「神さま、仏さま、前原・小池さま」のお陰で自民が圧勝した、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その88)

 投票前の予想をはるかに超える自民の圧勝だ。選挙前の国会で失態の限りを尽くしてきた自民の問題議員・暴言議員までが軒並み当選しているのだから、まったく嫌になる。全ての原因は野党側の「オウンゴール」によるものであり、野党共闘が分断されて候補者が乱立したためで、自民にとってはまさに「神さま、仏さま、前原・小池さま」といったところだろう。開票日翌日の今日(10月23日)、台風の影響で最終的な議席数もまだ確定していないのだから、この段階で総括めいたことを述べるのはいささか早計かもしれないので、全国の選挙結果に関する分析はいずれ行うことにして、今回はとりあえず京都の選挙結果についてコメントしよう。

 京都選挙区は、今回の波乱劇の主役となった前原氏一派の牙城だ。旧民進党の衆員議員は定数6人(小選挙区)のうち4人、参院議員は定数4人(改選数2人)のうち1人を占め、今回の衆院選では前原氏(無所属)を含めて全員が希望の党に走ったことになる。しかし、選挙結果は複雑だ。2区の前原氏は自民・共産候補に大差をつけて当選したが、後の3人は当選1、落選2(うち1は比例復活)に分かれた。当選したのは、宮崎某(自民)が不倫辞職したときの補選で当選した3区の泉氏だ。この時は自民が責任を取って立候補を自粛し、一方、共産は頼まれもしないのに「野党共闘」を推進するとして自主的に立候補を取り下げたので、泉氏は楽々当選できたのである。

このときは、共産が支持者に対して泉氏への投票を積極的に呼びかけた。だがそのことが仇になって、今回は共産候補への投票を呼びかけても支持者にはなかなか応じてもらえなかったという。「この前は味方だと言っていたのに、今度は敵だというのは納得できない」というのがその理由だ。野党共闘といっても相手候補の人物を確かめ、きちんとした選挙協定を結ばないと、後で「トンデモナイ」ことになるという格好の見本だろう。

 4区の北神氏は前原氏の心酔者で根っからの改憲論者だ。前原氏は共産を「シロアリ」視する筋金入りの反共主義者だが、北神氏もそれに劣らず野党共闘に激しい拒否反応を示すつわもので、共産を「赤いモルヒネ」と公然と呼んで憚らない人物なのである。そんなことで北神氏は希望の党へ率先して合流したのであるが、意に反して自民の後塵を拝する結果となった。希望の党が後半大きく失速したので、もう一息及ばなかったのである。

 残る1人は野田政権で国対委員長を務めた6区の山井氏だ。山井氏はこれまで福祉を重視するリベラル派だと見なされていたのに、今回は「みんなで渡れば怖くない」とばかり希望の党に走った。小池代表に対して改憲・安保法制容認の「踏み絵」を踏んでの参加だから、有権者からは「変節漢」として猛烈な反発を喰らったことはいうまでもない。結果、山井氏は自民新人に惜敗したが、それでも惜敗率が高かったこともあって比例復活した。農村部中心の選挙区なので義理と人情で切り抜けたのであろうか。

 このほか希望の党の候補者には、4位の得票しかできなかった5区の井上氏が比例代表で当選するという奇怪な出来事があった。聞けば、井上氏は小池氏の側近だということで5区の落下傘候補として舞い降り、最下位に近い得票であるにもかかわらず比例名簿の上位にあるだけで当選することになったのだという。5区の有権者からみれば「井上フー?」といった存在が、代議士として堂々と国会に出ていくことがまかり通っているのである。これは、3区で4位の得票しかできなかった維新会の森氏が、比例代表で国会議員になったのと同じ構図で割り切れないものを感じる。

 共産は1区の穀田氏が2位で比例復活したほかは全滅だった。その他の選挙区は2区から6区まで全て3位にとどまり、得票率も当選者の3分の1強の水準にしか届かなかった。「日本の夜明けは京都から」と豪語したかっての面影はもはやどこにも見られない。原因は明白だろう。若者を引き受ける魅力にないことで支持者が次第に高齢化し、思うように選挙運動が出来なくなっているのである。ビラをまく人も電話かけする人もその多くは中高年層が主力で、活動量が飛躍的に落ちているからである。

 おそらくその背景には、上部から降りてくる方針を忠実に実行するという共産の「組織文化」に若者が馴染めないことがあるのだろう。野党共闘一つにしても、これまで「自強対決」一本槍を唱えていた共産がある日突然方向転換して打ち出されたもので、歴史がそれほどあるわけでもない。しかもそれが志位委員長の決断で生まれたというのだから、たとえ方針が正しくても「ある日突然一人の決断で方針が決まる」という組織の体質に対しては、若者が違和感を持つのは無理からぬところがある。衆院補選で泉氏を勝手連的に応援しながら今度は同氏と対決するというのでは、ご都合主義だと言われても仕方がないからである。

 選挙後の政局は極めて流動的だ。共産は立憲民主との野党共闘を目指すというが、枝野代表がそれに応じるという保証はどこにもない。むしろ、選挙中からのトレードマークである「右でも左でもなく前へ」という枝野代表のフレーズは、明らかに共産との共闘に消極的なサインであり、立憲民主党がおいそれと新しい野党共闘に踏み切るとは思えない。結局、共産は立憲民主に尽くした挙句、袖にされるという割り切れない現実に向き合うことになる。言葉を選ばずに言えば、「トンビに油揚げをさらわれた」状態に陥ったのである。

 この難局を切り抜けるには、結局自力による回復しか特効薬がないだろう。相手頼みの野党共闘は相手あっての話であり、その条件が限りなく薄くなった情勢の下ではこれまでの硬直した「組織文化」を払拭してもっと生き生きとした体質改善に踏み切ることだ。このことを抜きにした著名人・文化人頼みの野党共闘はもう限界にいている。(つづく)