党にとっては政党結成後に迎える初の国政選挙だということもあって、「空き巣」となった京都で初陣を飾り、国政進出の足掛かりを得ようと考えていたのだろう。

ところがどうしたことか、民進党が「共産党とは選挙協力しない」と云っているのに、共産党は「安倍政権を支える与党を少数に追い込むという5野党合意を、誠実かつ真剣に実行する立場から自主投票を決めた」という訳の分からない理由で候補擁立を見送った(朝日新聞2016年3月15日)。かくて京都3区補選では「自共不在」という2つの「空き巣」状態が発生し、有権者はいったいどう判断すればよいのかを戸惑う前代未聞の情勢になったのである。

 衆院京都3区補選の投開票前日、4月23日付の京都新聞は「投票率、過去最低予想も 衆院京都3区補選」と伝えた。2014年12月の前回衆院選に比べて、今回補選の期日前投票が大きく落ち込んでいるというのである。実際、告示日翌日の4月13日から始まった期日前投票(累計)は、初日から4日目までは前回衆院選よりも上回っていたが、5日目からは急激に下回るようになり、それ以降は回復することなく日を追って低下していった。期日前投票数合計は2万2089人、前回衆院選3万6276人の僅か61%である。

期日前投票の結果が必ずしも正確に投票率に反映するというわけではないが、今回は期日前投票のトレンドがそのまま投票率となってあらわれた。京都府選挙管理委員会が発表した投票率は30・1%、前回投票率49・2%の61%は30・0%だから、期日前投票の前回比がそのまま投票率となったのである。

選挙結果は、民進党前職・泉健太氏が6万5051票で当選し、おおさか維新・森夏枝氏は次点の2万710票、その他の候補はそれぞれ数千票程度(以下)だった。しかし泉氏の得票数は、自民、民主、共産、維新4党の有力候補が争った前回衆院選の5万4900票を僅か1万票余り上積みしただけで、自共不在の有力候補がいない烏合の衆相手の選挙としては余りにも「さびしい結果」だと言わなければならない。京都新聞出口調査(4月25日記事)によると、泉氏の得票数6万5千票のうち民進支持層の占める割合は32・7%で2万1千票に過ぎなかった。これは前回衆院選の泉氏の得票数5万5千票と比較すると38%でしかなく、民進支持層でさえその多くが棄権したのである。

また、おおさか維新は松井知事や吉村大阪市長をはじめ国会議員・地方議員が大挙して応援に入り、総力戦ともいうべき意気込みを示していただけにその落胆ぶりは大きかった。なにしろ民進党にトリプルで大敗し、各紙も「おおさか維新惨敗、完敗」などと伝えるなど、国政進出の初陣を京都で飾ろうとした彼らの野心は無残にも打ち砕かれたからだ。参院選を直前にしての京都での惨敗は手痛く、全国的にも今後計り知れない影響を及ぼすだろう。

最後に「自主投票」で候補擁立を見送った共産党にとっても、今回の補選は無視することのできない影響を与えるだろう。京都新聞出口調査では、泉氏に投票した人のうち共産支持層が13・6%を占めていた。6万5千票の13・6%だから、共産支持層の泉氏への投票数は約8千800票となる。しかし前回衆院選の共産得票数は2万6500票だから1万8千票近くが減ったことになり、共産支持層の3分の2が投票に行っていないことが判明したのである。おそらく共産党京都府委員会は泉氏への投票数がもう少し多いと期待していたのであろうが、結果はその反対だった。この時点で「安倍政権を支える与党を少数に追い込むという5野党合意を、誠実かつ真剣に実行する立場から自主投票を決めた」という訳の分からない方針は明確に否定されたと言うべきであろう。同じ民進党でも京都のような民進党には投票しない、したくないと考える人たちが圧倒的に多かったのだ。

拙ブログでも、今回のような大義のない選挙に対して積極的に棄権すべきだとの意見と投票に行くべきだとの意見が交錯した。また市民団体の中には「投票に行こう」と呼びかけたグループもあった。いずれにしてもこれらの意見の対立(齟齬)は、選挙結果に基づいて解決する他はない。衆院京都3区補選は低投票率との戦いだった。それは、大義のない選挙に対する有権者の反乱であり、批判の意思表示でもあった。大義を見失った選挙は有権者に見捨てられる。それは共産支持層といえども同じである。