京都市長選、明日2月2日投開票! 市長選における〝地上戦〟と〝空中戦〟、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(22)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その199)

 

今回の京都市長選は、2008年以来の「3極」対決となり接戦が予想されたこともあって、メディアの報道合戦も殊の外賑やかだった。各紙には連日3候補の選挙公約が詳しく紹介され、キチンと新聞を読んでいる有権者には大いに参考になったに違いない。テレビでもNHK京都放送局は連日、シリーズで選挙公約をテーマごとに解説した。担当記者の力量によって報道内容のレベルの差は大きかったが、それでもその意欲は大いに評価されてよいと思う。

 

問題は、私たち世代のように新聞に眼を通し、テレビニュースを見る習慣のない若い世代の動向だろう。学生たちの「新聞離れ」はすでに現役時代から痛感していたが、最近では「テレビ離れ」も目立つようになったと聞く。主たる情報源はSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)だそうだが、私はメールとブログだけでラインはやらないし、ツイッターやフェイスブックにも縁がない。とすると、新聞やテレビだけでは選挙情勢は把握できないことになり、正確な情勢分析が難しくなる。

 

これまでの選挙の主戦場は〝地上戦〟と〝空中戦〟だった。地上戦は、団体や個人が演説会や対話集会あるいは電話戦術などを通して有権者の支持を直接獲得すること、いわゆる「票固め」活動である。空中戦は、ビラやチラシなどの大量宣伝活動により人々の関心を喚起し、自前候補に有利な世論状況を作り出していくことだ。だが、今回の市長選では(昔に比べれば)街頭宣伝やビラ・チラシの配布が驚くほど少なく、選挙が行われているのかどうかを疑うような状況だった。おそらく、私たち世代には見えないSNS世界での情報戦が展開されていたのであろうが、残念ながら私には見えないし、わからない。

 

そんなことを前提にして言うのだが、全体として市長選に対する市民の関心が薄れてきているように感じる。もっと言えば、社会的に問題を考えようとする気風が薄れ、自分に関係のないことには目を向けようとしないライフスタイルが広まってきているのだろう。京都市政が抱える問題を「鳥の眼」で俯瞰しようとするというよりは、自らが直面する身近な問題を「虫の眼」「虫の触覚」で感じるような市民が増えているのである。

 

この点で、「オーバツーリズム」(観光公害)が市長選の一大争点になると考えた私の問題意識は的外れだったのかもしれない。同じように、財政問題を正面から取り上げた村山陣営も市民の反応は弱かったと言っている。また、自分の実績を羅列した門川陣営の戦術は、実績を強調すればするほど焦点がぼけてしまうという自己矛盾に陥った。それよりも「中学校給食」や「大学奨学金」などの問題をピンポイント的にクローズアップした、福山陣営の「1%パッケージ」キャンペーンの方が効果的だったのかもしれない。

 

こうした膠着状態を何とか打破したいと思ったのだろう。門川陣営が一気に空気を変えたいとして打ち出したのが、京都新聞に掲載された「大切な京都に共産党市長は『NO』」との謀略的な意見広告だった。門川陣営の頭の旧い連中が〝空中戦〟の決め手として考え、著名人を賛同者に仕立て上げたのだ。門川候補の推薦人だから氏名を(しかも顔写真付きで)自由に使えると思っていたというが、個人の人格権を重んじる現代では到底通用しないことを彼らは認識していなかった(その程度の連中だ)。著名人の大半が意見広告の内容を事前に知らなかった、知らされていなかったとして、賛同者代表の立石商工会議所会頭が謝罪に追い込まれたのである。

 

轟々たる批判の前に行き場を失った門川陣営は、終盤の主戦場を〝地上戦〟に切り替えざるを得なくなった。その担い手が「反共の旗手・公明党」だ。1月28日に伏見で開かれた公明党の選挙集会に行った知人から聞いたが、その場はあたかも「共産党を潰せ!」の絶叫大会だったそうだ。登壇する弁士たちが、異口同音に声を競って「共産党を潰せ!」と大合唱したというのである。恐ろしいことではないか。

 

その前日1月27日は、第2次大戦中、ナチス・ドイツがポーランド南部オシフィエンチムに設け、ユダヤ人ら110万人以上を虐殺したアウシュビッツ強制収容所が、ソ連軍によって解放された75周年記念日だった。現地での追悼式には生存者約200人が参加し、生存者は口々に「虐殺の事実を忘れるな」と訴えた。翌28日には各紙で75周年記念行事の模様が伝えられ、テレビでも放映された。その日に公明党の集会が開かれ、「共産党を潰せ!」の絶叫大会が行われたのである。

 

ドイツのルター派牧師であり、反ナチ運動組織告白協会の指導者マルティン・二―メイラーの有名な言葉に、『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩がある。

「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」

 

 この詩は、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして戦後世界中に強い影響を与え続けてきた。内容は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じながらも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がその対象になったときには社会には声を上げる人は誰もいなかったというものだ。

 

アウスシュビッツ解放から75周年を迎えたこの日、「平和の党」「庶民の党」の名を掲げる公明党によって「共産党を潰せ!」の大合唱が行われた事実は限りなく重い。「大切な京都」にナチス・ドイツの亡霊がよみがえるようなことがないよう、わたしたち京都市民に与えられた課題は大きい。京都市は明日2月2日、歴史的な市長選を迎える。(つづく)