旧民主党政権崩壊の「戦犯の一人」前原氏が、なぜいま民進党代表選に出馬するのか、民進党リーダーの世代交代による自らの政治生命の危機に対処するためか、それとも野党共闘路線を分断するためか、民進党代表選(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その8)

 9月になると、民進党の代表選(9月15日投開票)が始まる。9月2日の告示日を控えて目下代表選に名乗りを上げているのは、民進党代表代行の蓮舫氏と旧民主党代表の前原氏の二人だけだ。おそらくこの二人の決戦投票になるのだろう。

蓮舫氏は選挙区が東京なので、私にはマスメディアを通しての知識程度しかなくどんな人物かあまり知らない。ただ、旧民主党政権時代には文教予算をばっさばっさと切り捨てた「冷酷無比な仕分け人」としての印象が強く、またそのときの追及の仕方が検察まがいの強権的体質だったことを今でもはっきりと覚えている。東京では人気があるというが、それは女性タレントやキャスターとしての弁舌技術によるものであって、小池人気と同じ類のものだろう。

一方、前原氏は京都選出の衆院議員なので、彼が地方議員に出た頃からよく知っている。前原氏は、本来なら自民党から出てもおかしくない保守的な人物(あるいはそれ以上)なのだが、そのときの自民党に席がなくたまたま無所属で出たまでの話で、本籍地は自民党とあまり変わらない。国会議員についても同様で(自民党に空きがないので)新党を渡り歩き、旧民主党にたどり着いた。議員ポストの為なら「政党渡り鳥」も辞さないという人物であり、奈良県選出の高市議員同様、思想も経歴(松下政経塾など)もきわめてよく似ている。

ただ、前原氏が当選回数を重ねてきたのは、地元選挙区では自民党顔負けの世話役活動に精を出してきたからだといわれる。前原後援会役員の話を聞くと、「前原ほどドブ板選挙に徹する議員はいない」との声が異口同音に返ってくる。国会での民進党きっての右派議員は、地元では献身的な秘書たちのお蔭で確固たる選挙地盤を築いているのである。

さてこんな下世話な世間話はさておき、前原氏が今回なぜ民進党代表選に打って出るのか、その理由や背景を考えてみたい。理由は大きく言って2つある。1つは、このままでは先細りしかない自身の政治生命を延命させるためであり、もう1つは民進党のなかで勢いを増しつつある野党共闘路線を分断するためであろう。

前原氏は現在、「凌雲会」という名の党内グループ(派閥)を率いているが、後輩の細野氏が袂を分かって独立し、今回の代表戦では(次を狙って)蓮舫氏を支援する側に回った。非執行部系の派閥は党役員人事のおこぼれに与ることも少なく、活躍する場も与えられない。このままでは派閥内の不満が高まって結束が乱れ、それとともに領袖としての前原氏の影響力も低下する。「座して死を待つ」よりは、「ダメモト」で代表選に出た方がマスメディアの露出度も高まり、また健闘すれば、執行部の方もそれなりの配慮をするだろう――との読みである。

もう1つは、「政治家」としての前原氏が民進党内の「野党共闘路線」を分断し、(将来に向けて)安倍政権との「改憲協力」の一歩を踏み出したということであろう。日米安保条約を推進する「親米右翼」であり、GNP1、2パーセント程度の日本農業などTPPに委ねても構わないと公言する「新自由主義者」の前原氏は、同時に共産党を敵視する根絡みの「反共主義者」であることは京都でよく知られている。それが全国的に有名になったのは、昨年11月の読売テレビで「共産党の本質はシロアリみたいなものだ。協力したら(党の)土台が崩れていく」(読売新聞、『政治の現場』、民共融合①、2016年8月19日)と発言してからのことだ。

その前原氏があろうことか、雑誌『世界』2016年9月号の対談で次のように述べている。
――井出(慶大教授) 私がずっと引っかかっているのは、昨年、共産党との選挙協力について懸念しておっしゃった「シロアリ」発言です。この発言を踏まえてもなお、政策的に合意が可能であるかぎり、野党共闘はあってしかるべきだとお考えですか。
――前原 政策がないまま枠組み論になることのリスクを伝えたくて、あのような発言をしました。過激ではありましたが、政策を置き去りにした枠組み論は不毛です。政策に主体性をもち、有権者の信頼を勝ち取ることが私たちの最重要課題です。枠組み論ありきでは議論が逆立ちしてしまう。政策論議を深め、共闘のフェイズをさらに進化させる。政策論議のすえの共闘努力こそ、私たちの責任だと思います。

だが、この言い訳は苦しい。「共産党=シロアリ」発言は、共産党の体質に関する前原氏本来の認識であって、政策論議とは何の関係もない。とにかく「いったん共産党と組んだら食われるよ!」という彼自身の本能レベルの感情であって、それ以外の何物でもないのである。また、「政策を置き去りにした枠組み論は不毛です」との野党共闘に対する批判は、野党間の「安保法制に反対し撤回を要求する政策」の存在を無視するもので、要するに安保法制に反対する野党共闘は認められないと言っているだけのことだ。

8月26日の出馬表明の記者会見で、朝日新聞は前原氏が野党共闘について述べた見解を次のように伝えている(2016年8月27日)。
――野党共闘については、「次は政権選択を託す衆院選だ。政権を担うには外交・安全保障、内政では基本的な考え方が一致しなければならない」と主張。具体的に①天皇制、②自衛隊、③日米安保、④消費税を挙げて、「考え方の違うところと組むことは『野合』だ」と言い切った。共産党との共闘関係を見直す考えを示唆したものだ。

京都では、こんな前原氏が牛耳る民進党京都府連との共闘を巡ってリベラル陣営内の意見が分かれている。「共産党とはこれからも共闘しない」と大会決議までした民進党府連代表を参院選で応援した人もいれば、私のように抗議の意思を示すために積極的な棄権をよびかけた者もいる。果たして京都の民進党員やサポーターは誰に投票するのか、蓮舫氏か前原氏か、はたまた「積極的棄権」なのか。(つづく)