‶万策尽きた〟党勢拡大運動、自民党総裁選、立憲民主党代表選挙の前にかすむ国政政党としての存在意義、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その32)、岸田内閣と野党共闘(97)

 7月の党勢拡大が思わしくなかった所為か、「党の命運がかかった8・9月、〝目標水準〟へ活動飛躍を」と題する全国都道府県委員長会議(オンライン)が8月3日開催され、翌日には小池書記局長による幹部会報告(全文)が赤旗に掲載された。全体の論調といい問題提起といい代わり映えのしない内容で、〝万策尽きた〟との印象が強い。おそらく幹部会でも事態を打開する決定打が見つからず、従来通りの方針を繰り返す以外に打つ手がなかったのだろう。小池報告の趣旨は以下の通りである(抜粋)。

 ――この8,9月は、党大会決定をやりぬけるかどうかの分かれ道だということです。7月は、全党の奮闘で前進の端緒をつくりましたが、なお〝目標水準〟の運動に達していません。現状の延長線上では、大会が決めた目標――「後退から前進への歴史的転換」はやりぬくことができません。何としても9月末までに〝目標水準〟の運動に引き上げることは、大会決定に対する全党の重大な責任です。

 ――今後の政治日程を考えた時、8、9月に〝目標水準〟の運動をつくることは、総選挙、来年の都議選と参院選など、選挙戦を勝ち抜くうえで絶対不可欠だということです。10月以降は、解散・総選挙がいつあってもおかしくない時期になっています。そうした政治日程を考えるならば、8月、9月に党づくりで〝目標水準〟の突破をはかり、党勢の大きな上げ潮をつくりだすことは、選挙の勝敗に直結することになります。

 

 趣旨はともかく、問題は「どうやって〝目標水準〟を突破するか」だが、「六つの問題提起」として出された具体策はいずれも従来方針の繰り返しで目新しい方針が見当たらない。第29回大会からすでに7か月(第28回大会からは4年7か月)の時間が経過し、党員拡大も読者拡大も後退の一途をたどっているというのに、「後退から前進への歴史的転換」の決定打が見つからないのだから、この事態はまさしく〝万策尽きた〟というほかない。

 

 周知のごとく21世紀に入ってからの党勢は、党員は40万6千人(2010年1月)をピークに25万人(2024年1月)へ、赤旗読者は199万人(2000年11月)をピークに85万人(2024年1月)へ後退の一途をたどってきた。この間、党勢後退の原因として「反共攻撃」や「二大政党づくり」など外部要因に関する政治分析は行われたものの、離党問題など内部要因(党組織や運営の問題点)についてほとんど分析らしい分析がない。拡大方針はもっぱら政治情勢との関連で提起され、とりわけ国政選挙との関係が重視されてきた。総選挙や参院選における得票数・得票率と党勢拡大を直結させる政治路線が支配的となり、両者が一体化して推進されるようになったのである。

 

 だが、この政治路線は国政選挙を重視するあまり地域運動や社会運動を軽視する弊害を生み、地域社会における共産党の政治基盤を弱めて多様な有権者の支持を失う原因になった。この政治路線はまた、政治指導一本やりの党活動に嫌気がさした党員が大量離党する契機になり、若者世代にとっては官僚色の強い「既成政党=守旧政党」とのイメージが拡がる背景にもなった。一時は「野党共闘」に活路を見出したかに見えた党活動も、最近では立憲民主党内の「非共産路線」の台頭によって停滞を余儀なくされ、現在では今後の展望が全く見えない状況に陥っている。しかし、高度成長時代の成功体験からいまだに脱却できない党中央(指導部+専従組織)は激変する環境変化に適応できす、現代においても従来通りの方法を繰り返す以外のノウハウを有していないのである。

 

 このように「八方ふさがり」ともいうべき情勢の下で党勢後退が深刻化しているだけに、その打開方策を見出すことは容易でない。今回の幹部会報告においても党中央が見るべき対策を打ち出せない結果、行きつくところは「党機関の指導力量の向上と体制強化をどうはかるか」といういつもの繰り返しにならざるを得ない。下部組織を𠮟咤激励し「何としても実現する」「決めたことはやりぬく」といった精神主義的指導以外に方法が見つからないのである(以下、抜粋)。

 ――まず冒頭のべた8月、9月の位置づけ、〝目標水準〟の運動をなんとしても実現すること。今度こそ決めたことはやりぬくこと。党機関とその長が、決意を固めあえるかどうかがカギになります。この点は、昨日の幹部会でも議論になりました。提起にはみんな賛成する。一応やろうということにはなる。でも、実践と結果に責任をもつということにはなっていない。何よりも、党機関とその長の決意が本当に固まるまでの徹底した議論が大事だということを訴えます。

 

 不思議なことは、拡大方針がこれほど明白に破綻しているにもかかわらず、幹部会報告の中には「大会決定が間違っていた」「修正すべきだ」とかいった議論が出てこないことである。そこには党大会決定は絶対に正しい、全党はそれを実現する責任がある、出来ないのはそれを実行できない下部組織(党機関とその長)の力量が足りないからだ、〝目標水準〟の運動を実現するには下部組織の力量を高めることが必要だ――との〝無謬主義〟が貫徹している。党中央が立案し大会で決定した方針は絶対に変えないとする権威主義が今なお払拭されず、志位議長を先頭に党中央が全党の前に「岩盤」のように立ちはだかる状態がいまだに続いているのである。

 

 だが、考えてもみたい。2020年大会比「3割増」という拡大方針は、国政選挙における共産党議席の(これ以上の)後退を防ぐために出された「政治方針」であって、それが実現可能かどうかを厳密に検討して決定された「実行方針」ではないのではないか。手順としても、(1)国政選挙で一定の議席数を獲得するために必要な得票数を算定する、(2)それに必要な党勢(党員数、赤旗読者数)を設定する、(3)設定された拡大目標を大会決定して全党に課す、という単純なものにすぎない。当然のことながら、この拡大目標は実力不相応な「過大目標」になり、成果は目標の数分の一といった形でしか実現できないことになる。ところが、党中央は過大目標を是正するのではなく、下部組織に責任を転嫁し、「党機関とその長」に対して目標実現を迫るという形で解決しようとする。この組織構図は、旧日本軍における参謀本部(司令部)と前線部隊の関係に酷似している。

 

 野中郁次郎氏、戸部良一氏らの戦史研究者によって明らかにされた日本軍の『失敗の本質、日本軍の組織論的研究』(中公文庫、1991年初版、2021年73刷)は、膨大な犠牲者を生み出し、悲惨な結果に終わった大東亜戦争の分析から「破綻する組織の特徴」を導き出し、それが(1)参謀本部(司令部)によって策定された作戦計画・作戦命令は絶対であり瑕疵はない、(2)作戦命令は戦場(前線)に変化があっても変更してはならない、(3)前線部隊はその命令に従わなければならない――といった上意下達組織の本質的な欠陥に根ざすものであることを明らかにしている。そして、「日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということであった」(第三章、日本軍の失敗の本質とその連続性)と結論する。文庫版あとがきには、それが次のように要約されている(抜粋)。

――日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。戦略的合理性以上に組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。それでは、なぜ日本軍は組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。過剰適応は、適応能力を締め出すのである。

 

この「結論」や「あとがき」の中の言葉を一部読み替えれば、現在の共産党が抱える組織上の問題点とよく符合する。「組織としての日本軍」は党指導部と専従者から構成される「党中央」に相応し、「特定の戦略原型への徹底的適応」「過去の成功への過剰適応」は高度成長時代の党勢拡大運動の物神化を意味し、「組織の維持に多大のエネルギーと時間の投入」は目下推進されている党機関や赤旗維持のための拡大運動そのものである。共産党はこうして自己革新能力を失い、日本軍と同じく「破綻する組織」への道を歩んでいるのである。

 

 自民党は、裏金問題に象徴されるように国民の信頼を大きく失っている。立憲民主党は、泉代表の右往左往路線によって野党第一党としての存在感を示せない。維新は、万博と兵庫県知事の失政によって国民の期待を裏切った。そんな閉塞状況の中で、事態を打開するための「一大政治キャンペーン」が準備されている。来月に予定されている自民党総裁選と立憲民主党代表選である。その内実はともかく、メディアは今後二つの党首選挙一色に染められ、その他の政党は舞台の片隅にも立てなくなる状況が予想される。総選挙の前哨戦の幕がいよいよ切って降ろされ、自民・立憲両党は党首選挙を通して大々的に「事前運動」を展開することになるのである。

 

 自民党は「今回の総裁選は党の命運がかかった最後のチャンス」だと位置づけ、総裁選の期間を長くして街頭演説や討論会をできる限り多く開催し、候補者間の政策論争を活発化して「党内改革=政治刷新」を印象づける作戦を練っている。立憲民主党代表選はすでに火ぶたが切られており、泉代表や党内有力者の間で前哨戦が繰り広げられている。本格的な選挙戦に突入すれば新旧複数幹部の立候補が予想され、党の基本路線を巡って激しい論争が繰り広げられることになる。総選挙が真近に迫っている現在、自民・立憲両党の党首選が華々しく展開される一方で、党首公選制とは無関係の共産党は「カヤの外」に置かれたままで無視される存在になるのである。

 

 志位議長「一人舞台」の共産党は、全党挙げての政策論争や党首選出を演出できない状況下に置かれている。志位議長が「共産主義と自由」の宣伝など政策を主導し、その他幹部が追随するだけの政党には路線対立も政策論争もなく、党首公選制も不必要だからであろう。だが、こんな権威主義的体質があらわで自己革新能力を失った政党は、古臭い「既成政党=守旧政党」と見なされて埋没し、国政政党としての存在感・存在意義を失っていくに違いない。それがどのような結果を招くかは、次期総選挙の結果が明らかにするだろう。

 

 今からでも遅くない。『志位新著』を宣伝する代わりに共産党が〝党首公選制〟に踏み切り、新味のある候補者間で真摯な政策論争を展開してはどうか。これほど時代変化が激しく情勢が多様化している中で、路線対立がなく政策が一枚板などということはあり得ない。それは〝民主集中制〟の組織原則によって押さえつけられているだけの話であって、党首公選制が実施されれば「百花斉放」状態となって党内議論が活発化し、国民の間にも新鮮なイメージが拡がるだろう。私は〝党首公選制〟の実施こそが、党勢の「後退から前進への歴史的転換」の一大契機になると考えている。(つづく)