未曾有の「新しい経済危機」は「古い手法」では乗り切れない、(麻生辞任解散劇、その8)

 今日の各紙の経済面は、麻生内閣の「追加経済対策特集」一色だ。15兆円を超える「真水」事業費は、補正予算では過去最大の規模となり、その財源は「10兆円を超える国債の追加発行」でまかなわれることになっている。当初予算の新規国債発行額が33兆円だから、今回の追加発行と合わせると44兆円規模となり、減収が予測される税収見通しを上回る可能性が出てきた。つまり「究極の借金財政」で今回の経済危機に対処しようというのである。

 でもこれだけ大規模な補正予算を組むのだから、今回の経済危機を招いた日本の輸出偏重の経済構造を立て直すのかと思ったら、しかし、そうでないところに麻生内閣の「国のかたち」に対する考え方の本質があるらしい。与謝野財務相は、記者会見で「財政健全化のためにも、経済の底割れ防止に向けた思い切った財政出動が必要だ」と強調したという。

 財政均衡論者の与謝野氏が、今回の追加経済対策の基本を「財政健全化」という目標に置き、そのための手法として「経済の底割れを防止する」と述べたことの意味は重大だ。各紙の経済評論家も指摘しているように、今回の経済危機に乗じて消費税増税の道筋をつけようとしているのが案外本音かもしれない。「ピンチはチャンス」というが、与謝野氏や財務官僚にとっての今回の経済危機は、まさに消費税増税という「チャンス」をモノにするための絶好の機会になるかも知れないのである。

 本来なら、このような危機的情勢の下での補正予算は、「国民生活の危機」を克服することに施策の基本を置き、そのための手段として「財政出動」を位置づけることが本筋だろう。なのに、肝心の「国民生活の危機」の克服の道筋はいっこうに見えてこない。追加経済対策の概要を読んでみると、対策の中核部分は、自動車や電機など輸出産業に対する国内有効需要を喚起するための「買い替え特需」対策、株式市場活性化のための株価テコ入れ対策、国際競争力の強化につながる空港や高速道路のインフラ整備などに置かれている。麻生内閣にとっての経済危機とは、「輸出産業の危機」であり、「金融資本」の危機なのである。

 目下の最大の政治課題である雇用対策に関しても、非正規労働者の「正規社員化」や「首切り防止」の対策は前面に出てこない。働く者の生活を守るのではなく、首切りを前提とした「事後対策」が中心になっている。生活支援対策ひとつをとってみても、高齢者の生活不安をかき立てている後期高齢者医療費負担の増額問題、生計を維持するために共働き家庭が急増して保育所が極端に不足していることへの対応など、国民生活の土台を支える基本的な対策が欠落しているである。

 その極めつきは、一方で母子家庭の給付削減を強行しながら(公明党がねじ込んだといわれるが)3歳から5歳までの子どもを持つ家庭に対して、わずか3万6千円を1年だけ支給する「子育て世代支援事業」だろう。1年限りの育児費(それも年齢制限付きの)の支給など、定額給付金と同じくまさに「その場しのぎ」のバラマキ予算以外の何物でもない。こんな思いつき的な対策を臆面もなく掲げるとは、まるで「噴飯もの」ともいうべき経済対策ではないか。これでは国内経済を立て直す「有効需要」など生まれるはずがない。

 問題は、総選挙を控えた今後の政局の行方だろう。麻生氏はバラマキ予算の政治的効果が消えないうちに解散に打って出る腹づもりだ。しかしそのときに、目下右往左往している小沢民主党が効果的に対応できるとは思わない。自民党の15兆円追加経済対策に対抗して、民主党がそれを上回る20兆円規模の補正予算案を打ち出しても、もはや国民のだれもが振り向かなくなっている。自らの政治献検疑惑に蓋をして「企業献金禁止」の公約を打ち上げるような政党に、もはや国民は関心を失っているのである。

 現在の未曾有の「新しい経済危機」は、自民党の「古い手法」では乗り切れない。しかし「古い体質」の麻生内閣はそれ以外に打つ手がない。かって橋本行革による経済不況に対して、小渕内閣は「借金王」と称して国債発行による公共事業の大盤振る舞いを行い、その後の極度の財政状況の悪化を招いた。小泉構造改革はこれを民営化と規制緩和による「荒療治」で乗り切ろうとしたが、結果は輸出偏重経済の挫折と国民生活の容赦ない破壊だった。

 中曽根元首相や渡辺読売新聞主筆の言うように、総選挙の結果に関係なく、日本は今後未曾有の財政危機に直面するだろう。そしてそれを打開する有力な方向は、消費税増税をめぐっての政界再編劇であり、「大連立政権」の成立である。そのときに麻生氏や小沢氏の存在は「影も姿もない」ことはもちろんである。