前原氏の推薦人に名を連ねた京都選出民進党国会議員(福山氏、泉氏など)を支援したのは誰か、野党共闘分断論者を野党共闘支持者が支援する究極の愚かさ、民進党代表選について(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その10)

 民進党代表選が行われているが、正直なところいっこうに盛り上がらない。9月7日の毎日新聞(東京夕刊)では、「代表選中ですが、民進党にもの申す このままでは万年野党の道か」との特集ワイド記事までが組まれる有様だ。記事の趣旨は、「野党共闘のあり方には関心が高い。民進党は本気で政権を取りにいく気があるのか、最終的にはどの方向に進むつもりか。共闘のあり方がそんな疑問の答えになるからだ。代表選では共闘について明確にしてほしいのに、論点は不透明で、候補者の主張は逃げ腰にさえ映る。そんな民進党が広く信頼を得る政党として根本的に変わるには何をすればいいのか――」というもの。前原氏を初め3人の候補者ははっきりとその回答を出さなければならない立場にある。

とはいえ、そんな注文をするのは3人の候補者には無理というものだろう。共産党社民党との共闘はしたくないというのが3人の「ホンネ」なのに、議席だけは欲しいので野党共闘を「タテマエ」上は否定できない。だから、前原氏のように「リセット」するといったあいまいな発言になるのである。「リセット」した後のことをはっきり言わなければ意味が分からないのに、そこまでは言わない。曖昧なまま代表選を戦い、相当数の票を取れば「それからのこと」を考えるという作戦なのだ。

私は、前原氏の「リセット」は「御破算」を意味するものだと考えている。前原氏の狙いは野党共闘を「御破算」にして民進党を分断し、旧維新の党などと同じく「第2自民党」を結成することにある。毎日夕刊で作家の室井氏が、「民進党が打てる手というのはもう、保守系の『第2自民党』みたいな勢力か、社民党寄りのリベラル系の勢力か、党内をはっきり分けることしかない。本当なら、代表選は、両側から代表者がそれぞれ立候補して、徹底的にガンガン議論し合い、負けた側が民進党から出ていくぐらいのことをすべき」だと云っているが、まさにその通りだと思う。

ところが、前原氏の地元京都では民進党に対するリベラル陣営の立ち位置があいまいなままではっきりしていない。民進党京都府連が「野党共闘はしない」と大会決議までしているにもかかわらず、全国レベルで野党共闘の合意が成立すると、京都ではまったく事情が異なるのに「民進党支持」の風潮が何となく広がるのだ。東京で決めたことは何でも従うという追随姿勢が骨まで染みついているのか、とにかく理屈抜きでそんな雰囲気になるのである。誇り高い京都人(府民、市民)の気風はどこかに消えてしまったのだ。

今回の民進党代表選での前原氏の推薦人は24名、うち京都選出の民進党国会議員4人の3人までが名前を連ねた。衆院の泉・北神氏、参院の福山氏だ。名前を出していないのは衆院の山内氏だけだ。京都は前原氏の牙城だと言ってもいい。そんな京都の衆院補欠選挙でリベラル陣営は候補を立てず、泉氏の事実上の支援に回った。私はある会合で泉氏の支援を街頭で訴えた活動家にその真意を尋ねたところ、「泉氏は個人的には護憲の立場だから」との回答が返ってきた。

泉氏も福山氏もれっきとした政党人であり、組織人である。まして泉氏は民進党京都府連の代表であり、「野党共闘はしない」との大会決議をした張本人なのだ。それを支援するというのは「天に唾する」ことにならないのか――、喉元まで出かかった言葉を私は呑み込んだが、果せるかな、泉氏も福山氏も前原氏の推薦人に名を連ねた。野党共闘の「リセット=御破算」の先頭に立つ前原氏と一心同体で行動することを公然と表明したのである。

次期衆院選を迎えて野党共闘路線を維持するかどうか、民進党にとっては党の運命を左右する決断をしなければならない。今回の民進党代表選はその帰趨を決する絶好の機会なのに、3人の候補者は態度をあいまいにしたままで9月15日の投開票日を迎えようとしている。そして対立点をぼかしたままで「個々バラバラ」に野党共闘を進めるのだろう。

だが私は、参院選野党共闘が一定の成果を収めたからと云って、衆院選でもそれが通用するという「柳の下の二匹目の泥鰌」はいないと思う。安保法制反対や改憲反対といった基本的な課題での一致だけでは、日々の生活上の困難に直面している国民の世論を獲得することはできないし、ましてや北朝鮮のしたい放題のミサイル発射や中国の強硬外交に対する不安を取り除くことはできないと思うからだ。

野党共闘は第2ラウンドに移行すべきだ、と思う。全国的な合意だけで地域ごとの相違点や独自性を消すのではなく、もっと具体的な政策課題の共有を地域ごとにめざすべきだ。それが成立しないような地域では堂々と政党間の選挙戦を展開すればよい。さしずめ京都では前原一派を駆逐するような壮大な選挙戦を展開しなければならない。そうでなければ、先の衆院補選で候補擁立を取り止めた政治的失態を回復することはできないだろう。

心ある有権者はあいまいなままでの野党共闘など望んでいない。先の東京都知事選はその格好の教訓になったはずだ。「数合わせ」の「中身のない」の野党共闘はもう賞味期限切れになっているのである。(つづく)