自公両党は都知事選候補者擁立を断念せよ、自公与党は3代続けて「欠陥知事」を作った製造者責任を取らなければならない、2016年参院選を迎えて(その33)

 舛添都知事がついに辞任に追い込まれた。安倍首相と山口公明党代表が「政治とカネ」疑惑で辞任した猪瀬知事の代替品として太鼓判を押した舛添氏が、猪瀬氏に勝るとも劣らない「欠陥知事」であることが判明し、都民から「使用不能」と返品されたからだ。当然のことながら、自公両党は欠陥部品の明細を公表して、製造者責任を明らかにしなければならない。

 ところがどうだろう。第1回目の集中審議で舛添氏に辞職を迫った公明党は、掌を返して、舛添氏が辞任表明をするや否や第2回目の集中審議を開く必要がないとして早々に幕引きを図った。第1回目の集中審議では舛添氏が政治資金で買った大量の美術品の一覧リストを要求し、所蔵品を現場でチエックすると息巻いていたのに...である。これでは集中審議での質問は真相究明のためではなく、舛添氏を辞職に追い込む(取引する)ための単なる「カード」だったと言われても仕方がない。

 自民党に至っては最後の最後まで舛添氏の居座り工作に加担し、集中審議では「みそぎ質問」を連発して舛添氏の「心からの反省」を演出して見せた。だが、あまりにも稚拙な質問だったために楽屋裏が都民の見通しとなり、この政党の政治思惑の薄汚さや都議の資質の低さが暴露されただけだった。もし都議会が解散して選挙が行われたら、果たして自民党現職都議の何人が再選されるかわからないような体たらくではないか。

 舛添氏自身も最後の都議会本会議では声涙溢れる弁明を開陳したものの、定例記者会見はあっさりキャンセルし、記者団の質問を封印して逃亡した。毎週金曜日の都知事記者会見は、都議会では見られない鋭い質問が飛び交い(とりわけ女性記者の奮闘が目立った)、真相究明のための得難い場所になっていた。舛添氏が都民に対して説明責任を果たそうとすれば、自公両党が救いの手を差し伸べる都議会と違って、鋭い質問が続出する定例記者会見こそが絶好の場所であったはずだ。しかしその意思が毛頭ない舛添氏は、ただ逃亡する以外に方法がなかったのだろう。

 事態の局面は、早くも真相究明から都知事選に移ろうとしている。人気投票よろしく著名人の候補者リストが賑やかにテレビ画面を飾り、あれこれの政治評論家やコメンテイターが「品定め」に参加している。それはそれで面白いとはいえるが、肝心なことは、自公両党が果たして次の都知事選に候補者を擁立できる資格があるかどうかということだ。

 石原都知事時代には、石原氏の職務怠慢(職務放棄)をいいことにして、都議会自公両党幹部が都政運営を牛耳り、欲しいままの利権政治を展開してきた。「知事は元気で留守がいい」と云わんばかりの政治慣行が都政全般でまかり通り、都政の空白状態に乗じた「都議会ボス」(例えば、自民党東京都連幹事長など)が事実上の都政運営の実権を握っていたとされている。彼ら「都議会ボス」連中にとっては、自分たちの言いなりになることが知事の要件であり、猪瀬氏が石原知事の後継者として自公与党から推薦されたのは、まさにその要件を満たしていたからであろう。

 だが、都政は巨大であるだけに利権競争も激しい。その一角に食い込もうとすれば、「都議会ルート」だけではなく「独自ルート」も開拓しなければならない。猪瀬氏はその「独自ルート」を開拓しようとして、医療法人徳洲会を経由した政治資金疑惑を暴露されて潰された。もし彼が「都議会ボス」の指導に忠実に従っていたら、かくも惨めな結末を迎えることはなかった...というのが「庁内スズメ」の一致した見解だという。

 舛添氏も知事就任後は「独自ルート」の開拓に精力的に動いていた。だが「独自色」を出したがる舛添氏の性格と、都議会ボスたちの利害は必ずしも一致しない。とりわけ舛添氏が意欲を燃やす東京五輪関係の施設やイベントについては意見の衝突が目立ち、このままでは自分たちの思惑が通りにくくなると都議会ボスたちは「憂慮」していたといわれる。そこで「セコイ話」で舛添氏を引っかけ、彼に反省してもらって自分たちに従順な存在にするための方策の一環として、公用車私的利用など数々の「セコイ話」がリークされて浮上したというわけだ。

 自公与党の都議会ボスたちにとって「想定外」だったのは、舛添氏が素直に謝って一件落着とならず、あれこれと理屈を並べて「頑張りすぎた」ことだ。都知事は東京都のトップであることから、甘利氏のように国会議員は辞めないが、大臣を辞任することで世間の批判から身をかわすような芸当ができない。また「病気」を理由に身を隠し、検察との裏取引を通して不起訴処分を勝ち取るまで国会を留守にすることもできない。都民の面前で「セコイ話」を持ち前の弁舌力で突破するしかないのである。

 だが、これは人の前で頭を下げたことがない舛添氏にとっては殊の外難しかった。甘利氏のように真相を語らずにとにもかくも頭を下げ、人の噂が消えるとされる75日間身を隠してじっとしていることが身分上も性格上もできなかったのである。かくして舛添疑惑が炎上状態となり、自公与党が不信任決議案に賛成しなければならない状況に追い込まれた。これは自公与党の都議会ボスたちにとっては「措定外」のシナリオであり、由々しき事態であった。

 最後の土壇場になって舛添氏は都知事を辞任した。説得に当たった自民党都議会ボスと舛添氏の間でどんな裏取引が行われたのか、残念ながら現時点ではわからない。しかし、自公与党が最も恐れていたのは不信任決議案を可決された舛添氏が都議会解散に踏み切ることであり、そうなれば都民の批判は自公与党議員に集中することは必至だった。この事態を避けるためには、都議会ボスたちはどんな条件でも呑んだのではないか、というのが私の推測である。その結果が表に出てくるのは、舛添氏が政界に復帰するときの姿形でわかるだろう。

 次の都知事選には、石原、猪瀬、舛添氏という3代にわたって「欠陥知事」を製造してきた自公与党の政治責任が大きく問われなければならない。衆院京都3区の補欠選挙では、谷垣自民党幹事長は地元議員団の意見を退け、自民党京都府連が「ゲス不倫」の宮崎健介候補を推薦した責任を取って、自民党から候補者を出さないという決断に踏み切った。当然の判断だろう。東京都知事選でも事態は同様ではないか。過去3代にわたる「欠陥知事」の製造者責任を取り、自公与党は候補者擁立を断念すべきではないか。(つづく)