結局、候補者の質が投票率を決める、集団的自衛権など外交安全保障政策が最大争点になる北海道5区補選と「地元育ち」や「身を切る改革」しか言わない烏合の衆の京都3区補選の差は大きい、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その22)

 衆院2補選が中盤戦から終盤戦に入った4月16、17両日、マスメディア各紙の選挙情勢に関する世論調査が各々の選挙区で実施され、その結果が18日朝刊に掲載された。それによると、北海道5区は自民候補と野党統一候補が横一線、京都3区は民進現職候補が優勢とのことだ。予想されたこととはいえ、北海道5区では集団的自衛権など外交安全保障政策など国政選挙にふさわしい争点をめぐって熾烈な戦いが繰り広げられているのに対して、京都3区では地方選挙の常套手段である「地元生まれの地元育ち」とか「身を切る改革」が連呼されるだけで、およそ国政選挙らしい雰囲気がない。それもそのはずで6人もの候補者が乱立したが、そのほとんどが「烏合の衆」に近い存在だから、選挙がいっこうに盛り上がらないのである。

 もっともこれまでの衆院選で立派な国会議員を選んできたかというと、京都3区では宮崎謙介氏のような人物を2回もトップ当選させてきたのだから、有権者にそれほどの見識があるとは思えない。私も有権者の1人なので偉そうなことは言えないが、結局、有権者のレベルに相応の政治家しか選ばれないのであれば、少数派に残された道は死に票を承知で投票に行くか、棄権するかのどちらかしかない。情けないことだ。

今回の京都3区補選は、京都3区の有権者が過去の選挙を反省し、汚名をそそぐ政治的・道義的責任を負っている重大な国政選挙だ。その意味で「国政選挙とは何か」を真剣に考える(考えなければならない)選挙であろうし、とりわけ宮崎氏のような人物に投票してきた有権者にとっては、胸に手を当てて考えるべき選挙なのだ。立候補者が国会議員にふさわしい見識と人格を持った人物であるかどうか、国会議員にふさわしい政策を語れる政治的力量を持った人物であるかどうかをよく考え、着物姿だけの候補者や「地元生まれ」や「身を切る改革」しか言わない候補者には惑わされないことだ。

 それにしても共同通信社世論調査は面白い。今回の補選で何を選挙争点と考えるかとの質問に対する北海道5区有権者の回答は、「集団的自衛権など外交、安全保障」21%で第1位、「社会保障と福祉、子育て」20%で第2位、「消費税増税」17%で第3位、「景気と雇用」16%で第4位と国政上の課題がズラリと並んでいる。しかも投票では、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を判断材料に「する」との回答が58%で、「しない」の37%を大きく上回っているのだから、まさに安保国会以降の初の国政選挙にふさわしいといえる(京都新聞2016年4月18日)。しかも選挙構図は自民候補と野党統一候補の対決選挙なのだから、どこかの烏合の衆の選挙とは違って、これこそが「ザ・選挙」とも云うべき横綱相撲なのだ。

共同通信社の調査では、きっと同じ質問が京都3区の有権者にもされたと思う。であれば、京都新聞はこの結果を公表し、北海道5区と比較してもっと詳しく分析してほしい。そうすれば彼我の違いが明白になり、京都3区の有権者に対しても今回の補選の意味を考える貴重な材料になると思う。宮崎氏によって汚された国政選挙を再び「烏合の衆」の選挙にしてはならない。そのためにも京都3区の有権者は深く熟慮を重ねて選挙に臨んでほしい。

 2014年12月衆院選京都3区は、自民、民主、共産、維新の4党が争い、京都3区の投票率は49%で全国平均53%を若干下回った。今回補選の期日前投票は4月16日までは前回を上回るペースで推移してきていたが、4月17日になって前回比86%に急落した(京都府選挙管理委員会速報)。そのペースは日が経つにつれてダウンしてきており、このままいくと投票率の低下に拍車をかけることになるかもしれない。

もともと宮崎氏の不倫問題による議員辞職が原因で発生した今回の京都補選は、2億6千万円もの公金を使うとあって有権者から厳しい批判を浴びている。その批判を払拭するだけの大義のある選挙が行われるのであればまだしも、現実には泡沫候補が乱立するだけの烏合の衆選挙になったのでは、前回以上の投票率を期待する方が無理というものだ。私は選択肢が極度に狭められた今回の補選はそれ自体が有権者の批判を浴びる選挙となり、記録的な低投票率になると予測してきた。この予測が間違うことになれば自らの未熟さを反省するほかないが、事態の動向はそれを否定する方向にない。

最期に今回の補選とは関係ないが、毎日新聞4月14日付の「投票行動に『候補者は重要』」と題する興味ある記事を紹介しよう。この記事は、京都市選挙管理委員会がちょうど1年前の市議選(2015年4月12日投開票)後に実施した「京都市民の投票行動」に関する調査結果を記事にしたものだ。それによると、市議選で投票に行かなかった人に投票参加に関する見方を質問したところ、「適当な候補がいなければ棄権もやむをえない」54%、「勝敗のはっきりしている選挙の場合はわざわざ投票に行く必要はない」26%、「生活にあまり関係のない選挙に行く必要がない」19%、「たくさんの人が投票するのだから私一人ぐらい棄権してもよい」9%という結果になったという。

この結果を分析した専門家の研究会は、「選挙には政治家(=候補者)が重要であることは投票率の向上に不可欠の要素」だと分析している。最近の選挙の投票率は議員選挙であれ首長選挙であれ軒並み低下する傾向にあるが、ともすれば有権者の側に問題の原因があると云われることが多い。しかしこの調査結果は、有権者の投票参加を決めるのは候補者の資質であり水準であって、その劣化が投票率低下の根本原因だと指摘しているのである。

烏合の衆の選挙になった京都3区補選ほど、この指摘に該当する選挙は見当たらない。その意味で京都3区補選は、勝敗の結果よりも投票率の水準が選挙の意義を左右する異例の国政選挙になったのである。(つづく)