「自社体制」の負の遺産を背負う民主党政権、(民主党連立政権の行方、その3)

戦後政治の基本的枠組みだった「55年体制」がようやく崩れて、民主党への政権交代が起こったと思っていたら、何のことはない、民主党政権もその遺伝子をしっかりと受け継いでいた。北海道教組の組織内候補、小林衆議院議員へのヤミ選挙資金提供事件のことだ。

昨日の北教組の記者会見をみていると、北教組の幹部や小林選対事務所の会計責任者が軒並み起訴されているにもかかわらず、当の小林議員は離党も議員辞職もしないのだという。「事件を知らなかったので責任の取りようがない」、「真摯に議員活動を続けることで責任を果たしたい」との弁だ。

どこかで聞いたようなセリフだと思ったら、そういえば鳩山首相小沢幹事長も同じようなことを言っていた。「事態を知らなかった」ということと、「辞職しないで責任を果たしたい」という2つが民主党の決まり文句らしい。問題が発覚した時には、きっとこのような「釈明記者会見用」のセリフや想定問答集が前もって用意されているのだろう。

おそらく石川議員も小林議員も、この種の原稿を頭に刻んで記者会見に臨んだに相違ない。でもテレビ報道のこわいところは、表情までは誤魔化せないことだ。見る人が見れば、当人たちが何を隠しているのか、どんな嘘をついているのか、手に取るようにわかるのだから恐ろしい。

もっとも鳩山・小沢クラスの古つわものになると、どんな質問にも顔色を変えず、平気で質問を受け流すような訓練をしているかにみえる。それがプロの政治家には受けるのかもしれないが、しかし国民の目にはかえって不気味に映るのがわかっていない。能面のように表情を動かさずに「泰然自若」として応答する有様は、この種の人物がどれほど「深い闇の政界」を泳いできたかを連想させるのだ。

鳩山首相が口先で「甘い公約」を囁いて国民の期待を高め、小沢幹事長選挙対策で業界団体と労組団体に依拠して議席を獲得するという「空中戦」と「地上戦」の分担戦術は、どうやらここに来て限界に達したようだ。民主党マニフェストは後退に次ぐ後退を重ね、いまや「羊頭狗肉」の域に達しているといってもよい。その象徴が、「最低でも県外移設」といっていた普天間基地移設問題だろう。

一方、小沢幹事長の選挙戦術にも赤信号が点滅し始めた。小沢氏の選挙戦術は、長年の「55年体制」すなわち「自社体制」のもとで習得されたものだ。自民党は主として業界団体を票田とし、社会党は労組団体に依拠して票割りをする。両者の間には「互いの票田は荒さない」との暗黙の了解があって、自社体制が成立していたのである。

だから自民党時代に業界団体の内情に精通した小沢幹事長が、連合、日教組自治労など労組団体と手を組んだことは、まさに「鬼に金棒」といえた。小沢氏は自民党から民主党に「化ける」ことによって、自社体制の遺産を独り占めにすることができた。そしてそのノウハウを駆使して選挙戦を戦い、首尾よく政権を獲得したのである。

だが、自社体制はもともと「政治とカネ」問題を根底に抱えていた政治体制だった。自民党は財界や業界団体から表裏一体の政治献金を受け、政治家個人は公共事業や許認可事業に群がって利権を得ていた。社会党は、労組団体丸抱えの組織内候補を通して自民党と取引し、労組団体の既得権を守っていた。

この自社体制の遺産は、現在の民主党内でもしっかりと受け継がれている。労働者派遣法の改革において、連合が財界に代わってどれだけその「骨抜き」に貢献したかは知る人ぞ知るであろう。また鳩山政権の表看板である地球温暖化ガス削減目標の達成にしても、いまやその最大の抵抗勢力が経営団体と一体となった労組団体であることは周知の事実だ。

今回の北教組のヤミ選挙資金事件は、まさに氷山の一角でしかない。小沢幹事長を支える興石幹事長代理(日教組)や高嶋筆頭副幹事長(自治労)は、目下、事態の修復(隠蔽)に奔走しているが、生方副幹事長の言論封殺問題にもみられるように、小沢自社体制の維持は必ずしも楽観を許さない。(つづく)