政権交代予想と期待感のギャップ、選挙報道はマニフェストだけでいいのか、(麻生辞任解散劇、その23)

 先日、あるノンフィクション作家の毎日新聞のコラムが目にとまった。各種の世論調査では政権交代必至の数字が続出しているというのに、なぜかいっこうに「ワクワクする気持ち」が起こらないというのである。そういえば、オバマ候補が「チエンジ!」を掲げて大統領選挙を戦ったときは、全米中に若者中心の熱狂的な期待感が広がった。だが、今の日本にはそれが見られない。なぜか。

 アメリカの抱えている政治・経済・社会問題は深刻だ。イラクアフガニスタン戦争と軍事費の果てしない膨張、環境問題の深刻化、製造業不振と雇用問題の悪化、住宅・金融バブルの崩壊、社会格差と医療格差の空前の広がりなど、日本とは比較にならないほどの内外の矛盾を抱え込んでいる。それにブッシュ氏という史上最低の大統領の存在によって、アメリカの国際的威信が地に落ち、指導者層までが「国(支配体制)の危機」を憂うるようになった。それが「ブッシュ以外なら誰でもよい」(Anyone But Bush!)との大合唱となって非白人オバマ氏のハンディを断ち切り、若者たちの行動力とも結びついて、彼の類まれな資質にアメリカの指導を委ねてみようとの世論を生み出したのである。

 アメリカほどではないが、日本の経済・社会問題もそれに劣らず深刻だ。そして安倍・福田・麻生と続いた世襲首相たちの史上最低の水準ぶりも決して引けを取ることがない。その意味では、「自民党以外ならどこでもよい」という空気が充満している点でもよく似ている。だが現下の政治情勢の最大の特徴は、それにもかかわらず、財界など支配層にはまったく危機感が見られないということだ。長年の支配政党だった自民党政権政党から滑り落ちるかもしれないという政治危機にもかかわらず、それが「国(支配体制)の危機」だと認識されていないところに目下の最大の特徴があるのである。

 このことをよくあらわしているのが、選挙公示を目前にした現在のマスメディアの選挙報道だ。最大の話題はもっぱら各政党のマニフェスト(選挙公約)の比較に集中していて、そして「国の姿が見えない」と大所高所から論評する点でも各社共通している。だがそこには、各党が「国の姿」を問わなくても目先の「政策の選択」さえいえば、「国(支配体制)の姿」は安泰だとする政治構造の分析が欠落している。旧来のドブ板選挙やボス型選挙に比べれば一歩前進かもしれないが、だが選挙報道は単なるマニフェストの表面的な比較だけではなく、「国の姿」すなわち「支配体制の選択」こそが政治報道としては問われるべきではないのか。

 なぜかくも財界の危機意識は薄いのか。それは彼らは体制維持のための「3枚のカード」を用意しているからだ。1枚目の「自民党カード」は、もはや手垢にまみれて使えなくなった。ところどころ自民党カードの破れ目に張った「公明党絆創膏」も不用となった。もはや「ゴミ箱行き」の時期を迎えたというわけだ。麻生首相は「使い古しカード」の象徴ともいえる存在だろう。いうことなすこと全てが「とにかく古い」のである。

 2枚目のカードは「民主党カード」だ。目下、このカードがいかにも新しいような装いで見せびらかされている。まるで「封切りカード」のような扱いだ。しかし「スペードのエース」格の民主党幹部は本当に「新しい切り札」なのか。毎日新聞の作家コラムも指摘していたが、究極の世襲政治家である民主党鳩山代表故人献金偽装問題は、調べれば調べるほど「底が知れない広がり」を見せるのだという。同じく世襲政治家である小沢前代表に至っては、田中・竹下・金丸と続いてきたゼネコンがらみの自民党汚職献金ネットワークの直系だ。また「官僚政治打倒」「霞が関解体」を叫ぶ幹事長の岡田氏とて出身は通産官僚だし、政治生活のスタートは自民党田中派だ。

 これら民主党幹部の出身や政治基盤は疑いもなく支配層そのものであり、それが自民党に代わって「政権交代」の旗をふっているのだから、国民のだれしもが「よくいうよ!」と心底では思っているにちがいない。同じ「チエンジ」を掲げながら、社会運動の活動家であり、大都市底辺層住民の生活支援に従事してきたオバマ氏との間には、「月とスッポン」以上の違いがあることは、誰の目にも明白なのだ。日本でいえば、サラ金ヤミ金の救済活動をしてきた弁護士とか、年越し派遣村で路頭に放り出された派遣労働者の支援活動をしているNPO活動家とかが「政権交代」を叫んでいるならまだしも、支配層のなかでの「たらい回し」を「政権交代」と言っているにすぎないだけの話なのだ。

 3枚目のカードは、最近仕込中の「地方首長カード」だ。しかしこのカードは、意外に消費期限が短いのかもしれない。事実、「東国原カード」ははやくも擦り切れて使い物にならなくなった。「橋下カード」は一見「ジョーカー」として使えそうにも見えるが、相手がいつテーブルをひっくり返すかわからない。ゲームのプレイヤーとしては、支配層から見ても「安心できない代物」だ。横浜の「中田カード」はどうか。このカードはすでに「キズモノ」で汚れている。結婚詐欺まがいの口約束で元ホステスから損害賠償請求の訴訟を堂々と起こされているのだから、相手の方が一枚上だ。こんな「キズモノ」が国民から相手にされるはずがない。

 そう考えてくると、財界が用意している3枚のカードは、案外「お粗末なカード」かもしれない。彼らが支配体制を本当に維持したいのであれば、せめても「日本のオバマ」のような人材を発掘しなければならないはずだ。しかしこの間、経営者の前でひれ伏すだけの連合など労働組合21世紀臨調に論説幹部をことごとく組織されている翼賛マスメディア、呼ばれた御座敷で注文通りの踊りを披露するタレント学者など、思いのままに日本を支配してきた財界には、もはや「カードの目利き」が存在していないのであろう。それゆえの傲慢さと奢りが、やがては自滅に至る道を「滑り台」のごとく落ちていく運命を用意するのである。