神戸空港を取り巻く情勢をどうみるか、その1、(神戸市長選座談会、その8)

神戸空港問題の歴史的経緯)
A:12月14日に関西3空港懇談会が開かれた。「地元の総意」として3空港の一元管理案の方向が打ち出されたというが、内実は「呉越同舟」で、将来の伊丹空港の存廃問題をめぐって橋下知事と井戸知事の意見が真っ向から衝突した。国の意向も様子見段階でいっこうにはっきりしない。この程度の方針で凍結された関空補給金160億円は確保できるのか、各々の意見をききたい。

B:財務省では国土交通省関空補給金概算要求額160億円に対して、その半分にも満たない75億円程度にする方針を最近固めたといわれる。もともと事業仕分けのシナリオ自体が財務省の筋書きだから、予定の行動といったところだ。でもこれでは関空が当初見込んだ着陸料引き下げの原資はおろか、借金の利払いにも事欠く水準でしかない。前年度の補給金90億円にくらべても15億円も下回っている。

C:しかも伊丹空港神戸空港を含めて関西3空港の役割分担が明確になるまで予算執行は留保するという条件付きだから、「泣き面に蜂」だ。もともと関西の府県や財界は「関西はひとつ」といいながら、その実はそれぞれが勝手バラバラな方向を向いている。今回のようにそれぞれの利害が直接ぶつかる問題では、その調整は当初から絶望視されてきた。今度も補給金ほしさの「一時しのぎ」といったところだろう。

A:関西レベルで調整が必要な課題のなかでも、とりわけ難しいのが「関西3空港問題」だ。この件に関しては数々の歴史的因縁があって、とくに大阪財界のなかに「神戸はけしからん」という強い空気がある。過去に伊丹空港の騒音公害問題が深刻化して新空港をつくろうといことになったとき、神戸市自らが提案し、当時の運輸省から事実上ゴーサインが出ていた神戸沖空港計画をギリギリの段階になって神戸市が蹴ったという経緯があるからだ。

B:でも、空港計画を撤回したそのこと自体は間違いではないよ。神戸市でも空港開設にともなう公害問題に関しては、当時「伊丹の身代わりにするな」と市民が極度に敏感になっていた。さすがの市議会各派も自民党を除いては空港建設に二の足を踏まざるを得ない状況に追い込まれていたからね。これ以上、公害問題を深刻化させないために、新空港をストップするのは市民の目からすれば当然のことだ。

C:宮崎市長(故人)のブレインの言によると、宮崎市長は当時「空港に固執し政権の座から転落するか、空港を断念して政権を死守するかという厳しい選択を迫られていた。」という。1973年の市長選挙において、政治基盤の安定しない宮崎市長がもし空港建設方針を取り下げなければ、「落選間違いなし」と言われていたからね。

B:この方針を最後まで貫いていれば、宮崎市長は立派に晩節を全うすることができた。だが彼の回顧録を読むと、神戸空港建設の撤回声明は「一世一代の不覚」、「本心に反した反対声明」、「偽りの誓い」とかいった言葉であふれているのには驚くね。市民に対して「空港建設撤回という心にもない公約」をしたことを心の底から「後悔」しているわけだ。助役16年、市長20年、計36年の政治生活のなかの「最大の判断ミス」だといっている。

A:市民に対して「心にもない公約」をしたことを政治家として反省するのではなくて、公約したことを「後悔」するとはいったいどういうことか。

B:それは港湾都市の神戸市にとって、海上輸送だけではなく航空輸送を確保することが死活問題だと考えられていたからだ。神戸市は、宮崎市長の前任の原口市長時代から「大神戸計画」を推進してきた開発主義の強固な伝統がある。大阪との都市間競争に打ち勝って西日本の経済中枢都市の位置を占めるには、港湾と空港は欠くこと出来ない戦略的インフラだと位置づけられていて、これを実現することこそが神戸市政の使命だといわれていたからね。

C:それが土壇場になって神戸市が「変節」したので、運輸省が激怒した。「神戸市には絶対空港はつくらせない。」と当時の幹部が断言して以降、神戸市は運輸省から「出入り差し止め」を宣告された。そして新空港建設計画は一挙に泉州沖へと向かったというわけだ。

B:ところが問題を複雑にしたのは、泉州沖空港計画が具体化するにつれて、宮崎市長が1982年になって神戸沖空港計画をふたたび蒸し返したことだ。それも驚いたことに、建設反対決議をしたはずの社会党共産党までが空港反対から空港建設へ一斉に「転向」した。空港建設で当初から一貫していたのは自民党だけで、この段階から神戸市の悪名高い「市役所一家体制」が、市当局、議会各派、市職労を含めて成立したといっていい。市役所挙げて空港建設に邁進する体制が整ったわけだ。

C:そういう事情を考えると、宮崎市長の後継者となった笹山市長が阪神大震災の発生直後に「空港は建設する」と叫んだ理由がよくわかるね。笹山市長は土木技術者で市職労土木支部支部長だったが、最初から宮崎市長の後継者と目されていたほどの人物ではない。しかし組合の支持基盤を固めて助役となり、もう一人の助役と市長選を戦って市長になった。神戸空港建設は彼に与えられた使命であり、組合も社共両政党もその有力な応援団として動いた。

A:神戸沖空港計画の提案から断念、そしてふたたび建設計画への転向と推進という神戸市政の「変節の軌跡」が、現在の「関西3空港問題」の発端になったことは間違いない。「関西3空港問題」の内容は必ずしも統一されていないが、私の見るところ、第1が関空の経営悪化問題、第2が3空港の乱立という過剰問題、第3が3空港全体の航空需要の落ち込みの3つだ。(続く)